第38話 試練を乗り越えろ

 放課後の野球グラウンド。


 当初は、俺と大江おおえ、そして新野健太にいのけんたの三人だけで、守備練習をするはずだった。

 だが、沢村さわむら愛美めぐみさんが「応援したい」と言ってくれたのをきっかけに、なぜか文芸部の全員が応援に来てくれることになった。もちろん、高坂こうさか監督も。そして、その匂いを嗅ぎつけたのか、新垣にいがき先生の姿まである。


 ファーストのポジションに、大江おおえ

 ノックを打つのは、俺、高橋遙人たかはしはると

 そして、セカンドのポジションに、新野にいの


「……俺のために、みんな、集まってくれて、ありがとう!」

 新野にいのが、絞り出すように言った。


「おう! さあ、気楽に行こうぜ!」

 俺が声をかけるが、大江おおえは、ただ黙って新野にいのを見つめている。


 何球かノックを打ってみたが、やはり、新野にいのの状態は深刻だった。

 一塁への送球が、ことごとく暴投になる。


「――なあ、新野にいの! 俺が打ったら、一塁まで全力で走る! だから、お前は、俺をアウトにしてみせろ!」

 そして、俺はギャラリーに向かって叫んだ。


「お集まりの皆さん! どうか、新野にいのに、温かいご声援をよろしくお願いします!」


「頑張って! 新野にいの君!」

 沢村さわむらさんが、一番に大声で叫んでくれた。


 それに呼応するように、いつの間にか、松島まつしまセイラと新田利香にったりかが、本格的なチアの衣装に着替えている。ここまでは、想定内だ。

 だが、あの謎多きクールビューティー、星村星子ほしむらほしこ先輩まで、なぜかチアの衣装を着こなしている。さらには、九段隼人くだんはやと先輩も、どこから調達してきたのか、大学の応援団長のような学ラン姿で、拳を突き出すポーズを決めていた。


(文芸部の人たちは、個性的で一見バラバラだけど、こういう、仲間を想う熱いところが好きだな。……まあ、新垣にいがき先生は、隣に立つ高坂こうさか監督の横顔を、何度も盗み見ては赤面してるけど)


「文芸部の皆さんの応援、きっと新野にいの君の力になっていると思います。俺は、目の前の生徒たちを信じています。必ず、奇跡は起きますよ。……ありがとうございます、新垣にいがきさん」


 高坂こうさか監督が、優しい眼差しで、新垣にいがき先生に語りかける。


「い、いえいえいえ! これは、生徒たちが自主的にしたことで、私は何も! ただ、人のために何ができるかを考え、それを素直に実行できる生徒に育ってほしいと、常日頃から思ってはいますが……」


「素敵な向き合い方ですね。あなたが執筆されている作品のように、繊細で、温もりを感じます。その謙虚な気持ちは、きっと生徒たちにも伝わっていますよ」


(しゅき、しゅき、しゅき……! あー、もう、しゅきが止まらない! 今夜、夜のデートに誘って! もちろん、一つ返事でOKですわよ! あー、しゅきしゅぎるー! でも、高坂こうさか殿には、彼女が……うぅぅ)


「行くぞ! 集中、集中!」

 俺の、元気な声がグラウンドに響く。


 俺はセカンドゴロを打ち、一塁へ向かって全力疾走する。


 野球部を辞めてからも、筋トレやランニングは続けていたが、何度も繰り返す全力疾走に、足がもつれ、つりそうになる。学生服のまま、何度も地面に転倒しながらも、必死に一塁を目指した。


 そんな俺の姿を見て、いつしか、周りは新野にいのではなく、俺を応援し始めていた。


(……なんだよ。結局、高橋たかはしが、一番目立ってんじゃねえか。……くそったれ!)

 その瞬間、新野にいのの目つきが変わった。


 センター前に抜けようかという速いゴロを、新野にいのが捕球し、素早く一塁へ送球する。白球は、糸を引くような、完璧なストライク送球だった。


「「「ナイスプレイ!」」」

 やんややんやの喝采。主役の座は、再び新野にいのの元へと戻ってきた。


「その調子だ! もう一回行くぞ!」


 次は、一二塁間を抜けるようなゴロ。新野にいのは、それにダイビングキャッチすると、流れるような動作で一塁へ投げ、アウトを取った。


 もう、彼の姿に、イップスの面影はなかった。


「よーし、仕上げだ!」


 高坂こうさか監督が、前に出る。


「すまないが、九段くだん君! ランナーとして、一塁まで全力で走ってほしい! 頼めるか!」


「はい! お任せください!」


高橋たかはしは、体がボロボロになるまで、よく頑張ってくれた。一塁の守備についてくれ」


「はい!」


大江おおえはショートだ!」


「はい!」


「実践形式で、6-4-3のダブルプレーを完成させる! 気合入れて行くぞ!」


「「「おう!!」」」


 監督が打ったのは、緩いショートゴロ。強い当たりよりも、ゲッツーを完成させるのが難しい、試練の打球だった。


 ショート大江おおえは、前進して捕球すると、華麗なグラブトスで二塁へ。


 セカンド新野にいのは、流れるようにベースに入り、体を回転させ、ランニングスローで一塁へ!


 ファースト遙人はるとは、体を思いっきり伸ばし、その完璧な送球を受けた。

 全力で駆け抜ける九段くだん先輩も、余裕を持ってアウト。


「よーし! 完璧な6-4-3の完成だ! お前ら最高だ! 来年は、絶対に甲子園で優勝するぞ!」


「「「おう!!」」」


 野球部ではない俺と九段くだん先輩も、一緒になって叫んでいた。


「お疲れさん! 俺は今、最高の気分だ! だから、ここにいる全員に、ハンバーガーを奢る! ポテトもドリンクも、ナゲットもだ! 遠慮なく、腹一杯食いやがれ!」


「「「やったー!!」」」


「……あ、その前に、高橋たかはし。ちょっと、こっちに来なさい」


 心配そうな顔をした新垣にいがき先生が、俺に手招きをする。


「膝、怪我してるでしょ。沢村さわむらさんが、保健室で大きめの絆創膏ばんそうこうをもらってきてくれたから、私が貼ってあげるわ」


「いえ、これくらい大丈夫ですよ」


「いいから。……沢村さわむらさんには、ちゃんとお礼言ったの?」


「あ、愛美めぐみさん、ありがとうございます!」


「ほら、両膝とも血が出てるじゃない……。はい、これでよし。……でも、君の、そういう無鉄砲なところとか、熱いところ……私、結構、好きだわ。むしろ、大好きかもしれない」


 その言葉に、周りの時間が、一瞬、止まった。


「えっ……? せ、先生……。お返事は、もう少し、考えさせてください……」


 俺が、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて言うと、

「いきなり告白っすか。先生も、大胆ですよねぇ」

 セイラが、口元を押さえて、笑いをこらえている。


「は、はぁ!? これは、話の流れでしょ! 高橋たかはし、変に受け取るな! そういう……よく頑張ったなっていう、意味の『好き』よ! 文脈で分かりなさい、文脈で!」


 周りは、もう、必死で笑いをこらえている。


「あのー……すみません、高坂こうさか先生。俺、新垣にいがき先生に……ギャップ萌え、したかもしれません……」


「なっ……! 俺は今、高橋たかはしに振られたのか! ショックだ!」と高坂こうさか監督。


「「「わはははは!!」」」


「こ、コラー! 高橋たかはし! その萌えは、相手が男だから笑えるんであって、私は女だぞ! リアリティーが増すだろ! やめろ! 私に萌えとか言うな!」


「もう、俺は、新垣にいがき先生に、萌え萌えの、だーいしゅきです!」


「こらー! 高橋たかはし! いい加減にしないと、その絆創膏ばんそうこう、剥がすわよ!」


「ツンデレな新垣にいがき先生も、可愛いです! 萌え萌えすぎるー!」


「「「ははははははっ!!」」」


「こら! 高坂こうさかさんも、笑わないでください! もう……! ……ふふふっ」


 この後、一行は某有名ハンバーガーチェーン店に雪崩れ込み、高坂こうさか監督の財布はすっかり軽くなったが、今日の主役である新野にいのをはじめ、皆の笑顔が、いつの間にか、立ち込めていた暗雲を、綺麗に吹き飛ばしていた。



 夕焼けの空の下、「また、明日」と手を振り合う彼らの影は、いつまでも、楽しくリズミカルに揺れ動いていた。

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