スタートリガー社の工作員達 続編01
桜井もみじ☆
01
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ホンマにこのアンサロあばずれ女は何してくれんねん。ふざけんな。めちゃくちゃ痛いやんけ。
俺は最低最悪の気分で床に転がってる。
姉ちゃんは俺の事をなんやと思ってんねやろ。サンドバッグか、あり得んねんけど。今日、俺の誕生日なん分かってんか。
ほっぺた押さえて体を起こすと、姉ちゃんが俺の上に馬乗りになってきた。めちゃくちゃ乱暴に胸倉を掴まれて、デカい声で怒鳴りつけられる。
「うちがどんな思いで辞めさせたと思ってんねん。ええかげんにせぇよ」
「それはどーもありがとうございましたぁ。でも俺の勝手やんけ。姉ちゃんに言われとぅない」
俺が何をしようが、今までなんも言うてこんかったくせに、何を今更姉貴面しとんねん。思わん? 脱ぎ散らかしたパンツを自分で片付けもせぇへん姉ちゃんに言える事ちゃうやろ?
せっかく俺から仲直りを申し出たったって言うのに、姉ちゃんはパーティーが終わるなりこんなんやで? 狂暴すぎひん? やっぱりこんな女、モンマルトルでパトロンに股開いとったらええねん。売れへん画家やっとけ。
支部の狭すぎる仮眠室でいきなりこんな事されるとは思わんかった。酔っ払ってて思いっきり食らってもた。マジ痛い。
酒のせいなんか、殴られたせいなんか、頭がくらくらする。蛍光灯が明るすぎてガンガンするけど、気を抜いたら姉ちゃんに何されるか分かったもんちゃう。
でもヴィヴィアンの方が怖かったから、こんくらい屁でもない。毎日どつき回されたんやぞ。どこもかしこも青なって、全身筋肉痛でズキズキしたけど頑張ったんや。今更姉ちゃんに殴られたくらいで工作員を辞める気なんかない。
でもクソみたいなアンサロあばずれ女は、ギャーギャー俺の上で喚いてる。
「ルノがやめるて言うまでしばくぞ」
「やれるもんならやってみぃや。俺を殺す事になんぞ」
「もうええ、殺したる」
姉ちゃんは俺の顔面を思いっきり殴りつけた。立たれへん俺の服を掴んで引っ張り上げると、もう一発をほっぺたに食らわせる。勢いよく床に倒れ込んで、俺は床に頭を打ち付けた。
口の中が切れて血の味がする。頭が揺れてるし、痛くて起き上がられへん。
それやのに姉ちゃんは俺の上にまたがったまま、肩で息をしながらこっちを睨んでた。
自分の部屋やった筈の仮眠室は、姉ちゃんのもんになったからか超汚い。あちこちに絵の具やら筆やらが転がってるし、やっぱり脱いだ後のパンツやら靴下やらが散乱してる。俺の周りにも落ちててキモイ。うんざりする。
なんで俺、二十歳の誕生日に殴られてんねやろ。もうちょい祝ってくれてもええやんけ。
そんな事を考えてたらドアが開いた。
「何の音? 大丈夫?」
ダンテの声が聞こえて、姉ちゃんは振り向いた。
チャンスやって分かってるけど、動かれへんかった。視界が揺れてて、気分が悪い。吐きそう。体を起こそうとしたけど、ほっぺたがズキズキしてそれどころちゃうかった。
「ちょっとジジ、何やってんの?」
ゆりが俺の上から姉ちゃんを引きずり降ろした。ダンテは俺を起こしてくれる。どうにか上半身を起こした俺は、床に血を吐いた。ゲロも吐きたい気分やけど、それは流石にカッコ悪すぎて堪える。
姉ちゃんも酔ってんのかもしれん。ゆりとダンテに向かってフランス語で俺のせいやって答えた。まだこっちを殴る気で、拳を握って暴れてる。
狭い部屋に支部長とヴィヴィアンが乗り込んできて、暴れてた姉ちゃんを取り押さえた。ヴィヴィアンが一発殴ったからちょっとすっとした。気持ちいいくらいきれいに決まってたから。もっとやれって思ったけど、口を開く元気はなかった。
「ルノ、しっかりして」
ダンテに揺す振られて、吐き気が限界。
「やめて、吐く」
俺はどうにかそう伝えて、そばにあったゴミ箱を掴んだ。そこに思いっきりゲロ吐いてたら、背中を擦られた。
「大丈夫か?」
顔を上げるとゆりが俺の前にしゃがんだところやった。美味しかったシャンパンを全部ゴミ箱に出した気がする。ゲロからアルコールの匂いがした。
「何があったん?」
「姉ちゃんにいきなり殴られた」
俺は正直にそう答えた。ちょっとすっきりして、ゴミ箱を横に置く。
「なんで?」
「知らんやん、あのアンサロあばずれ女に聞いてぇや」
ゆりはくるっと姉ちゃんの方を見た。
ヴィヴィアンに押さえつけられたクソジジは、何故か半泣きでこっちを睨んでる。困った様子のダンテが俺の隣りで怯えてた。支部長もヴィヴィアンも困った顔してるけど、ゆりだけが怒った顔をしていた。
「なんでこんな事したん? ルノはジジの弟ちゃうん?」
ゆりがクソジジに向かって言うた。
「そうや。せやからこんな仕事辞めてほしいんやんか」
「仲直りしたんちゃうん?」
「それとこれとは話が別や」
暴れようとする姉ちゃんは、ヴィヴィアンが力いっぱい締め上げたみたい。すぐに大人しくなった。流石の暴力女もヴィヴィアンには敵わんって事か。敵には回したくないな。
「とにかく話はあっちで聞くから、お前達はルノを医務室に」
支部長はそう言うと、姉ちゃんを引きずって、部屋を出て行った。
ゆりとダンテは立ち上がると俺に手を差し出す。
「立てる?」
「大丈夫」
俺は自力でどうにか立ち上がると、二人と一緒に医務室に向かった。何回か廊下の壁に手をついて、どうにかこうにか歩く。まだくらくらする。
「なんでルノとジジは仲が悪いやろ」
そんな事を言うダンテを睨んだ。
そんなもん、あの女がクソすぎるからやろ。自分の面倒も見られん奴に、なんで偉そうにされなあかんねん。せめてパンツは洗濯機に突っ込めって、何回も言うてんで? 出来ひんって言われて、床に散らばった服を集めんのはいっつも俺。嫌に決まってるやろ。
「医務室より、ジャメルと飲んでくる」
「何を言うてんの?」
ゆりに怒られながら、俺は医務室のベッドに座った。
ああ、むちゃくちゃ惨め。
不意打ちとはいえ、姉ちゃんに何発も殴られて反撃も出来んかった。あんなに頑張ったのに、なんか意味あったんかな。ヴィヴィアン、姉ちゃんをボコボコに出来るくらい強くしたるって言うたのに。
自分の事が大嫌いになりながら、俺は言われるまま氷をほっぺたに当てた。痛くて声が出そうになったけど、堪える。これ以上カッコ悪いところを見せたくない。ルノ様の沽券に関わる。
泣きたくなってると、ダンテにまた背中を擦られた。
マジでやめてくれへんかな。これ以上、俺を惨めにせんとってくれ。こんな事されると、負けた気がして弱い自分が嫌になる。
「ルノ、大丈夫か?」
ゆりに言われて、俺は顔を上げた。
「大丈夫。あのクソコンヌに処分ないかな」
「処分は無理ちゃうか?」
ダンテが答えた。
「でも吐くほど殴られてるやん」
ゆりが俺の正面に椅子を持ってきて座った。
言わんとってくれへんかな。事実やけど、流石にそれは傷つくで。ゆり、もうちょい優しくしてぇや。酷くない? 俺、誕生日なんやで?
「それでも兄弟喧嘩やし、ジジの気持ちも分かるからなぁ」
ダンテにそう言われてがっかりや。確かにそうやけど、流石に吐くまで殴られた事はないで。このルノ様が姉ちゃんにここまでやられたんて、これが初めてなんやから。
「なあ、マジで飲みに行ったらあかん?」
今はジャメルと思いっきり飲みたい。美味しいテキーラで心の傷の方を癒したいんや。ええやろ別に。ジャメルと二人で行くから、二人に迷惑かけへんやん。
「ルノの頭ってどないなっとんねん」
「さっき吐いたくせに、飲んでいいと思ってんの?」
二人に怒られて、うんざりや。
気分ももう悪くないから、俺は氷を持ったまま立ち上がった。
「平気やからもう行くわ。氷もらっていくで」
俺はゆりに止められる前に、走って医務室を出た。なんか言われてるけど無視した。
まだ会議室でジャンヌもジャメルも遊んでる筈や。せっかく大人になったんやから、合法的に酒を飲みたい。誕生日の俺にはそんくらいの権利あると思うねん。せめて気分良く酔っ払った状態で寝たいやん。
会議室のドアを開けると、酔っ払ったジャメルと笑ってるジャンヌがおった。二人は楽しそうにフランス語で話していて、俺を見るなり目を丸くした。
「何があったん?」
ジャンヌに聞かれて、俺は目をそらした。
「なんもない。それよりお兄ちゃんはジャメルと飲みに行きます」
そして立ち上がったジャメルの腕を引っ張って、とっとと会議室を出た。急がんなゆり達が追ってくるかもしれん。どうせならもっとぐでんぐでんに酔っ払ってから捕まりたい。
思った通り、ゆりとダンテがエレベーターから降りてくるところやった。
急げとジャメルを急かして、俺は会社を飛び出した。
全速力でパリよりはきれいな梅田の街を走ってると、なんか懐かしくて泣けてくる。いつもこうやって走ってたよな、俺ら。全速力で走りながら、ジャメルはケラケラ笑った。二人で肩を並べて走りながら、一瞬振り向くとゆりがこっちを見ている。でも無視して逃げた。
大きい道路を渡ろうとしたら、ジャメルが俺の腕を引っ張った。
「待て待て、流石にもう無理」
ジャメルが肩で息をしながら、立ち止まる。
「ジャメル、もうちょい鍛えた方がええんちゃうか?」
「お前と一緒にするなよ」
信号が赤になったから、諦めて歩道で立ち止まった。
「誰にやられたんだ?」
「ジジや」
「派手にやられたな」
俺は持ってた氷をほっぺたに当てて、溜息をついた。
「誕生日に殴られるって酷くない?」
「どうせルノが悪いんだろ」
「ちょっとは友達を信じてくれるか、ジャメル」
そんな事を言ってたら、今度は別の誰かに腕を引っ張られた。
誰かと思って振り向くと、足元でスケボーが音を立てた。赤い前髪が揺れる。黒髪ストレートの女が俺を見てる。そう、ゆりや。
「え?」
「逃げとんちゃうぞ」
めちゃくちゃ怖い顔をして、ゆりが俺を睨みつけてくる。勢いよくスケボーを踏んで立てると、しんどそうな顔をしたジャメルを見る。それから俺をもう一回見た。
「二人して、何考えとんねん。アホか」
ゆりに怒鳴られてビビった。
だって放っといたらええやんか。俺がどこで何をしようが、全部俺の勝手なんやから。逃げたんはそもそも俺なんやで。ゆりには関係ないやん。
信号は青になったけど、渡られへんかった。
「吐くほど殴られたくせに」
そしたらジャンヌが反対側の腕を掴んだ。お兄ちゃんて呼ばれてびっくりした。よく見たらヨレヨレフラフラのダンテがその後ろをゆっくり走ってきてる。
「みんな心配してんで。戻ろ」
戻りたくなくて、俺はジャメルを見た。
ジャメルはニコニコしながらこっちを見ている。どっちでもいいぜとばかりに笑っとる。俺の気も知らんと楽しそうな顔して。コイツ、ホンマに親友か?
下向いて黙ってると、ゆりが俺の腕を引っ張った。
「せめて社内で飲んで」
「……分かった」
ホンマは嫌やったけど、俺は大人しく頷いた。
頭が痛い。吐き気もする。
二日酔いやなと思いながら、俺は起き上がった。
あれから一週間もずっとジャメルと毎日酒を飲んでる。しんどいけど、今日はジャメルがフランスに帰る日や。せめて見送りくらいはしたいやんか。でもだるくて起きるのがつらかった。
姉ちゃんとは口もきいてない。
嫌んなって、全然家に帰ってない。
毎晩ジャンヌからラインが来るけど、いっつも姉ちゃんの愚痴や。あのクソジジ、相変わらずらしい。俺が帰らんせいで家の中が大惨事で、ジャンヌもうんざりしてるんやって。
ずっとジャメルの泊ってるホテルで勝手に寝起きしてる。
アイツ、毎晩楽しそうに女の子と遊んでるから、ほとんど戻って来んしええやろ。 今日は流石に戻ってると思うけど、もう片付けは済んだんやろか。
部屋のソファーで寝たせいで全身が痛い。こんな狭いところで寝るもんやないな。頭をかきながら辺りを見回すと、ジャメルがベッドで気持ちよさそうにいびきをかいてるのを見つけた。
正直、めちゃくちゃ寂しい。
一週間、ジャメルと大阪を遊び歩いて、行く先々で酒を飲んだ。タバコを吸って、女の子を口説いては笑ったんや。まるで工作員になる前に戻ったみたいに、毎日めちゃくちゃやって遊んだ。ホンマに楽しかった。
せやからジャメルに帰ってほしくない。ホンマは一緒にパリに戻りたい。戻って二人で遊んでたい。
でもジャメルの言うとおりに、少しは勉強してみようと思ってん。なんかの役に立つかもしれんやん。ほとんど身にはついてないけど、それでもやってみようと思ったんや。
そんな事、姉ちゃんにだけは絶対に言わんけどな。
寂しいけど、笑顔で見送るつもりや。
ベッドまで行って、ジャメルの肩を叩いた。
「なあ、飛行機の時間ええんか」
酒臭いジャメルは眠そうな声を上げながら起き上がった。
「帰りたくねぇ」
俺はジャメルを放置して、鏡に向かう。ボサボサの髪の毛を軽く梳いて、着てたシャツを整えた。くちゃくちゃになった白い襟のあるシャツには、よく見たら誰かの口紅の跡が残ってる。別にええけど。
もぞもぞ布団を出てくるジャメルが、大きく伸びをした。眠そうにあくびをしながらこっちに来る。
よく見たらジャメルのシャツもくしゃくしゃやった。おまけに胸にはいっぱいキスマークがついとる。ボサボサの頭を整えて、顔を洗った。
パリじゃ、いつもこんなんやったなぁ。
俺はジャメルんちのソファーで起きて、うんざりしながら家に帰る。ジャンヌの弁当を作って、姉ちゃんの散らかした家を片付けんねん。朝から酒を飲んで、ハシシを吸う。学校はバックレて、二人で裏路地に立ってたっけ。
もうずっと昔の事みたいや。
ジャメルはどうなんやろ。
なんも言わんと、スーツケースにぽいぽいと服を投げ込んでくんよ。大して荷物がなかったくせに、おみやげにってコンドームを山ほど買い込んどる。何個か使ったみたいやけど、何を考えてんやろ。そんなもん、どこで買っても一緒やろに。
「なんでそんなん買うたん?」
「知らねぇの?」
ジャメルは立ち上がって、あいてるゴムの箱から何個か出してくる。
「日本製のコンドームって使い心地最高なんだぜ? やるから使ってみろ」
「使う機会ないんやけど」
「そんなんでいざという時に困んねぇの?」
「ここは日本や。コンビニ行ったら売ってる」
「一応持ってろよ」
ジャメルは俺の手にゴムを三つも押し付けてきた。
いらんって言うてんのに、しゃあないな。いつ使うか分からんのに、こんなもんどうせぇ言うねん。一人じゃわざわざ飲み屋で女の子を引っ掛けんのも面倒なんやもん。もうずっとご無沙汰や。
でもありがたくコンドームはポケットにしまっとく事にした。忘れて洗わんかったらええんやけど。
ゴムでパンパンのスーツケースを持って、二人でホテルを出る。
ホテルの外ではダンテとジャンヌが待ってた。黒の車が止まってて、中には姉ちゃんがおるみたいやった。
スーツケースを積み込んでから乗ると、むすっとした姉ちゃんと鏡越しに目が合った。俺は無視して後ろの席に座る。姉ちゃんがなんか言いたそうな顔をしてたけど、そっぽを向いて無視した。
ジャメルが嬉しそうにダンテと握手しながら乗り込んでくる。ジャンヌは助手席に座った。ジャメルとダンテは楽しそうに英語で話をしてる。
車が走り出してしばらくすると、ダンテは俺を見た。
「ルノもジャメルさんもお酒臭くない?」
「昨日も飲んでん。ええやろ別に」
「昨日もなん? 飲みすぎちゃうん?」
「お兄ちゃんやったらいつもの事やで」
ジャメルになんて言うてるか聞かれて、俺は外を見ながら答えた。飲みすぎや言われたって。ジャメルは嬉しそうやった。
「おいルノ。言ってくれよ、日本の女の子は最高だったって」
「嫌や。俺は好みちゃうもん。ヤッてへんし」
するとジャンヌが最低ってこっちを見た。
わざわざダンテにも分かるように日本語使わんでもええやん。酷くない? お兄ちゃんの事、なんやと思ってんねん。
そんで何がって聞くダンテに、ちゃんと日本語で説明しよった。こんな女とは縁のなさそうな奴に聞かせんな。そんな事を内心思ってたけど言わんかった。反応に困ってるやろって、言うたるべきなんやろけど、そんな元気はない。
窓の外には海が見えてきて、まぶしい朝日が照ってる。
なんでよりによって姉ちゃんが送りに来んねん。支部長とか他にも頼める人、おったんちゃうんか。
そんな事を考えてたら、空港に着いた。
めちゃくちゃ寂しいけど、俺は出来るだけ顔に出さんように笑った。
家に帰ったら姉ちゃんにまた殴られるかもしれん。流石にジャンヌの前ではやらんと思うけど、分からんやん。ただの姉ちゃんやない。コイツはクソジジなんやで。何されるか分かったもんやない。
姉ちゃんは車で待ってるって言うから、三人で出国ゲートまで送る事にした。ダンテとジャンヌは後ろをついてくるから、俺とジャメルで前を歩いた。
空港を歩く足は重い。
でもジャメルとは出来るだけ楽しい話をした。一昨日二人で行ったキャバクラの女の子の事とか、ゲーセンでジャメルが取ってた小さいぬいぐるみの事とか。あと、昨日二人で食った串焼きがどうのとか。
ジャメルは楽しかったなって、寂しそうに笑うんよ。その顔を見てるんが、やっぱりちょっとつらかった。
ゲートの前で、ジャメルとポワンをした。それからデカいジャメルの肩を叩く。いつもとおんなじように笑ったつもりやったけど、ちゃんと笑えてたか自信ない。柄にもなく泣きそうになって、ジャメルの顔もマトモに見られへんかった。
ダンテとジャンヌも順番に挨拶して、ジャメルは手を振りながら行ってしまった。
また会えるよな。
ちょっと不安になりながら、ゲートを見てたらジャンヌに呼ばれた。行こうって言われて、俺は頷いた。
ダンテがこっちをちょっと心配そうに見てたけど、気付かんかったフリをする。
頭が痛い。早よ帰って寝よ。
車に戻る前に自販機で水を買うた。喉が渇いて死にそうやってん。そういやまだ朝も食べてない。ギリギリまで寝てたなぁ。ジャメルは大丈夫なんやろか。
ダンテが姉ちゃんに電話を掛けて、どこにいてるんか確認する。俺はそれを待ちながら、のんびり水を飲んだ。ジャンヌが俺を見て、背中を叩く。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫、二日酔いや」
そんな話をしてたら、何故か後ろから思いっきりタックルされてひっくり返った。ついでに重いスーツケースがぶつかってくる。めちゃくちゃ重いのんで、後ろから押しつぶされた。冗談なしで、ぐえって言うた気がする。
「誰やねん、前向いて歩けや!」
起き上がって振り向くと、何故かさっき出国ゲートに行った筈のジャメルがオレにしがみついてた。ゴムでパンパンのスーツケースが転がってる。
「ジャメル?」
「おいルノ、オレは何もしてないって言ってくれ」
「はあ?」
目の前に車が止まる。
「早よ乗れ」
姉ちゃんの怒鳴り声が聞こえた。
真剣に怒鳴ってたから、ダンテとジャンヌがジャメルを急いで立たせる。俺も立ち上がった。スーツケースを引っ張り寄せると、ジャメルは車に飛び乗った。俺は急いでダンテとジャンヌを乗せて、後ろを確認した。
いたって普通の駐車場には何故か銃声が何発も響いてて、ガラスが割られて飛び散る。目の前の車にも穴が開いた。俺の目の前で車の窓ガラスも割れた。
バイクがこっちに近寄ってきてて、銃を撃ったんはそいつやった。小さい拳銃を片手でこっちに向けてる。それとは別に後ろから男が何人かこっちに向かって来てるのが見えた。
まだ意味が分かってなさそうな様子のジャメルに、ふせろって怒鳴る。それから急いで車に滑り込む。必死でドアを閉めようと引っ張ってると、姉ちゃんが乗ったのだけ確認したらしい。ドンってアクセルを踏んで、車は勢いよく走りだした。
パニックになって叫び倒すジャメルを、ダンテが黙らせようとしてる。ジャンヌがふせたまま、泣きそうになってるのも分かった。
俺はとにかくドアを引っ張って閉めた。重いドアはなんとか閉まる。
俺は出来るだけふせたまま、姉ちゃんを見た。
「何があったん?」
「急に撃ってきよったんや。狙われてる」
「誰が何に?」
「知る訳ないやろ」
少し顔を出して辺りを見回す。
バイクはもう追ってきてないらしい。白い車体とおそろいのヘルメットを脱ぐ姿が見える。黒い髪の毛が揺れてて、ピタッとした黒のスーツ姿やった。こいつ、どっかで見た事がある。そうや、確かミランダやっけ?
ミランダはジャメルを追ってた黒づくめの男と、何かを話をしながらこっちを見てる。
一番小さいジャンヌに姉ちゃんの横に行くように指示して、俺はジャメルのスーツケースの上に座った。そのまま辺りを見回すけど、武器になりそうな物は何もなかった。
まだギャーギャー言うてるジャメルの肩を叩いて、大丈夫やからちょっと黙れってフランス語で言うた。ジャメルはようやく黙る。座席の下に小さくなったダンテを見ると、ダンテは半泣きでこっちを見てた。
「姉ちゃん、銃は?」
「ある訳ないやろ」
ジャンヌが助手席に座ったのを確認して、俺はそのままシートベルトしとけと伝える。せん方がええんかな? また撃たれるとしたら、すぐにふせられた方がええかもしれんけど危ないやん。よりによって姉ちゃんの運転なんやぞ、信用ならん。
姉ちゃんは運転に必死でそれどころちゃうみたいやし、俺がしっかりせなあかん。こんなんでパニックになってる場合やない。ヴィヴィアンに何回も言われたやん。まずは落ち着けって。落ち着いて状況を確認しろってしつこいほど言われたん、もう忘れたんか?
俺は深呼吸をする。
しっかりしろ。俺はパリの悪魔のルノ様やろ。今更銃が怖いんか? そんな訳ないやろ。怖いのは出来てないってヴィヴィアンにしばかれる事や。
「ダンテ、支部長に電話して」
それから前を見る。なんか姉ちゃんがつらそうな顔してる。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
ジャンヌが泣きそうな声で言うた。
「かすっただけや。ええから誰か早よ連絡して」
よぅ見たら姉ちゃんは肩から血を流してて、痛そうに顔をゆがめてた。そんなにいっぱい出てる訳ちゃうけど、このままに出来ひん。どうしよう。
ダンテが電話を持ったのを確認して、俺はジャメルのスーツケースを開けた。確か、タオルを持ってた筈。山盛りのコンドームをどけて、ちらっと見えた白いタオルを掴む。それを姉ちゃんに急いで渡した。
「これで押さえて」
姉ちゃんは黙ってタオルを掴むと、肩に押し当てた。片手運転させたくないけど、そんな事を言ってる場合ちゃう。そこそこ出血しとるみたいなんやもん。
ダンテが身を乗り出して、姉ちゃんを見る。
「ジジ、追手は?」
「分からん。いてへんと思う」
俺はとりあえず引っ込むと、ジャメルを見た。
「なにがあったん?」
「ゲートで妙な男に囲まれたんだよ。なんか言われたんだけど、分かんねぇから逃げた」
「なんかてなんや?」
「英語だったんだけど、勘違いされてるっぽかったぞ。よく分かんねぇよ」
「それじゃ分かれへんやん」
俺は溜息をついて、窓から外を見る。
空港から続く一本道や。どの車も同じ方向に走ってるから、流石にこれじゃ追われてるかどうかなんて分かれへん。少なくともあのバイクのミランダはいてないけど。
スピーカー通話になったらしい。支部長の声が聞こえてくる。
「追われてない事を確認して、どこかひとけのないところでその車を捨ててこい。その辺の車を借りて支部まで真っ直ぐ戻ってくるんだ」
「どうやって確認すんの?」
「どこでもいいから、ぐるぐる同じ道を走るんだ」
姉ちゃんは高速にのらんと近所の道を選んで車を走らせる。スピードを落として、普通の車に紛れてるつもりやろけど、窓ガラスバリバリやからあんまり意味ないんちゃうかな。
冷や汗かいてるみたいやけど、姉ちゃんは平気そうな顔をしてた。いつもと違ってしっかりしてるみたいや。普段、あんなに頼んないのに。部屋でひっくり返って絵を描いてる時とは全く違う。
「スーツケースどうしたらええん?」
「ジャメルくん、まだ一緒なのか?」
「うん、いてる」
ダンテが困った顔をする。
「調べられたら厄介だから持ってこい」
「そんなすぐにレンタカーって借りれるもんなん?」
姉ちゃんが電話に向かって言う。
「アホか、盗んでこいって言ってるんだ」
支部長が凄い真面目な声でめちゃくちゃな事を言うてる。銃声のせいで耳が悪くなったんかと思ったわ。堂々とそんな指示するか、普通。
「そんなんどうやるんよ? うちやった事ないで」
「ルノとジャメルくんなら出来るだろ」
いや流石に酷い。
俺もジャメルも人の車を盗んだ事はない。確かにパトカーを燃やした事はあるけど、あの時はめちゃくちゃ酔っとった。それにポリ公に腹が立っとったから、なんでも出来てもたんや。たまたまやんか。若気の至りってやつやん。
「ちょっと待って支部長。俺もジャメルもそんなんやった事ないで」
「なんだ、悪さしてたんじゃないのか。まあいいや、ヴィヴィアンに訊いてくるから待ってろ」
ちょっと待て、ヴィヴィアンはやった事あるんか? 一体あの人は過去に何をやったんや。今更よぅ訊かんけど、前科どんなけあんねん。怖すぎんか。
ちらっとダンテを見ると、めちゃくちゃ困った顔で俺の事を見つめてくる。この様子やと、ダンテも知らんかったっぽいな。ダンテも知らんって事は、支部長しか知らんねやろな。黙ってたんかもしれんけど。
おんなじ道をしばらくぐるぐる回って、姉ちゃんは辺りを見回した。ジャンヌがあそこはどうやって駐車場を指差す。程よく人がいないところで、ぽつぽつと車が止まってる。
海沿いの小さな駐車場に入ると、車は止まった。
姉ちゃんが一番に降りて走って来る。
ジャメルとダンテを引きずり降ろして、俺はスーツケースを持った。姉ちゃんが急いだ様子で俺を引っ張る。
「で、どうしたらええん?」
ダンテの電話に向かって姉ちゃんは尋ねる。
「聞こえる? 運転席の窓を割って。配線いじったらエンジンかかるから」
ヴィヴィアンの声が聞こえて、姉ちゃんはその辺に落ちてた大きめの石を拾い上げた。一番近くの黒い車の運転席にそれを叩きつけたら、割と簡単に窓は割れた。
「割ったで。配線ってどうすんの?」
「そんなもんちょちょいのちょいやん」
「それで分かる訳ないだろ」
「ハンドルのところのやつやって。映画とかで出てくるやろ」
ドアを開けて困った顔をする姉ちゃんを押しのけて、ジャメルが座席の日よけをいじった。そのまま運転席に座る。どこからともなく鍵を見つけて、ジャメルは簡単にエンジンを掛けた。
「バレるぞ、乗れ」
なんでそんなん知っとんねん。
俺はそんな事を考えながら、車のトランクにスーツケースを乗せた。ジャンヌがジャメルの隣りに座ったから、俺は姉ちゃんとダンテを後ろに乗せる。辺りを確認してから俺も乗り込んだ。
ジャメルが車を運転してるところなんて、何年振りやろ。もう長い事、見てへん。そういや運転出来たよなって思い出した。俺なんか運転せんやろからって、車の免許は取ってないのに。姉ちゃんみたいにちゃん取っとくべきやった。いざという時は無免許でええやろって思ったんやもん。しゃーないやん。
隣りに座ってる姉ちゃんを見た。
そういや忘れてた。怪我してたんやっけ? 俺は姉ちゃんの肩を見た。肩っていうか、腕の付け根のところやった。浅いけど、血は止まってない。タオルをはがすと、それを広げてきれいに長くなるように畳んだ。それで傷のところをきつめに縛る。
姉ちゃんの横で小さくなるダンテを見た。ダンテは少し落ち着いたような顔をして、電話に向かって尋ねる。
「このまま戻ってええの?」
「真っ直ぐ戻ってこい」
姉ちゃんはジャメルに向かって、フランス語で道を伝えた。それを聞いてたら、なんかホッとして、俺はシートにもたれた。姉ちゃんよりはジャメルの運転のが安心や。よそ見せんし。
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