One Summer

汐 ユウ

■廃線のバス停で

 まだ七月になったばかりだというのに連日猛暑日を迎え、降り注ぐ太陽光は肌を焼き切る勢いだ。わたしはそんな太陽から逃れるように、日陰になっているバス停に避難をしていた。


 田舎のバスは時代に飲み込まれるように去年廃線となった。だからここには誰も来ない。一人になるにはちょうどいい場所。


「あっつ……」


 日陰な分いささか暑さはマシだが、それでも暑いものは暑い。


 家で凍らせておいたポッキンアイスはすでに溶け気味で、わたしは服に飛ばないように気をつけながらそれを割る。


 手がひんやりする。でもあまり握っていると早々に溶け切ってしまうからもどかしい。


 右手に持っている方を口につけた。甘いぶどうの味が口の中に広がる。まだシャリシャリ食感も残っていた。


 一時的な幸せに浸っていると、遠くから砂利を踏む音が聞こえてきた。この時間、村人がここを通ることはないはず。観光客が来るところでもない。


 わたしはバス停の端に詰め、そっと外の様子を伺う。そこに見えたのは制服姿の少女が、白い日傘を差して歩いているところだった。


 制服には見覚えがある。わたしも持っているものだからだ。

 しかし、あんな綺麗な黒髪を伸ばした人なんて見たことがない。


 ふと黒い瞳と目が合った。


 整った顔だ。身長も相まって、渋谷でも歩いていればモデルとしてスカウトされそうなくらい。だからこそ、わたしは同じ学校で見覚えのないことを不思議に思う。


「こんにちは」


 黒髪の少女は人懐っこい笑顔と共に、日傘を折り畳みながらバス停の中に入ってきた。


「……バス、来ないよ」


 わたしは彼女が同い年以下であることが分かっていたので、敬語を選ばなかった。


 きょとんとしている彼女に、わたしは補足をする。


「廃線になったから、待ってもバスは来ないよ」


 結構溶けてきたポッキンアイスを吸い、わたしは彼女から視線を逸らした。


「親切にありがとうございます。でも、バスに乗りに来たわけではないので大丈夫ですよ」

「じゃあ何でこんなところに……」


 そしてこんな時間に。まだ授業中だぞ。


「それはあなたと同じ理由だと思いますよ」


 視線を彼女に戻すと、彼女の視線がわたしの手元に注がれていることに気がついた。いくら日傘をさしていてもこの暑さだ。ほんのり顔も赤い。


「……食べる? 溶けてるけど」

「いいんですか!?」


 ポッキンアイスの片割れを差し出すと初対面の彼女は図々しく「ありがとうございます」と言って、受け取って口をつけた。


 お嬢様ぽい見た目に反してがめつい。


 誰も来ないと思ってたし、たとえ来たとしても触らぬ神に祟りなしということで無視されると思っていた。まさか狭いバス停の中まで入ってきて、他人のアイスまで奪う輩がいるとは考えもしなかった。


「冷たくて美味しかったです。ありがとうございました」


 わたしより先に食べ終わってるし。


「学校行かなくていいの?」


 自分のことを棚に上げて、わたしは溶けたアイスを飲み干した。


「あなたも行かなくていいんですか?」


 さすがに大人には見えなかったか。わたしはバツが悪くなって再び目を逸らす。


「私はサボっても怒る人がいないんでいいんですよ」

「それならわたしも同じだよ」


 放任主義の親なのかな。でも、サボるならわざわざ制服なんて着なきゃいいのに。


「……お隣座ってもいいですか」

「どうぞ」


 バスは来なくてもバス停は公共のものだ。わたしにノーと言う資格はない。


 彼女はスカートにシワがつかないように丁寧にくたびれた椅子に座った。……気まずい。暑いけど他の場所に移動しようか。


「私は式って言うんです。数式のシキです」


 名乗られてしまった。これで名乗らなかったら感じ悪いじゃん。

 まぁ、同じ学校の生徒なら不審者ではないか……。


「美風。美しいに風って書くよ」


 相手が下の名前だけを名乗ったのでわたしも準じた。


「美風さんですか。綺麗なお名前ですね」


 美しいという漢字がつくからそう感じるのでは。しかし、わたしはこの名前が好きだった。父さんがつけてくれた名前だから。


「ところで美風さんはどうしてこんなところにいらっしゃるんですか。バス、来ないんですよね」

「ただのサボりだよ」


 不貞腐れたようにあぐらをかく。サンダルが片方脱げたが気にしない。


「私もサボりなんですけどやることなくて。町にいても補導されそうじゃないですか。この辺りはまだ来たことなかったので歩いて来ちゃいました」

「町から歩いてきたの!?」


 結構な距離あるぞ。この暑さの中来たのなら、他人のアイスを羨んでも仕方ない。


「えぇ。ご存知の通りバスがないですから」

「せっかく歩いてきたところアレなんだけど……この村は今どきコンビニすらない場所だよ。なーんもないよ」


 小中学校ですら何年も前に廃校になったと聞く。本当に呆れるくらいなにもないのだ。


 抜けるような空が綺麗とか、そんな小説みたいな話もなくて。小さい村だから助け合いがあるとかもなくて。式のような女子高生がわざわざ足を運ぶようなところじゃない。


「町だって同じじゃないですか。何もないですよ」

「いやコンビニも学校もあるし、駅だってあるじゃん」

「ないですよ」


 式はわたしの言葉に少し被せるように否定した。感じ取った違和感がわたしの表情に出たのか、式は軽く咳払いをして言葉を続けた。


「何があっても有意義に使えなければないも当然でしょう」


 なるほど。つまるところ町にある施設も彼女にとっては意義のないつまらないものだと。わたしも図書館やスーパー、コンビニ以外使わない。


 図書館だって本に興味があるわけではなく、空調設備が目当てなだけだ。


「で、町と同じくなんもないこんなところに来て何をするつもりなの?」

「特に」

「本当に歩いてきただけ?」

「えぇ」


 町からここまで歩いたら一時間以上かかる。この猛暑日にただの興味本位で来るようなところではない。


「わたしに出会わなかったら、村をずっとうろうろしてたつもり?」

「きっとそうしていたと思います」


 アホだ、この女。熱中症で倒れて死ぬぞ。


「ところで美風さんは、いつもここでサボられているんですか」


 人がいつもサボっているような言い様。いや、実際そうなんだけど。彼女はあまりサボり慣れているようには見えない。経験者の勘だ。


「いつもではないけど……」


 家からほどほどに近くて座れる日陰ってだけだ。気力があれば町までだって出る。


 わたしはバス停の外に立てかけてある愛用の自転車を見る。これで行ける範囲がわたしの行動範囲だ。


「また明日もこちらにいらっしゃいますか?」


 明日のことなんて明日にならないと考えないから、わたしは返事に詰まった。


「いませんか? 学校に行くとか?」

「学校は……」


 多分行かない。行かないだろうな。


 行きたくないわけではない。面倒くさい? そうかもしれない。なんだかどうでもいいのだ。せっかく三年まで進級したから出席日数くらいは守りたいが。


「明日もここにいるよ」


 そうだ。明日もここに来ればいい。スマホで念のため天気も確認する。晴れ。


「私もまた来ていいですか」

「また歩いてくるの?」

「私、自転車持ってないので」

「そう」


 元気だなぁ。自転車に乗ってると歩くのが億劫になる。


「それともタクシーに乗って来ましょうか」


 式は大人っぽい顔で笑って言う。お嬢様オーラがあるから冗談に聞こえない。


「そうだ。明日はアイスのお礼に何か買ってきますよ。食べたいものとかありますか」


 それこそアイスが欲しいけれど、百パー溶ける。


「別にお礼なんていいよ」

「なら勝手に買ってきますね」


 人の話を聞かない子だな。


「せっかくならピクニックでもしませんか? あまり料理はしないんですけど、サンドイッチくらいなら作れると思うんです」


 これ、作らせちゃいけないやつだ。


「作らせるのは悪いからスーパーで買ってきて……」


 なんでわたしは知り合ったばかりの子とピクニックをする流れになってるんだろう。


 式はスマホを取り出し何かを調べ始めている。「サンドイッチ」と口ずさんでいるから明日買うものでも検索しているのだろう。


「見てください。こんなにも生クリーム入ってるサンドイッチなんてあるんですね」


 都会では当たり前のように売ってるフルーツサンドの画像を、グイグイ距離を詰めながら見せてくる。


 こんなもの猛暑の中持ち運ばれたら食中毒になってしまう。まぁ、町のスーパーになんて売ってないから大丈夫か。


「美風さんは食べたことあります?」

「まぁ……」


 お父さんがお土産として買って来てくれたことがある。わたしはみかんのを食べた。


「いいなぁ。私は食べたことないんです」

「この近くなら電車に乗って大きな街まで行かないとダメかもね」

「うーん。そこまでして食べたくないですね」


 薄い好奇心はすぐに引っ込められ、式はスマホをスカートのポケットにしまった。


「私ってそこまで食に興味なくて」


 ならわたしのポッキンアイス返してくんないかなぁ。


「美風さんは好きな食べ物ありますか?」

「わたし? うーん……甘いものは結構好きかな」

「例えば何が好きなんですか?」


 やけに質問される。初対面で共通の話題もないし、相手に質問するのも仕方ないか。わたしはそんなに会話を弾ませる能力なんてないし。


「生クリーム使ったものは何でも好きかも」


 誕生日のケーキは毎年生クリームを使ったものだったし、お父さんのお土産も生クリーム系のものが多かったな。


「キミは何が好きなのさ」


 食に無頓着と言っても何かしらあるだろう。わたしは会話を続けようと質問を返す。


 すると式は「食べ物ですか……」と呟き、指に顎を乗せる。


「出されたものは何でも食べますから……強いて言うなら小学生時代に食べていた給食ですかね」

「あー揚げパンとか残ったやつじゃんけんで奪い合ったな〜」


 わたしは男子に混じってじゃんけんに参加するくらい食い意地を張っていた。友達も男友達の方が多かったから、こうして同年代の女の子と二人きりで話すのはかなり久しぶりで珍しい。


「揚げパンならたまにスーパーで買って食べますね。砂糖落ちるのがネックですけど美味しいですよね」

「そう言われるとわたしは久しく食べてないかも」

「こちらに住んでいたら気軽に買い物に行けないですもんね。普段はどうしてるんですか」

「断然ネットスーパーだね。こんなクソ田舎まで配達してくれて助かってる」


 文明に感謝だ。これが十年前とかじゃ生きていけなかったと思う。かと言ってここで骨を埋めるつもりはないが。


「こう考えると町暮らしの方がやっぱ楽だね」


 式は肯定するように苦笑いをした。村に来て実感しただろう、ここでの住みづらさは。


「まだバスがあれば行き来しやすいですけどね。車持ってない方たちはどうしてるんですか」

「ほとんどの家庭が車持ってるよ。ジジババの運転はいつやらかすかひやひやするよ」

「美風さんは免許取らないんですか」

「学校で禁止されてるじゃん」

「真面目ですか」

「失礼な」


 こう見えて真面目な優等生だったんだぞ。


「サボタージュしてる方の言葉に重さはないですよ」

「お互い様だ」

「ですね。まぁ、わたしは今日が初めてのおサボりです」


 式は膝を抱えるようにして座り直した。


「いつもと同じ時間に起きて、制服に着替えて外に出たのに、行く先は違う。周りの大人がみんな敵に見えるような気がしてドキドキしました」


 その気持ちは分かる。わたしだってお巡りさんに見つかったらさすがに怒られる。


「だから美風さんを見つけた時は安心しましたよ」

「悪いお仲間見つけて安心されてもねぇ」


 足が痺れてきたので組んでいた足を逆に組み直す。


「美風さんは悪い人には見えません」


 私の顔を覗き込むように、式が一気に距離を詰めてきた。


「綺麗な目をしてますから」


 そんなことない。毎朝洗面所で見る瞳は泥のように濁っている。


「美風さん」

「近いって」


 式の細い肩を押し返す。

 それでも式はわたしの真横に座り直した。近い。暑い。


「美風さんが悪い人なら、私の相手なんて端からしませんよ」

「……確かにわたしは超良い人なのかも」


 暇なだけなんだけどね。


「でもよくもうまぁ得体の知れない相手と話せるよね、キミ」

「得体の知れない相手ではありませんからね」


 そりゃそうか。こんな小さなコミュニティで私のようなやつ噂が広まってる。それなのによく話しかけて来たな。


「不良漫画に出てくるようなやんちゃな方なら話しかけなかったかもしれません。普通でよかったです」


 普通の女子高生は学校をサボらないんだよ。


 しかもTシャツに短パンという少年のような出で立ち。中学生に間違えられても仕方ないくらいだ。


「わたしも釘バットじゃなくて日傘を持った人が来てよかったよ」


 美人過ぎるところを除けば、式は普通の高校生に見える。


「私、普通に見えます?」

「田舎らしくはないけど普通じゃない?」


 それからわたしたちはお互いの好きなものとか、当たり障りのない会話をして時間を潰した。不思議とその時間は心地よくて気づけば数時間が過ぎていた。


「式、歩いて帰るならそろそろ帰った方がいいよ。ここらへんは街灯もないから」

「そうですね。お腹も空きましたし、お暇しますね」


 式はゆっくりと立ち上がり伸びをする。やっぱり身長高いな。スタイルも良い。


「また明日来ますね」


 座ってるわたしと視線を合わせるように屈むと、子供をあやすような目でこちらを見てくる。


 わたしってそんな子供っぽく見える? 身長も平均以上あるんだけど。


 何も言わないでいても式はわたしの前から動かない。あぁ、返事が欲しいのかと分かって、


「また明日」


と返すと満足そうに笑って彼女は立ち上がった。


 未だに太陽が照りつける中、式は日傘をさして歩いて行く。私はその背中を見送りながら、「また明日か」と呟く。


 当たり前に明日は来ない。


 でもまた会えればいいなとは思った。

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