第16話

 ほんのわずか先にあるというのに、村人が忌む場所がある。


 霧谷きりたにはそんな場所だ。


 ぬかるんだ地面は、底が知れないと言い伝えのある沼に続がり、獣すらも避けて通ると言われている。


 霧谷に向かう方角に、松明たいまつの火が人魂のように揺れるのが見える。


 ときに闇に吸い込まれ、ふたたび人の息のように浮かぶ。

 

 その火を頼りに、おりんは進む。


 怖くはなかった。

 何かに守られているような気がする。

 そして何かに導かれているような気もした。


 おきよが、行かせているのだろうか。

 それとも富吉が呼んでいるのだろうか。

 

 先へ先へと続いていた順蔵の持つ明かりの動きが止まり、左右に揺れはじめた。

 

 すとんと道が開けて、深い闇になったが、風が吹いたと思うと、月が出た。

 

 辺りは青い闇になった。

 

 ふくろうが一声。


 小屋が見えた。


 樵小屋だ。小屋のまわりには丸太が詰まれ、それを囲むように草が伸びている。

 

 順蔵はその中に入ったようだ。

 建物の隙間から、ちらちらと明かりの火が漏れている。


 おりんは足音を忍ばせて進んでいった。

 

 ぬるっと足元を取られてのけぞりそうになったとき、中から話し声が聞こえてきた。


「――いやだよう」

 おことの声だ。

 泣いているのか、そのあとに鼻をすする音。


「言うことを聞け!」

「いやだよう!」

 

 パンと乾いた音がして、ヒッとおことが叫んだ。

 ぶたれたのかもしれない。

 

 おりんは恐怖と怒りで震えた。

 おことの叫び声が、おきよの声と重なる。


 おきよの声は聞いたことがないが、こうして叫んだに違いない。

 

 おりんは闇雲に入口の戸に体をぶつけた。

 

 戸はあっさりと向こうへ倒れた。そして振り返った順蔵の前におりんは飛び出していた。


「――おりん」


 順蔵が目をみはった。

 その後ろに、おことがいる。

 

 わあっああと叫んで、闇雲に、おりんは順蔵に体をぶつけた。

 順蔵は倒れたが、すぐに体勢を整えた。おりんはおことの前に立ちはだかった。


「おきよも、ここへ連れこんだんだな」

 順蔵は大きく目を見開いる。


「何を言うか!」

「なんでや、なんで、富吉まで殺めた?」

 

「違う、違う。俺はおことを助けに来たんや。霧谷へ来いとおことに当てた投げ文を見つけて、えらいことになると」

 

 するとおことが泣き声で叫び出した。


「なんで、駒吉さんと会ったらあかんのや? なんで止めるんや?」


「――駒吉?」

 おりんは耳を疑った。

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