第2話

翌朝、俺はセフィリアの腕の中で目を覚ました。寝返りを打つたびに、彼女の体温が背中に伝わってくる。


「レオン様、おはようございます」


耳元で囁くような声。振り向くと、セフィリアは既に目を覚まし、俺の顔をじっと見つめていた。その瞳は、まるで深淵を覗き込むかのように、俺の魂を吸い尽くそうとしている。


「ああ、おはよう」


気だるさを感じながら、俺は答えた。その時、扉の外から慌ただしい足音が聞こえてきた。


「レオン様!いらっしゃいますか!?」


焦ったような、それでいてどこか興奮した声。それは、この帝国の天才魔法使い、エリスの声だった。


「…まずいな」


俺がそう呟くと、セフィリアの表情がわずかに険しくなった。彼女はゆっくりと身体を起こし、ベッドから降りる。


「無礼者め。レオン様の休息を邪魔するなど…」


セフィリアが扉に向かおうとするのを、俺は慌てて引き止めた。


「待て、セフィリア。落ち着け」


「しかし…」


「いいから。俺が出ればいい」


俺はそう言って、セフィリアをなだめ、扉を開けた。そこに立っていたのは、顔を真っ赤にしたエリスだった。彼女の白いローブは乱れ、髪も少しばかり跳ねている。


「レオン様!大変です!」


エリスは息を切らしながら、俺の手を掴んだ。その手は、冷たいはずなのに、熱を帯びているように感じる。


「どうしたんだ、エリス?そんなに慌てて」


「あの!その!…昨夜、レオン様の部屋から、女の声がしたと!」


エリスの視線が、俺の背後、セフィリアの姿を捉えた。瞬間、彼女の顔が怒りで歪む。


「セフィリア!お前、まさかレオン様と…!」


エリスの声が、部屋中に響き渡る。セフィリアは、冷たい眼差しでエリスを見返した。二人の間に、目に見えない火花が散る。この状況、俺にとってはもう見慣れた光景だった。


「当然ですわ。レオン様は私のものですもの」


「何を言ってるのよ!レオン様は、私の魔法の師匠なのよ!私の一番弟子である私が、傍にいるのが当然じゃない!」


「師匠であることと、一夜を共にするのは別の話でしょう。あなたはただの弟子。私は…」


セフィリアはそこで言葉を切ったが、その瞳は雄弁に「私は彼の所有物」と語っていた。


俺は頭を抱えたくなった。毎日がこの調子だ。俺の周りの女たちは、俺を巡って常に争っている。最初は少しばかり優越感があった。だが、今ではただの疲労と、言いようのない恐怖だけが残る。


「まあまあ、二人とも落ち着いてくれ」


俺が仲裁に入ると、二人は渋々といった様子で睨み合うのをやめた。しかし、その視線はまだ俺に集中している。


「で、エリス。それで、何が大変なんだ?」


俺が話を戻すと、エリスはハッとしたように顔を上げた。


「あ、はい!実は、侯爵令嬢のクリスティア様が、レオン様にお会いしたいと、今すぐにでもと…」


クリスティア・フォン・ヴァインシュタイン。この帝国の名門侯爵家の令嬢であり、俺の三番目の"所有者"だ。彼女は俺の瞳の力で、その高慢な性格を一変させ、俺に心酔するようになった。そして、貴族の権力と財力を使い、俺の行動を完全に把握しようとする。


「クリスティアが…また何か企んでいるのか?」


セフィリアが低い声で呟いた。彼女とクリスティアの関係は最悪だ。クリスティアはセフィリアを「野蛮な田舎者」と罵り、セフィリアはクリスティアを「傲慢なクソ女」と呼ぶ。


「ええ、それが…どうやら、皇帝陛下に、レオン様を『陛下直属の魔導顧問』として推薦したとかで…」


エリスの言葉に、俺は思わず目を見開いた。


「はぁ?俺を、皇帝陛下の魔導顧問に?」


それはつまり、俺がもっと帝国の中心部に引きずり込まれるということだ。そして、皇帝陛下の直属となれば、これまで以上に多くの人間の目に触れることになる。当然、俺の周りの女たちも、俺を巡る争いを激化させるだろう。


「クリスティアめ…レオン様を、自分の手の届く範囲に置こうと…!」


セフィリアが、怒りに震える声で言った。彼女の拳が、カチカチと音を立てる。


「そんなことさせないわ!レオン様は、私と研究をしてくれるって言ったじゃない!」


エリスもまた、顔を真っ赤にして叫んだ。彼女は、俺の持つ特殊な魔力に興味津々で、事あるごとに俺を研究室に連れ込もうとする。


「俺は…別に、魔導顧問になりたいわけじゃ…」


俺が言いかけたその時、遠くから高らかにファンファーレの音が響いてきた。それは、貴族が来訪する際に鳴らされるものだ。

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