第1話 トマトマドレーヌ

「よし、これでいいか。リホ、新しい焼き菓子のアイデアを思い付いたから試食を頼めるか?」



 厨房にいた短い赤髪の男性の言葉に頷くと、リホは厨房のテーブルの上に目を向けた。そこには焼きたてのマドレーヌが数個置かれており、それを見たリホの目は輝いた。



「わあ、美味しそう……! 生地が赤いですけど、これってトマトですか?」

「そうだ。こっちにも似た食材としてマトーはあるが、リホが持ってきたトマトの方が酸味と甘さのバランスがいいみたいでな。これを使っていい焼き菓子が出来ると感じたんだ」

「トマトって美味しい上に栄養もけっこう豊富なので、向こうの世界にある夏っていう暑い季節では冷やしたトマトをそのまま食べたり冷たい他の料理に使ったりもするんです。もちろん、熱したトマトも美味しいですけどね」



 リホの言葉に男性はくつくつ笑う。



「そうかそうか。しかし夏、か……暑さというなら実に興味があるな。この炎の四天王、フレディ・ヴァーノンがそちらの世界を訪れた暁には、夏とやらを満喫してやろう!」

「たしかにフレディさんなら夏の暑さも物ともせずに楽しんじゃいそうですね。問題は、まだ私しか向こうの世界に戻れない事ですね……」

「残念ではあるが、そういうものだと思っておくしかない。では、早速食べてみてくれ」



 リホは頷き、マドレーヌを食べようとした。しかし、入り口のドアベルが鳴るのが聞こえ、リホは残念そうな顔をした。



「お客様が来ちゃったので先にそちらの応対をしてきますね」

「ああ、わかった」



 フレディが見送る中、リホは厨房から出た。そしてそこにいたローブ姿のメガネの男性に視線を向けると、にこりと笑った。



「バーナードさん、いらっしゃいませ。今日も町の図書館でお勉強をした帰りですか?」

「ええ。王都の書物庫にはないような文献もこのノトオにはあるので毎日訪れたいくらいです。ただ、私はよそのギルドの所属なのでそちらのクエストの件もあって中々来られないのですが……」

「たしかにそれは残念ですね。本日はいかがいたしますか?」



 バーナード・ニールは少し悩み始めた。すると、何かの香りに気づいた様子で鼻をヒクヒクとさせ始めた。



「この香り……マトーのようですが、もう少し味わい深いもののようですね。リホさん、この香りはいったい?」

「向こうの世界から持ってきた野菜でトマトっていうものです。ついさっきフレディさんがトマトを使ったマドレーヌを試作していて、それの匂いがこっちまで来ているんだと思います」

「リホから聞いたが、焼き菓子というのはより香りが周囲に広がるもののようだからな。新鮮な野菜を使ったものとなれば、そのいい香りがこちらへ漂ってくるのも仕方ないだろう」



 カウンターに立つデュークが静かに言う。バーナードはそれに対して頷いた後、少し考えてから口を開いた。



「それでは、そのマドレーヌをいただいてみたいです。ですが、試作品という事はまだ商品にはしていないという事ですよね……」

「それなら今回はお代の代わりに味の感想をいっぱい聞かせてもらうということでどうですか? 食べてみてくれる人が増えれば、それだけいい部分も改善する部分も見つかるという事ですから。マスターもそれでいいですか?」

「ああ。出来立てのようだからな。それを腐らせてしまうのも食材に対して申し訳が立たん。バーナード、様々な意見を頼む」



 デュークの言葉にバーナードは微笑みながら頷いた。



「そういうことなら喜んで。あと、飲み物はホットの紅茶をお願いします。こちらでいただく紅茶はよそと茶葉がだいぶ違うのか香り高い上に深みのある味わいがあるので飲んでいてとても気持ちが穏やかになるんです」

「畏まりました。マスター、紅茶1でフレディさんはトマトのマドレーヌをお願いします!」



 デュークは頷いて作業を始めた。そして皿に盛り付けたトマトのマドレーヌをフレディが持ってくると、バーナードはマドレーヌから漂う香りに目を輝かせた。



「さっきですらしっかりと香りがしていたのに近づくとここまで香りが強くなるんですね。これは興味深い……!」

「やっぱりリホの世界の食材っていうのはこっちの世界の食材よりも良質なものが多い印象だな。野菜や果物もそうだが、食肉や乳製品、酒類や飲料水に至るまで色々なものがある。バーナード、研究者のお前さんとしてはより興味を惹かれるんじゃないか?」

「ええ、それはもちろん。こちらと違って魔素などがなければ刀剣類などの所持には許可が必要なようですが、この世界にはない様々な技術があると聞きますから。これからも色々研究し、それを魔術の発展に繋げていきたいです」



 バーナードが微笑むと、デュークはホカホカと湯気をあげる紅茶が注がれたカップを置いた。



「紅茶、出来たぞ」

「ありがとうございます。それではいただきます」



 バーナードは手を合わせると、トマトマドレーヌを一つ取り、それをゆっくり口へと運んだ。



「……これは、本当に美味しいです……! たしかにマトーと似た味わいのようですが、しっかりとした酸味の中にもたしかな甘味があり、それでいてマドレーヌ自体の風味を邪魔していない。生地もフワフワで舌触りもよく、これだけでも甘さは十分なので砂糖を入れていない紅茶ともしっかりと合っている。はあ……ここまでの料理を食べられるのに値段も高すぎないというのは本当にいいのかという気になりますね」

「ウチはリーズナブルな値段と良質な商品の提供がモットーですから。ここはこうした方がいいみたいなのはありますか?」

「改善点……これと言ってはないと思いますが、強いて言うならこのトマトマドレーヌにピッタリ合うような飲み物があればより引き立て合うのかなと思います。紅茶でも十分いいのですが、ピッタリ合うような飲み物があれればそれをセットという形で売り出す事も出来ますし、トマトマドレーヌを注文したお客様にもおすすめ出来ると思いますから」



 トマトマドレーヌをバーナードが味わう中、リホは納得顔で頷いた。



「なるほど、セット売りか……そのやり方なら、単品で注文してもらうよりも安く売り出せますし、色々やりやすいかも。マスター、後でその件で話し合いしましょう」

「そうだな。さて、トマトマドレーヌに合うドリンクもそうだが、他の焼き菓子も開発した方がいいな。フレディ、お前の腕には期待しているぞ」

「任せてください、デューク様! 俺の焼き菓子への熱意は誰にも負けませんから!」



 フレディは拳を軽く握りながら言う。その後も店内はバーナードが話す感想やそれを聞くリホ達の声で賑わっており、ステンドグラスから差し込む光がトマトマドレーヌの表面を赤く輝かせていた。

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