見えない光
@akira0419
ソラ
完璧な人間は存在しない。誰にでもある欠けた部分、そこが人より少し大きかっただけで、私が人生を諦める理由にはならない。
私には今日で出会って十年目になるソラという犬の友人がいる。彼は犬の中でも特別でとても賢くて優しい。何かあったときはすぐに察知し駆けつけて心配してくれるし、散歩中も信号が赤のときはリードを引いて教えてくれる。
そう、私は盲目だ。
私の世界から光が失くなったのは七歳の頃。しばらくは親や妻など家族の支えで生きてきたわけだが、いつまでも家族の時間を奪うわけにもいかない、と盲導犬のソラを迎え入れることにした。ソラという名前は、もし目が見えるようになったら雄大な空を見たい。という憧れからつけたものだ。それからのソラと過ごした生活はとても楽しいものだった。盲目の人生に誇りが持てるようになったのもソラのおかげである。
そんな楽しい日々はカレンダーを一気に剥がし続けたかのように過ぎ去り、私は病臥に伏した。肺がんだった。タバコは十年前にやめたのだが、もう遅かったようだ。特に回復も見込めずにがんは進行し、今日私の命の灯火は今にも消えようとしている。少し前までは散歩も出来た。それなのに今は立つことも出来ない。体は重く、心はそれ以上に重い。
最近会えていないあの友人は元気にしているだろうか。といつものように考えていると、布団の上になにかが乗った。重い。柔らかくて、少し湿った鼻先が頬に触れた。十年付き添った、あの温もりだ。最近散歩に行くどころか抱っこさえ出来てなかったが、君の重さを忘れたことはなかった。どうやら家族がもう先の長くない私に最期の挨拶のつもりで十年来の友達を連れてきてくれたようだ。もう私は彼の助けを受けられるほど活動できないのだからきっとそうなんだろう。私は既に腕はおろか指一本動かない。けれどこのフワフワとした毛先が肌に触れ、心を侵すこのざわめきはすっかり取り除かれた。君を撫でてやることも出来ない私を彼は許してくれるだろうか。君はまた私の気持ちを汲み取ったように額を手に押し付けてくれる。君のそういうところが好きだ。
ああ、音が少しずつ聴こえなくなっていく。まず窓を叩く風の音から消えて行き、最後には心臓の鼓動の音すら消えてしまうだろう。自分が生きているのかどうかも判断がつかない。真っ暗な世界に音さえなくなって残るのは柔らかくて優しい温かさを持った顔の感触だけ。それでもなぜか姿かたちまではっきりと感じられている気がするのは、月の美しさも忘れてしまった私の人生に再び光を点してくれた君が目の前にいるからだろうか。君は私だけの光を私に与えてくれた。この上ない幸せに心が熱を帯びる。
あまり改まった言葉は言いたくない。その瞬間もう本当の終わりだと実感してしまうから。でも言いそびれて終わる方がもっと嫌だ。だから、心の奥から振り絞った。
愛してるよ、ソラ。
何度も夢に見たはずの盲目でない人生は、君と一緒なら羨ましくなかった。
見えない光 @akira0419
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