それを以て罪を贖う

野木千里

プロローグ

 一体どれほどの罪を重ねようというのだ。


 イルハンはまだ生温い死体を呆然と見下ろしていた。

 父に反旗をひるがえし、兄の滑落かつらくを悠然と見守り、弟を死なせた。人生に報いというものがあるのならば、自分はこの戦いの中で命を落とすのだろうと容易に想像がついた。


 温かい血が腹を汚す。


 イルハンに覆いかぶさるようにして死んでいる奴隷の背中、鳥人族ちょうじんぞくの象徴である小ぶりな翼の隙間に、一本の矢が突き刺さっている。位置的にも、名を呼んでも答えない様子からも、彼がこと切れたことは明白だ。


「お立ちください、殿下」


 この状況でも顔色一つ変えない副官が、イルハンを見下ろして言った。

「あなたが始めたことです。終わるまで涙の一粒も許しません」


 血に濡れた指先でイルハンは目元の湿り気を拭った。

「……この俺が泣くだと? 生意気もいい加減にしろ、イーティバル」

 両方の目の下に赤色の化粧を施したイルハンは、立ち上がって部下たちを見下ろした。


 今の騒ぎのせいで、多少なりとも狼狽えている。すっかり血で汚れた軍旗を翻して、イルハンは叫んだ。

「俺は無事だ!! 全軍進軍しろ!」


 青色の布を腕に巻き付けた男たちが一斉に武器を天に掲げ、ときの声を上げた。地を響かせるほどの声は辺り一帯に響き渡り、相対する兵士たちが表情を強張らせた。


 兵士たちの叫び声が飛び交う中、イルハンの背に向かって、誰にも聞こえないようにイーティバルが囁いた。

「……よくやりました。勲章ものです」

「あんなしょうもない宝石細工より、壺いっぱいの蜂蜜をくれてやってくれ。こんなところでも蜂蜜の入った茶ばっかり飲みやがって……」

 イルハンの肩が震えていた。


「ほんとにお前は金のかかる奴隷だったよ、ナーシル」

 たかだか十数年しか生きていなかったが、これ以上の罪がないだろうことを、イルハンはよく知っていた。





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ご覧いただきありがとうございます。

本作には暴力及び性支配を含む制度描写が含まれます。

苦手な方はご注意ください。

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