02

 ジジの怪我は五針も縫うほど深かったらしい。でもそこまで酷くなくてよかった。命にかかわるほどの大怪我って訳やなかったもん。

 ルノとジャメルさんはジェームスに事情を訊かれてから、支部の中の仮眠室に閉じこもってる。何を話してるんか知らんけど、ジャンヌちゃんに混じらん方がええなんて言われた。

 この一週間、ずっと不機嫌なジジと一緒にいてるのは気まずい。

 でもルノもジャンヌちゃんも立ち会わへんとか言うんやで? 家族ちゃうん? 信じられへんねんけど。いくらケンカしててもお姉さんちゃうのって、オレは思うんやけど。

 ジャンヌちゃんは安全って分かったからか、楽しそうに支部の中を走ってた。ゆりちゃんと一緒にプリンを食べるみたいやけど、それやったらジジとおったればいいやん。オレには言われへんかったけど。

 医務室で痛み止めを打たれたジジは、オレを見る。

「ダンテ君、ありがとう」

「ううん。ジジも大変やな」

「せやろ。ルノもジャンヌもうちの事なんやと思ってんやろな」

 ジジは溜息をつくと、ニコッと笑った。

 ジェームスが医務室に入って来る。いつもとおんなじ、くたびれたグレーのスーツ姿。疲れた顔をしていて、オレの隣りに腰を下ろした。

「大変だったな」

「いや、みんな無事やったからよかった」

 ジジはそう笑うと、ジェームスを見つめる。

「ルノが言うには、撃ってきたのはミランダだって?」

「そっちは見てへんけど、ジャメルを追いかけてたやつらやったら描けんで」

「描けるって?」

 ジェームスにもオレにも意味が分からんかった。二人でジジを見ると、その辺にあったボールペンを取ってって言われた。オレはそこにあったボールペンと真っ白なコピー用紙をジジに渡した。

 そしたら凄いねん。

 ジジは目の前でさらさらと絵を描いてん。一発書きとは思えん絵が、あっという間に出来上がる。それも写真みたいにきれいやってん。天才やと思った。

「凄いやん、ジジって絵、描けたん?」

「これでも美大通っててんで。これくらいは描けるよ」

 二人でしげしげとそれを眺めると、ジジは少し寂しそうに笑った。

 きっとジジかて大学に戻りたいよな。でもジジは死んだ事になってるから、もうフランスの大学には戻られへんねん。ルノとジャンヌちゃんと三人で、元通りの生活に戻りたいんちゃうやろか。ジジはそんな事、一回も言うた事ないけど。

 ジェームスは優しく笑うとジジに言うた。

「この絵、貰っていっていいか? こっちで調べておくよ。ジジもダンテも、今回の件が片付くまでは一人で支部から出るなよ」

 一人でって事は、ヴィヴィアンとかと一緒やったら出てもいいって事かな? そうやったら別にええや。今度は怖くない。

 ジジははいと短く答えると、笑って頷いた。

 ジェームスは一人で忙しそうに医務室を出て行く。

「ジャメルとジャンヌはどこで寝るん?」

「分からん。でもジェームスが空いてる仮眠室を、好きに使っていいって言うてたで」

「じゃあうちは自分の仮眠室行こかな」

 ジジは笑って立ち上がった。

 オレも一緒に仮眠室の方に向かう事にした。

 忙しく動いてたから忘れてたけど、もう夕方や。関空までちょっと遠すぎる。銃で撃たれたのなんて初めてやもん。アドレナリンがドバドバ出てたんやと思う。あっという間に一日が終わった気がする。

 疲れたし、お風呂入って早く寝よう。

 オレの部屋の横にある、元はルノの部屋のドアをジジは開けた。

 お疲れって声を掛けてから、自分の部屋に入ろうとした。でもジジが急にフランス語でなんか怒鳴ったから、ドアノブから手を離した。

 隣りを見ると、ジジが凄い勢いで部屋に乗り込んでったところやった。めちゃくちゃ怒ってるみたいや。何事やろ。

 閉まりそうになってるドアを開けて、中を覗き込む。

 ルノが床で気持ち悪そうにへばってるのが見えた。ジャメルさんは楽しそうにゲームしてるみたいやけど、床には病院の紙袋が転がってる。一体何があったっていうん? そんなに変な事にはなってないと思うんやけど。

「おいルノ、とうとうやりよったな」

 ジジはルノの髪の毛を掴むと、思いっきり殴った。

 嘘やろ、またなん? めちゃくちゃ怖い顔してたけど、止めやんなヤバイと思って、オレは部屋に飛び込むとジジの腕を引っ張った。

「ジジ、やめて」

 ジャメルさんは気持ちよさそうな顔をして、ジジを見てるだけ。なんか酔ってる? そんな顔をしてる。動きもせんとルノの事を見てるだけ。

「なんで殴るん?」

「この二人、うちの薬を飲んどるんや」

 言われて初めて気が付いた。床にいっぱいカプセルが転がってる。それも半分に割れてんねん。なんか粉っぽい。でもなんでジジの薬なんか、この二人が飲んでんの? そもそも何の薬をジジは飲んでんの?

 ジジはオレの腕を振り払って、ルノの腹を蹴りつけた。転がったルノは泣いとって、咳き込みながら小さくなる。よく分からん言葉を呟いて、ルノは頭を抱えた。

「待ってぇや。まずはちゃんと話して」

 前の騒ぎの時に、次にルノを殴ったら減給なんて言われた筈。ジジは何を考えてるん? そんなん分かってるやろうし、流石にそんな事をするとは思えへんねんけど。よっぽどの理由があるって事やんな?

 ジジはようやく止まった。それからこっちを見る。

「うちの薬、有名なヤバイ薬なんよ。こいつら、それを飲んでんねん」

 それって、薬物乱用って事? 昔、ヴィヴィアンに絶対あかんって言われたけど、ルノはよりによってそんな事をしてたん? それは殴られても文句言われへんと思うんやけど。

 オレは足元で泣いてるルノの前にしゃがんだ。なんか言うてるけど、全然分からん。フランス語なんやと思う。どうしてええか分からんくって、オレはジャメルさんを見た。

 ジジが今度はジャメルさんに掴みかかって、思いっきり揺さ振った。

 二人はなんか言い合いをしてたけど、全然分からん。ただひたすら怖い。それやのに、ジャメルさんはヘラヘラ笑ってるだけ。ジジの事、怖くないん? 目の前でルノが殴られたのに?

「そんなに怒んなよ、ちょっとしか飲んでねぇから」

 後ろから声が聞こえて、振り向いた。

 ジャンヌちゃんがこっちを見ながら、ゆりちゃんに翻訳してる。こんなところ、見せへん方がええのは分かってるけど、フランス語が分かるの、ジャンヌちゃんだけや。

「ふざけんな、ええかげんにせぇよ。いつかやるとは思っとったけど、よりによって今やりよったんか」

「こんな時に酒もねぇんだぞ。いいだろ?」

「殺したる」

 ジャンヌちゃんはそう訳しながら、ルノの前まで来た。

「お兄ちゃん、大丈夫か?」

 泣きながら、ルノはジャンヌちゃんにしがみついた。なんか言うてるけど、やっぱり分からんかった。

「なんて?」

「人殺したくないって言うてるけど、お兄ちゃんそんな事やったん?」

 ドキッとして、オレはなんて答えるべきか悩んだ。

 ルノもジジも、これだけは絶対に知られたくない筈やん。それに、殺人については機密情報や。教える訳にはいかんのに、よりによってルノがバラしてんねんで。救いようがない気がする。

 ルノはその間もずっとおんなじ事を言うてるし、どうしていいか分からんかった。多分、殺したくないって言うてるんやろ。それくらいは分かった。

 なんて言えばいい? オレはどうすればいいんや。なんも思いつかへん。

 途方に暮れてたら、後ろから肩を叩かれた。

「ジャンヌちゃん、ごめんな。ルノ、ちょっと薬でおかしくなってるんや。気にせんと部屋におってくれる?」

 ゆりちゃんがにこっと笑って、ルノをジャンヌちゃんから引っぺがした。そしてオレにジャンヌちゃんを部屋から出すように合図する。すっごい頼もしかったから、めちゃくちゃホッとした。

 オレは立ち上がると、ジャンヌちゃんを廊下に連れ出した。ちょうど通りがかったヴィヴィアンを捕まえて、ジャンヌちゃんと遊んでてくれるように頼む。ついでにジェームスを見つけたら、ここに来るように言うてともお願いした。

 それから部屋に戻ってドアを閉めた。

 ルノはボロボロ泣いてて、床に座り込んだまま動けへんみたいやった。ゆりちゃんがそんなルノの背中をさすって、どうしたって日本語で聞いてる。オレはジジを止めるべきなんやろけど、ルノの様子がどう見たっておかしいから心配で動かれへんようになった。

「ルノ、どうしたん?」

 ゆりちゃんがもう一回ルノに尋ねる。

「嫌や、やりたくない」

 ルノはかすれた声でそう言うと、そのまま床に倒れた。泣きながらガタガタ震えてたけど、もう意識はないみたいやった。

 オレとゆりちゃんはとりあえずルノをそのままにして、ジジを見た。

 ジャメルさんはやっぱりヘラヘラしながらジジと話をしてる。ジジはジャメルさんをいつ殴ってもおかしくないような状態。服を掴んで何度も揺さ振ってはなんか怒鳴ってる。

 でもルノを殴ってた時よりは冷静なように見えたから、オレはジジとジャメルさんの間に無理矢理割り込んだ。迷惑そうな顔をするジジをゆりちゃんと二人で引き離して、あんな状態の人を殴っても意味がないって言うた。

「ジジ、暴れたら傷が開くから」

 そう言うと、ジジはようやく止まった。

「よく聞いて」

 ゆりちゃんがジジの肩を叩いて言うた。

「ルノの意識がないんや。このままじゃ危ないかもしれんやろ。ちゃんと説明して」

 ジジはようやく足元で倒れてるルノに気が付いた様子やった。ぱっとしゃがんで、ルノの肩を揺すった。

「ルノ、ちょっと」

 そこにジェームスと医務室の先生が飛んできた。

「何を飲んだの?」

「コンサータって薬。多分分解して中身だけ飲んでる」

「何の薬?」

 先生に聞かれて、ジジは泣きそうな顔をした。

「覚せい剤や」

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