第5話 本社からの出向の話

「せんぱぁい、知ってますぅ?」


 椅子をコロコロ動かして凛音のデスクに近付いてきた福本杏は、声を落とし、上目遣いにそう口にした。


「ん? なに?」

 タイピングの手を止め、杏の顔を見ると、にまにましながら続けた。

「なんか、人事の方から漏れ聞こえてきた話なんですけどね」

「……あんた、早耳よねぇ」

 どういう情報網を持っているのかは知らないが、会社の細かな情報を集めるのが得意な杏は、こうして時々、速報を流してくる。ほとんどはどうでもいいゴシップだったりするのだが、人事異動などの時には案外役に立つネタも紛れていたりする。


「今回は、なに? まだ人事異動の季節じゃないけど?」

「ですよねぇ! それなのに、なんと、我が営業部に新しい人が入るっぽいんですよ。しかも、本社からの出向で!」

「え? なんで?」


 凛音の会社は、いわゆる大手の子会社だった。人事異動で本社から人が来ることはあるが、天下りか左遷のどちらかでしかない。また、変なのを押し付けられる可能性があるのかと思うと、少しばかり憂鬱になる。


「あ、禿げ本みたいなのを心配してるなら、大丈夫ですよ?」

 禿げ本とは、本社から左遷されてきた部長のあだ名である。本名は橋本。コンプラ違反は重々承知しているが、使えない上に気分屋でいいとこなしの人物なため、隠語として彼を「禿げ本」と呼んでいる。営業部的には共通認識である。


「どうも、すごい人が来るみたいなんです!」

「すごいって、何?」

さん」

「ええ~?」


 仕事ができるイケメンが来るなど、おかしな話だった。こう言っちゃなんだが、会社などというところは、ある程度枠組みさえできていれば、なんとか回るもの。社長交代や役員変更という形でやって来るならまだしも、営業部に配属されるということは……


「禿げ本の代わりってこと?」

 一縷の期待を込め、言う。が、

「それは違うみたいです」

 即、否定され、肩を落とす。


「じゃ、何しに来るんだろ?」

「そこまではわかりませんけど、とにかく人事部大騒ぎだったみたいなんですよ」

 ワクワクした表情で語る杏に、訊ねる。

「福本さん彼氏いるのに、やっぱイケメンは楽しみなんだ?」

「へ? そりゃそうでしょ! 職場にイケメンがいたら嬉しいじゃないですかっ。目の保養にもなるし。先輩はそういうのないんですかぁ?」

 呆れ顔で言われてしまう。


「ん~、別にない……かな」

「なんでっ? 先輩って、好みの男性とかいないんですかっ? てか、そもそも恋愛に興味ないんですかっ?」

 ズイ、と身を乗り出し迫られ、凛音は眉を寄せる。

「いや、なんていうか……ねぇ?」

 魔法少女やってるから、恋愛してこなかったせいで恋愛ってものがなんだかわからなくなっている、とも言えず目を逸らす。


「先輩はっ、もう少し周りをちゃんと見た方がいいですよっ?」

 ぷぅ、と頬を膨らませる杏を前に、思わずあたりをキョロキョロしてしまう。

「今じゃなく!」

「えええ?」

 ちっとも話が見えない凛音だった。


*****


 変化は突然訪れる。


「全員、会議室に集まって」

 ぶすくれた顔で声を掛けたのは、禿げ本改め、橋本部長だった。外回りから戻ってきた営業も含め、部内全員が会議室に集まる。何があるのか、お互いの顔を見合わせるも、誰も事情を知らないようだ。


「急な話だが、明日付で本社から営業部に配属されることになった新海君を紹介する」

 凛音と杏が顔を見合わせる。まさか今日の今日で紹介されるとは思っていなかったので、フロアのざわつきも大きい。


 橋本部長の隣、長身・切れ長の目・センター分けサラサラヘアーの若い男性が一歩前に出る。営業事務の女性陣が一気に色めき立った。


「初めまして、新海亜門しんかいあもんと申します。どうぞよろしく」

 涼しげな顔と声。立ち姿も美しい。

「なるほど、これは……」

 神妙な面持ちで杏が目を凝らす。

「情報は間違ってなかったわね」

 さすがの凛音も、その姿を見て感想を漏らす。


「すごい人が入って来ましたね。こりゃ、社内が荒れそうだ~」

 言葉とは裏腹に楽しそうな杏の声を聞き、小さく息を漏らす。

「巻き込まれないように気を付けなきゃね」


 女性の敵は、女性。社会に出てからは特にそう思っている凛音である。これは共学校で言うところのカースト制度に似ていた。職場でも、目立つグループというのは存在する。杏のように、社外に彼氏がいる場合はいいが、目をギラギラさせている女子社員にとって、新海亜門は格好の餌であり、しかも上質の餌なのだから。


「肉食女子、恐るべし、だわ」

 辺りを見渡しながら、思わずゴクリと喉を鳴らす。


「新海君の下には、しばらく市原さんに付いてもらう」

 橋本部長の言葉を聞き、その場にいた全員の視線が凛音に注がれた。

「……は? 私……ですか?」

 辺りがざわつく。凛音より長く務める営業事務たちが顔を見合わせ、なにかを囁き合っているのがわかる。


 凛音は、「何故っ? 嫌です!」と即答しそうになったが、かろうじて飲み込んだ。これは仕事だ。我儘を言っていい場面ではないと思い、口を閉じた。

「来たばかりで慣れないことも多いと思うから、市原さん、面倒見てあげて」

 橋本部長に言われ、凛音は微妙な顔で小さく「はい」と返事をしたのだった。

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