第4話
「たった一日で大したものだな」
次の日の登校の馬車で、王子は私にそう言った。
彼の向かいに座りながら、私は窓の外に視線を向けている。
「まだ成果はわかりませんよ」
「影からの報告を聞いた。流石はアナだ」
外の風景では、まもなく学校に到着しそうだ。
この平和な街並みを見る度に、故郷の復興も進んでいるといいと願う。
その為に、私はここにいて目の前の王子の言いなりになっているのだから。
敗戦を受け入れ属国となる条件が、私の身柄を王子が引き受ける事と知り、わが祖国は激怒した。
父などは、いっそ名誉ある死をと叫んだが、王子の一喝で皆が黙った。
『恥だろう何だろうと、生きて幸せを掴む機会を奪うのは、親であろうと許されない!』
捕虜であるのは事実だが、辱めを与えるつもりはなく、王子個人が全力で私の責任を取ると宣言したのだ。
本来であれば、一族全て処刑を免れ、大国の擁護下において、むしろ祖国は以前より安定した治世を送れると約束してくれた。
そして、王族も第二支配権を持って、いわば辺境伯の位置づけのように、王族としての面子と支配権は確保された。
馬車が音を立てて停止した。
彼のエスコートにより、ヒラリといつものように降りて学園の正門に共に向かう。
いつものように朝の登校を続けて、まもなく三年目。
それも、あと少しで終了だと思うと、今更ながらに色々と感じるものはあるものだ。
見慣れた景色と、何も知らずに無垢に学びを楽しむ同学年の彼女達を見て、祖国の格差に愕然とした気持ちもあった。
けれど、今ではそれこそが私達の欲しかった大事なものなのだと理解できる。
命の不安もなく、ただ純粋に恋をして学びたい知識を学び、友と語らう。
その世界の為に、この男は戦い今後も守っていくのだろう。
いつもなら遠巻きに私達を見守る学友たちが、なぜか今日は私達を見て頭を下げて微笑みすら称えてくる。
隣にいる王子の手前、礼をされるのは当然なのだが、どうも視線のというか雰囲気が違う。
違和感を感じつつも、私は昨日から実践している挨拶を始めた。
「おはよう皆さま」
通り過ぎる度に、私は小さく愛想よく手を振った。
すると、どうだろう。
昨日までは硬直していた生徒たちが、少なからず反応してくれた。
「お、おはようございます」
「殿下とフリージア様に朝の挨拶を」
まだぎこちないながらも、久しぶりに私の国の名をこの国で聞いた。
感動で胸が震えつつ、校舎に向かっていく。
校舎の入り口に、複数の女子生徒が集まっていた。
何事かと、反射的に王子の前に半歩出て彼を護衛する形をとったが、即座に腕を引かれて後ろに下がる形になった。
「ニト様」
「心配ない、ただの学生たちだ。それより俺に恥をかかせるな」
「恥?」
「惚れた女を前に出すほど、おちぶれていない」
まだ冗談の余裕があるなら大丈夫だろう。
彼女達は私達の姿を認めると、一斉に深くカーテシーにて礼をした。
「おはようございます殿下、それとフリージア様」
「おはようみんな。ところで、どうしてここで集まっているんだ?」
彼の問いに彼女達はゴクリと決意した顔で、今度は深く頭を下げた。
「私達はまずフリージア様に謝罪したかったのです!」
「謝罪?」
彼がこちらを見たが、私も小さく顔を横に振る。
彼女達は別に私に危害をくわえたわけでもなく、ささいや嫌がらせなど何も感じてはいなかったのだが。
「昨日、フリージア様とお話をして、私達の愚かな心を正してくださいました。本当に申し訳ありませんでした」
「皆さま、何がどうなのかわかりませんが、お気になさらず。お顔をおあげになって」
私が優しく促すと、涙目の彼女達がより感極まった声で感謝を述べた。
「このような私達まで労わって頂けて、自らも敵国であった我が国に来られて大変だったでしょうに、なのに私達の心にもない態度を許して頂ける」
「自分が恥ずかしくなります。王子は傷ついたフリージア様を思ってのご婚約なのに、浅い嫉妬心から嫌がらせばかり」
「なのに何事もなかったかのように許すだけでなく、昨日は私達と友達になろうとまで言って頂けて……」
朝から彼女達は元気なもので、再びハンカチを取り出して目元をぬぐう者もいる。
チラリと王子を見ると、一瞬だけ口元が笑っていたので、この状況を楽しんでいるのだろう。
そして、何も言わないという事は、私に収めろという事だ。
いつしか、他の登校の生徒たちも私達の後ろに集まっている。
まあ入り口で、こうやって私達が塞いでいるのだから当然か。
早くしないと授業が始まるなと、私は締めにかかった。
「どうかもう謝罪はなさらないで、私達は友達でしょう?」
「……フリージア様」
「どうかアナと呼んで下さいまし。リリス様、フローリン様、あとサラ様にアンリエッタ様……」
「私達の名前をご存じなんですね」
「当然ですわ。お友達ですもの」
便利な言葉だなと友達を連呼しながら、相手の名と顔を覚えるのは王族ならば当然なのだが。
より、感極まった彼女達が大声で宣言した。
「私達は、永遠にアナ様の良き友であり殿下との幸せを応援致しますわ!」
その途端に、周囲から割れんばかりの拍手喝采が鳴り響いた。
感動に包まれた場を、突然一人の女生徒の怒鳴り声が切り裂いた。
「あなた達は何を勘違いしてらっしゃるの!」
聞き覚えのある声は、やはり私に突っかかる伯爵令嬢の彼女だ。
「おはようございます。セイラ様」
「馴れ馴れしく、私の名を呼ばないで頂戴」
強気で噛みつく姿勢に、周囲は一瞬にして騒めいた。
(なかなか勇気があるな、この雰囲気でも己を貫くのは。愚かか自信があるのか)
今度こそ、王子ではなく私が一歩前に出て彼女と対峙した。
殺さんばかりに睨みつける私の視線を軽く受け止め、彼女の言葉を待つ。
だが、口火を切ったのは私の背後の新たな友人たちだった。
「いい加減になさいまし、セイラ様。殿下が決めた事柄にそもそも口出しは無用ですわ」
「たとえアナ様が敗戦国の出であろうと、私達とは違う王族に違いありません」
「アナ様が婚約者をやめたとえ、セイラ様が選ばれるとは限らないのです」
昨日まで仲間だった者たちに諭されても、セイラはワナワナと震えるばかりで怒りの覇気は消えることはない。
むしろ裏切られたとばかりに、彼女達にまで怒りの矛先を向けた。
「よくも……その負け犬の女に同情でもしたのね。本来なら縛り首の女が生き延びている理由なんて、殿下を色仕掛けで落としたに違いないでしょ!」
今度こそ周囲は完全に停止した。そのあまりの侮蔑の内容に、ざわつく気配すら硬直してしまう。
彼が動こうとした瞬間に手で軽く制して、私はあえて悲し気な顔を作って演技した。
「ひどいわ……けれど、私の命を救って頂いた殿下には恩義があるのは事実です。そして敵国だった私は、この国では罵られても仕方のない存在ですわね」
偽の涙を器用に流せる術がないので、両手で顔を覆うと、どよめきの声が上がる。
「私も戦場に出ました。きっと、この国の方々を沢山傷つけました。私の国の者も傷つき、私はいつも辛かった」
本当は辛いというより悔しかった。
あと少しの時間があれば、あと少しの資金や物資、兵士がいれば戦況を変えられたのにと。
互いに命をかけた殺し合いなのだ。一方的に恨みを持つのは勝手だが、ならば戦場に来るなが私の本音だ。
このあたりの思考の違いが、根っからの武人の私と平和主義の彼女達との格差なのだと思う。
そして、平和である今は彼女達の思考が正しいのだ。
それを想定しながら、言葉を選び周囲を味方につけていく。
「あなたに見せる顔がありません」
いや、実際には何をどう話せばいいのか、わからなくなったのだが。
私の困惑がわかったのか、小さくプッと笑う王子がいる。
顔を覆ったままの私を庇うように、周囲の皆がセイラに抗議の声を上げ始めた。
「戦争は互いに責任があり、王女だけを責めるのは間違いだ」
「和平のために来ている王女を虐げる必要はあるのか」
「そもそも、彼女はただの自分の嫉妬心を王女にぶつけていただけだろう」
「ずっと見ていて不愉快だったわ、伯爵令嬢だからって好き放題して」
「そもそも王族に対して侮辱罪を適用されてもおかしくないのよ」
あまりにも四面楚歌に陥った彼女は、青ざめて今にも気を失いそうだ。
これはいけない。弱い犬であろうと、追い詰めればロクな事はない。
私が手を挙げると、皆が一斉にシンと静まり返った。
「彼女は殿下愛しさに、少し混乱してしまったに違いありません。それ程に殿下をお慕いしているだけです」
「それでも、彼女があなたを虐げた事に違いはないでしょうに」
文具や参考書を隠したり、近くに来て集団で小鳥のように鳴いていたり、あとは水浴びを何回かする程度だな。
あれが虐げになるのかと、感心しそうになったが、今はそれどころではない。
本当に、はやく校舎に入りたいのだ。
「皆さまにも私にも、気の迷いというものはあります。そして集団で彼女を責める行為こそ、虐げていると言えるのではなくって?」
私はニッコリと小首をかしげて、あえて明るく言った。
「こんなに沢山のお友達ができて、私は果報者です。さあ早く授業に参りましょう」
校舎内から複数の足音がコチラに向かって来るのがわかる。
きっと教師たちが騒ぎを聞きつけて、向かってきているのだ。
私の言葉に、やっと皆の夢が覚めたのか、ゾロゾロと通常の登校時間を取り戻して、各自が校舎に入っていく。
「無難に終わらせたな」
「さあ授業に参りましょう」
駆け付けた教師たちを横目に、私達はそれから普通に教室に向かった。
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