第5話

「この前のお礼なんですが、ご迷惑ですか?」


 隣の席の彼女が、手作りのクッキーを差し出してくれた。


「まあ、嬉しい。甘いものは嫌いじゃないのよ」


 好きでも無いが、心より嬉しいと表現して見せると、恥ずかしそうに彼女は笑った。

 そして前の席の男子生徒からも、小瓶を渡された。


「ああっ、その、この前のペンのお礼に……」

「あら、お気遣いさせてごめんなさいね。いいの、このインクはクレシアの一級品だけど? そうだったわね、あなたの実家の特産品ね」

「知ってるのか! いや、ご存じでしたか!」

「同じ学友ですから、言葉遣いにそこまで気を使わなくても。友達には対等に口をきくことを許します」

「有難い、俺はどうも口下手で……あんた気さくで本当はいい人なんだな」


 前の席の彼も交えて語らっていると、今まで遠巻きだったクラスメイト達が話しかけてきた。

 いつしか、過去の戦場の仲間たちと同じように、私は皆と楽しく笑い溶け込んでいた。

 それは、どこまでが演技だったか自分でも、わからない程に。


 いつもは黙っている授業の最中も、私はあえて手を挙げて前に出た。


「ですから、ここの方式はこの単位を入れるのです。理由は例えば、この方式であるとすると、先ほどの……」


 授業中、私の言葉に皆の視線が集まり、最前列の生徒がうなずく。その反応に、私は思わずほっとした。


「素晴らしいです! ちゃんと方程式の仕組みを理解されていますわ」

「これは民への税率を計算する時にも応用できますので、皆さまの立場でしたら知っていて損ではないと思います。正しく計算する事は領民や国民への負担軽減にも繋がり……」


 最後は教師まで聞き入っていたが、この程度の内容なら私でも簡単だ。

 かみ砕き、わかるように例えて理解させる。

 この知識が、いつしか彼女達の役に立つと嬉しいものだ。


 鐘の音が教室に響き、授業が終わる。生徒たちから拍手が送られ、私は思わず顔を上げた。以前なら、こうした場面に面倒くささを感じていたかもしれない。でも、今は違う。彼女たちの温かい拍手が、何だか心に染みる。少しだけ、嬉しいと思う自分がいることを自覚した。


 昼食は、昨日友達になった彼女達が誘いに来た。

 本来なら、王子と共に食事をとらされるのだが、彼女達の姿を見て彼は引いてくれた。


「学友との交流は大事なものだ。俺は気にせず行って来るといい」


 もしかしたら彼女達は、使えるかもしれないと、一瞬閃いた私を見抜くように


「まあ帰りも一緒だし、同じ城だから昼食程度はね」


 意味ありげに笑って去られ、それでも私は王子より気を抜けそうな彼女達と園庭に食事に出かけた。

 広い園庭の芝生には、食事を受け付けるテーブルがある。

 そこで食事を注文して、食べる場所を知らせると、敷物を敷いて場所を作ったのちに、選んだ食事を運んでくれるのだ。

 中の食堂と違い、外で食べるメニューは汚れにくいパン系がメインとなっている。

 生徒は好きな方を選んでいいのだ。

 ちなみに、王子だけは食堂だろうが園庭だろうが、王族専用の特別エリアでの食事となる。


 もしかしたら、これだけの同じ年の女性と食事をとるのは初めてかもしれない。

 野戦ではなく、上品な食事であっても、やはり共に食べるというのは親睦を深めるものだ。


「ところで殿下とはどうなんですか?」


 十名近い人数で一斉に輪になって食事をするのは、なかなかの圧巻だ。

 いくつか複数の敷物の上で、各自の食事を楽しみ始める。

 皿に食べかけのサンドイッチを戻した私は、質問の意味を理解しかねた。


「どうとは?」

「恋の発展ですわ」

「恋……」


 一番苦手な分野の話が来てしまった。

 そういえば、この年頃の女性は、この手の話が好きだったな。


「たとえば、恋というのは、どんなものなのですか? 私は戦場が長くてわからないのです」


 素直に彼女達に教えを乞うてみた。


「まあ、なんて不憫な」

「アナ様、たとえば共にいて胸がドキドキするとかです」

「気が付けば、殿下の事を考えているとか」


 胸がドキドキ……動悸の事か? そして彼の事を考えて……。


「今、おっしゃって頂いた内容全てに該当いたします」


 きゃ――っと彼女達全員が歓声をあげた。


「近くにいるとドキドキする時はあります(戦場の癖)それと、気づけば殿下を(対応について)考えていますね」

「それこそが恋ですわ」


 彼女達の盛り上がりに、内心引き気味になりつつ、そんなものかと私は残った食事を流し込んだ。

 教室に戻り席につくと、机の中に違和感を感じ探ると、手紙が入っていた。


『あなたと話がしたいです。美術室で放課後』


 名前も書いていない手紙だが、筆跡で誰だかわかった。

 口元で小さく微笑み、手紙を小さく折りたたむ。


「何か良いことがあったんですか?」


 となりの彼女が私の笑みをみて声をかけて来た。


「ええ、問題が解決しそうなの」

「それは良かったですね」


 授業が終わり、皆が私に声をかけて帰っていく。

 随分と立場が様変わりしたものだ。今朝の出来事も関係したのか、皆が私に好意的になっている。

 空気でいた頃より気遣いは必要だが、心地よい疲労感が私を包む。

 誰もいなくなった教室で、私は立ち上がり誰もいない場所に向かって声をかけた。


「そこにいるんだろ? ニト様に少し待ち合わせに遅れますと伝えてくれ」


 窓の外から、帰路につく生徒たちの声が聞こえてくる。

 うっすらと太陽が夕日に色を変えていく。

 私以外の姿が見えない教室で、見知らぬ声が小さく聞こえた。


「何か危険が?」

「まさか、相手はただの女学生だ。ともかく宜しく」


 一つの気配が音もなく消えた。

 けれど私にはわかる。

 もう一つの気配が音を出さずに私のそばにいる。

 それこそが、王家の影だ。

 王家の秘宝を使った、姿も音も自在に消える衣を身にまとった者たち。

 詳しくは機密であるため知らないが、彼らは最低限二人で一組である。

 片方がダメになった場合のスペアとして。

 その衣については、身に着けた者の命を吸うと伝えられている。


「うちにも一枚あったけど、適正が厳しいし、あげくに体力の消費が半端ないんだよな」


 ともかく手紙の場所に私は向かう。

 三階の片隅のある美術室の扉の前に辿りつく。

 どうやら待ち人は先にいるらしい。

 そして、中から感じる気配に私は目を細めた。

 懐かしい感覚だ……、これは、殺意。


 影も気づいたのだろう。私より先に動こうとするのを目で制した。


「この程度は処理できる。出過ぎた真似はするな」


 スッと後ろに下がったのを確認して、私は扉を開けた。

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