第二章 試験開始とドキドキの予感

試験の前におさらいです

 王都での暮らしと仕事にも少し慣れた頃。しばらくはお店の仕事は半分に減らしてもらい、試験プロベ前に職人さんについて今までのおさらいです。

 わたしの得意は染織や糸の扱いですが、ニギスマイスターの儀では服飾全般の専門知識が問われます。島の工房ではすべての工程を父から叩き込まれていたけれど、やはり至らない部分は多いのです。

 毎日、厳しい職人さんたちに叱られながら鍛えられています。大変だけど、学びは楽しいし、上手くいった時の喜びは一入ひとしおです。


「アリューネ。これ型紙パターン通りに作ったか?」


 練習用に作ったワンピースを眺め、ハンスさんが眉を顰めています。わたしは彼の隣に立って小さくなっていました。忙しい合間を縫って指導してくださっているのに不甲斐ないことです。


「はい。多分」

「多分? 糸が引き攣れているし、生地が伸びている。天糸機の扱いが悪いのと、生地選びを間違えたのが原因だな。俺の完璧な型紙が台無しだ」

「すみません」

「伸びやすい生地の扱いは慎重に。引っ張りながら縫うなよ。押さえ部品を適切に使い、糸の調子に気をつけろ」

「はい」


 うう……。厳しいお言葉ですが、すべて仰る通りです。様々な生地に慣れようと、あまり使わないものを選んだのが良くなかったようです。


「アリューネ。とりあえずここまでにして、お昼を食べておいで」

「はい……」


 しょんぼりしていると、ハンスさんの後ろで話を聞いていたバートさんが穏やかに言いました。黒髪で黒い目の人間の壮年男性です。彼は工房の職人たちのまとめ役です。


 わたしは裏口から外に出て、二階に上がる階段の途中に座り、少しボーッとしていました。両隣の建物の隙間から見える青空が目に沁みます。自分の至らなさに落ち込んでしまいます。もうあまり時間もないのに、こんなことでプロベは大丈夫なのでしょうか。

 こんな日は故郷が恋しいです。わたしは手袋をはめた自分の手を見下ろし、ふと頭に浮かんだ歌を口ずさみました。


「エルネスタ 清らの織手 精霊のいとし子 大地のいのり 花々のうた」


 歌いながら手を宙にかざすと、甲の紋様が淡く光りました。指先に向けて紫の光が伸びて、爪先から細い糸のようなものが紡がれていきます。ちょうど花のような形に……


「らせんのつむぎ てんのいと……」


 しかし、最後までその歌を歌いきる前に、どさりと何かが落ちる音がして、現実に意識が引き戻されました。

 青空を背景に飛び込んできたヴィルム様の顔。金の瞳はお酒に酔ったように潤み、その視線はわたしに合わせているようで、どこか遠くを見ているようでした。

 わたしは両手の平を重ね合わせ、中途半端にできた光る糸を手の中に吸い込ませました。特に隠してはいないのですが、場合によっては嫌な顔をされるので、あまり人前では見せないようにしています。


 ヴィルム様とはあれから何度か食事をしたり、お茶に誘われたりしています。最近は忙しいのでなかなか時間が取れないと言うと、お昼の休憩時間に差し入れをしてくださるようになりました。申し訳ないからお断りしているのですが、自分のついでだと言って譲りません。

 

 ヴィルム様は足元に落ちた袋を拾い上げ、わたしが座っている階段の前方に座りました。普段見上げている方を上から見下ろすのは、なんだか不思議な気分です。

 ヴィルム様はゆっくりと振り返り、わたしの顔をじっと見つめました。


「今の歌は?」

「一族に伝わる古い歌です」

「その歌聞いたことがある」

「え? どこで?」

「子供の頃に、北の砦で」


 そう言ったきり、黙ってわたしの顔を見つめ続けます。何かついているのでしょうか。糸くず? 沈黙が続いて、気まずくなったわたしは一生懸命言葉を探しました。


「砦には一族の者も出入りしていましたから、誰かが歌っていたのかもしれませんね。わたしも時々両親について遊びに行っていました。その時のお友達に歌ってあげたことがあります」

「それは……」

「小さな熊の女の子でした。まだ上手に人化できなくて、白いお耳が新雪みたいにふわふわで可愛らしかったです。『雪玉ちゃん』と呼んでいました」

「……女の子」

「あ、たしか、ヴィルム様にはエリザ様ともう一人お姉様がいましたよね。その方かしら」

「お姉様……」

「ヴィルム様?」


 先ほどからヴィルム様はわたしの言葉を繰り返しているだけです。さっきまで輝いていたその目が、どんどん虚ろになっていくのが心配です。


「あ、ああ。姉はエリザとマリアだ」

「じゃあ、きっとマリア様ですね。雪玉ちゃんはお元気ですか? なんて失礼ですよね、すみません」

「いや。元気だ」


 そのあと、そこで二人で昼ご飯をいただきました。今日のお昼はサンドイッチでした。わたしが以前、グラズカフェのワッフルが美味しかったと言ったのを覚えていてくださったようで、それも袋に入っていました。手づかみで少しお行儀が悪いですけれど、たまにはこういうのも良いでしょう。

 食べながら久しぶりに故郷や昔の話をしました。ヴィルム様は丁寧に相槌を打って聞いてくださいましたが、どこか上の空のようでした。


「それで、雪玉ちゃんは王都に帰ることになったのですけど、悲しくて二人でわんわん泣きました。その時に何かを約束したのですよね。わたし、何を約束したのか忘れてしまって……。ヴィルム様、お姉様に聞いてみていただけないかしら?」

「……マリアは嫁いで今実家にはいない。時々甥っ子を連れて遊びに来るから、その時に聞いてみよう」

「ありがとうございます! お願いします」


 わたしは嬉しくなって、ヴィルム様に笑いかけました。すると、ヴィルム様は「ぐう」とおかしな唸り声をあげ、頭を押さえて前かがみになりました。きゅ、急にどうしたのでしょう?

 最初に見た時のように、髪の色が変わり始め、長い指の間から白いもふもふが見え隠れしています。……心配ではあるのですが、さっき昔の話をしていたので、思わず懐かしくなって手を伸ばしました。

 そっと触れた耳は、記憶とは違って少し硬めでしたが、内側はふわふわで手触りがよいです。ああ、こういうファーで冬の帽子を作ったらきっと暖かくて素敵ですね……。つい職人モードで毛足を撫でていると、ヴィルム様の唸り声が大きくなりました。


「あ、すみません! わたしったら失礼ですよね。こういうお帽子が作りたいなって、いえ、失言でした! 本当にすみません!」

「いや、いい。参考にしてくれて構わない」


 慌てて離そうとした手をぎゅっと掴まれ、耳に押しつけられました。これは……、もっと撫でていいということでしょうか。わたしはごくりと息をのみ、指先に意識を集中させました。温かく血の通った耳が時々ぴくぴくと動きます。感覚を覚えさせるように何度も撫でていると、ヴィルム様が消え入りそうな声で呟きました。


「さっきの歌、聞きたい」


 小さな子供のような、たどたどしいお願いに、知らず笑みがこぼれます。普段凛々しい騎士さまの、無防備な姿を見る機会はそうそうないのでは? こんな風に思うのは失礼かもしれませんが、まるで大きくて獰猛な生き物を手懐けているような気持ちになりました。

 そういえば雪玉ちゃんもこうして撫でられるのが好きでしたね。やはりご姉弟は似るのでしょうか。

 わたしはひそめた声で歌い始めました。言葉にして紋様が反応してはいけないので、低くハミングしながら、しばらくその柔らかさを愛でていました。


 休憩時間が終わりに近づいた頃、ヴィルム様はようやくいつもの姿に戻りました。不自然なほどに顎に力が入っているのが見えて、奥歯が砕けないか心配になってしまいました。なんだか申し訳なくて、わたしは深々と頭を下げました。


「ありがとうございます。素晴らしい体験をさせていただきました」

「いや……。試験、もうすぐだな」

「はい」

「応援している」

「ありがとうございます。マリア様によろしくお伝えくださいませ」


 わたしの言葉に黙って頷いたヴィルム様は、微妙にふらつく足取りで去っていきました。急に耳が出てしまうなんて、具合が悪かったのかもしれません。騎士のお仕事は大変そうですものね。本当に大丈夫かしら。


 心配ではあったけれど、わたしはもふもふに癒やされて、落ち込んでいた気分が少し浮上しました。これで午後からも厳しいしごきに耐えられそうです。

 また機会があったら、ヴィルム様がお嫌でなかったら、ぜひ触らせていただきたいものです。


 うーん……。わたしったら最近少し図々しいかしら?

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