身勝手な者たち(忍野密香&一愛)

 すぅ、息を吸って、はぁ、吐く。──合図は、それで十分。


「──おはようございます!」


 俺は扉を開けると、にこやかにそう挨拶をした。


「あ、こころくん、おはよう〜」

「今日も早いね。にのまえさんはまだ来てないよ」

「そうなんですね、教えてくださってありがとうございます! ……それじゃあ、準備しながら待つことにしようかな」


 周囲の人からの声がけに、俺はそんなことを返す。心くんは真面目だねぇ、なんて周囲の人は俺を褒めた。


 ……はぁ、毎回毎回、馬鹿馬鹿しい。一さん、早く来て研究室開けてくれないかな。


 朗らかな笑顔を浮かべる傍ら、俺は心の中でそんな風に毒づくのだった。





「毎回毎回遅いんだよあんたは。待たされるこっちの身にもなれ」

「真面目なのは結構なことだと思うが、君が早すぎるのだろう。君が来ているのは予定開始時刻より30分ほど早いと聞いているぞ」

「早いのは否定しねぇけど。……にしてもあんたは遅すぎるんだよ。1時間も遅刻しやがって」

「道端で明らかに困っている人がいたのだ! 仕方がないだろう!」

「……はぁ。まあいい。早く始めるぞ」


 にのまえあい。明け星学園の元生徒会長であり、今は大学で異能の代償を行っている。……そして俺は、それを助手として手伝っていた。俺の異能力が研究の役に立つだろうから、と。


 一さんは何故か土埃のついた上着を脱ぎ、窓を開けてそれをバッサバッサと勢い良くはためかせる。ガサツかよ。

 ……恐らくその人助けをした際、土埃が付いたのだろう。想像は出来る。……相変わらず、俺の周囲にいるやつらはどいつもこいつも、お人好しだ。


 そこで勢い良く、開いた窓から風が吹き込んでくる。それはつまり、一さんの払った土埃が纏めてこちらに流れ込んでくるということで。……研究道具に掛かってはマズイ、と思った俺は咄嗟に異能力で毒を繰り、壁を生成。土埃を受け止めると、それを消滅させた。


「あんたなぁ──」


 文句を言おうと俺は口を開く。一さんがキョトンとした顔で振り返ると同時、扉のノック音が響いて扉が開いた。


「失礼します、一さん……」

「──一応研究者なんですから、そういう肝心なところで適当なの、直してくださいっていつも言ってますよね? カバーするこっちも大変なんですから……あっ、すみません。一さんに何か用事ですか?」

「あ、ああ、こちらこそすみません。お取り込み中に……所長が一さんのことをお呼びで」

「分かりました。……ほら、一さん。説教は後にするので行ってください」

「説教は嫌だが、分かった! 行ってくる!」


 一度開いた口はそう簡単に止まらない。俺はすぐに口調を切り替えると、許可も得ずに扉を開いたやつにそう応対する。……マジで大迷惑なんだよな、そういうの。


 まあ……ここは大学院の研究室の貴重な一室。大学生でありながらその一室を陣取る一さんのことを、あまり快く思っていないやつが多いことを、俺は知っている。一さんを呼びに来たこいつも、別に一さんのことが嫌いなわけではないと思うが……無意識にナメているのだろう。そういう無意識は、態度に現れるものだ。


「湖畔隊」といい、何故俺は邪険にされているやつの傍に置かれないといけないのか。まああっちよりは随分楽だ。なんせ、一さんはそれに気づいていながら全く意に介していないのだから。





「密香、今日はもう終わりにしようと思うから、帰っていい」


 空が暗くなり始めた最中、一さんが唐突に俺にそう声を掛ける。俺は顔を上げ、眉をひそめた。


「は? まだ早いだろ」

「まあそうだが、君は早く来ていただろう。そして私は遅刻をした。だから後片付けは私がやっておくよ。君は帰って大丈夫だ」


 俺が聞き返すと、一さんはそう言って笑う。確かにその言い分は一理あるが……。

 少しだけ考えた俺は、一さんを見つめる。彼女はニコニコと笑い、俺を見つめ返した。


「……分かった。それなら甘えさせてもらう」

「ああ!」


 俺がそう答えると、彼女は大きく返事をして頷いて。


 俺はそれを、ジッと見つめていた。





 ……心底不愉快だ。あの人は俺が異能犯罪者だというのに、軽率に人前に出そうとしてくるから、愛想がいい人間を演じなければいけないことも。周囲から侮られていると感じることも。


 ──あの程度の嘘で、俺を出し抜けると思われたことも。


「……密香、何故残っている」

「さあ、何でだろうな」


 眉をひそめながら問いかける一さんに、俺は肩をすくめる。一さんは、何も答えなかった。

 彼女は研究室の片隅に置かれたソファに寝転がっていた。その顔色はとても悪い。……泉が見たら取り乱しそうだが、生憎俺は気遣ってやるほど優しくはない。


「症状はいつから」

「……昼頃」

「何で言わない」

「……今日は、君を巻き込むべきではないと思った」


 今日、は? その言い草に今度は俺が眉をひそめていると。


 少し遠くから、人の足音。こちらに近づいてくる。直感的に、俺は悟った。

 ……ああ、そういうことか。


「……もう分かるだろう?」

「あんたも敵が多いんだな」

「私は、皆と仲良くしたいと思っているのだけれどね」

「はっ、夢物語だな」


 一さんは大きく咳き込む。……この人が本調子なら、俺だって普通に置いて帰ろうと思ったんだけどな。


 俺は着ていたコートを脱ぎ、一さんに被せる。何を、と一さんはか細く呟き、俺は何も言わず──その体を、姫抱きした。


「揺れるぞ。文句言うなよ」

「は、おい」


 一さんは何かを言いかけたが、俺は知らない。彼女を抱えてそのまま、俺は研究室を飛び出した。





 その後俺は、誰とも全く鉢合わせないまま研究室を出た。ま、相手はどいつも素人。俺がそんなやつらに出し抜かれるわけがない。


 ……だが、こちらは病人を抱えているわけだし、一応警戒はしていったけどな。……学生の時に「絶対にこいつには負けない」と見下していたやつに足元を掬われたことあるし……。


「……密香、すまないな。迷惑をかけた」

「こういう迷惑は掛けてもらわなきゃ困る。あんたにはまだ生きていてもらわないといけないからな」


 俺はいつか、泉を殺す。……自分が世界で一番幸せだと、彼がそう胸を張って言えるようになった日に。

 だから、彼には幸せになってもらう。そのためには、彼が大事にしている人にも幸せに生きてもらわなければいけない。……この人もその1人だ。


 俺のそんな思惑など露知らず、一さんはふはっ、と笑う。くつくつと笑い続ける、その体の揺れが腕を通じて伝わってきた。


「世界で一番、君に似合わない言葉だ」

「ああ、自分でもそう思うよ」

「だが、何故だろう。君らしいとも思う」

「……生きろと言うことが、か?」

「ああそうだ。君は、人の生死に執着がある人間だから」


 彼女のその言葉を、心の中で反芻する。人の生死に執着がある……か。

 確かにそうかもしれない。俺の世界はいつだって、殺すか殺されるかだった。生きるためには、殺すしかなかった。そして今は、憎い相手を殺そうと思っている。……その相手を生かし続けながら。


「君はきっと、沢山の人を救うよ」

「前も似たような言ってただろ」

「何度でも言うさ。……君の力は、多くの人に役に立ち、いつか大勢の人を救うよ。……私には分かる」

「俺にその気はない」


 他者になど、興味はない。いつだって俺は俺のしたいことを、自分勝手にし続けるだけだ。


「ああ、そうだな。君にその気はない。……だから勝手に役立たせてもらうよ」

「……」

「私は君を利用し続ける。上手いことを言って、言い包めて、救わせよう。沢山の人を、何度でも」


 真っ直ぐな目だ、と思う。この人はいつも真っ直ぐだ。折れることを知らない。黒い布で覆い隠そうと、その光を遮ることは出来ない。

 圧倒的な、光。それは強引で、暴力的で、どこまでも身勝手。


 だからこそ、思う。俺にはこの人ではなかったのだ、と。……逆に、あいつにはこの人だったのだ、と。


 俺はため息を吐く。本当に、面倒くさいったらありゃしない。


「1人目になれるといいな」

「ああ、全くだ」


 そのためにも頑張り続けないとな!! と一さんは叫び、ぐいーっと伸びをする。無理するんじゃねぇぞ怠いから、と俺。

 ……まあ、きっとこの人は無理をするだろうしそれを止める羽目になるのは俺なんだろうけど。ったく、本当にこいつらは、人を頼りにしすぎだ。


 そんなことを考えながら俺は、少しだけ脱力感を抱いていた。



「ところで密香」

「なんですか」

「さっきの人たちに、手は出すんじゃないぞ」

「……。後腐れない方が楽だろ」

「そこは私が自力でどうにかする!! 君の手出しは不要だ!!」

「……あっそ。じゃあ、せいぜい上手くやれよ」

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