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 意気揚々と旅に出たメメルは、結論から言うと次の日の朝には何事もなく普通に水族館へと戻ってきていた。そして当初の予定を一切狂わせることもなく、いつものようにショーやふれあいイベントに出演し、いつものように客から様々な色の歓声を浴びていた。


 これでは旅というよりも1泊2日の小旅行だし、くれたお土産はどこから買って来たのかもどこで作られたものなのかもわからない謎の煎餅だったけれども、パリッとした食感で醤油が絶妙に染み込んでいて美味しかった。マグロと比べるとマグロの方が美味しいのは事実だが、それはそれだ。


「おかしいのです。こんなのはありえないのです。決して許されないのです」


 本日最後の16時のショーを終えて、ステージ裏の待機場で人間の姿になったメメルは黒パーカーが濡れることも厭わず、地べたにだらしなく座りながら自分で買ってきた煎餅をバリバリ音を立てて齧っている。それをごくりと飲み込むと、プールで泳いでいる私目掛けて不満げな表情で言ってきた。


「わたしはこんなに美少女なのですよ。それなのに何も起こらないなんておかしいのです。アイドル事務所からスカウトがあってもいいはずなのです」


 こんな地方の小さな町にスカウトしに来る芸能事務所なんて果たしてあるのだろうか。もし万が一にでもスカウトされたら一体どうするつもりだったのだろうかと、立ち上がってスマホを手鏡代わりにして自分の容姿を確かめるメメルを見て思う。


「駅から大きな商業施設まで通行人の方をちらちら見ながら歩いたのですよ。それなのに誰もわたしに声を掛けなかったのです。皆さんシャイなんでしょうか。シャイなのでしょうね」


 美少女だからって声掛ける人がいたらいたで危ない気がするけど。私も外で歩いていると美少女を見かけたので話しかけようとはならないし、世間はメメルが思っているよりも恥ずかしがり屋なのだろう。


「この町に留まってはいるべきではないということなのでしょうか。やはり金沢辺りまで足を運ぶべきなのですかね」


 この町の水族館で飼われているイルカはこの町に留まっているべきなんじゃないかと私は思うのだけれども、メメルに留まるつもりはさらさらなさそうだった。


「わたしにばかり喋らせないでミパリィも何か言うのです」


 食べかけの煎餅で指されながらそう言われてしまったので、仕方なく私も水から上がり、人間の姿になる。この前人間になったときよりも前髪が少し伸びたかなと、目にかかる髪を指で撫でながら考える。後で切ろうかな。


「また旅に出るつもりなの」


 メメルを見上げる視点が見下ろす視点へと変わり、私は彼女に尋ねる。


「当然なのです。こんな結果、美少女として認められないのです」

「どういう結果になって欲しいの」


 何となく予想はついているけれども、一応聞いてあげよう。


「周りの方から『何あの子めっちゃかわいい!』だとか『デートに誘いてえ』とか言われたいです。言われまくりたいのです」

「そうなんだ」


 メメルは昔から可愛いと言われることが何よりも好きで、その言葉をより多く聞くことを主軸にして行動しているということを知っているから、まあそうだろうなと思った。

 

「イルカの姿でこれだけちやほやされるのですから、人間の姿でもちやほやされなければおかしいのです」


 メメルは淀みない声でそう言った。実際この水族館でのメメルの人気は他のイルカと比べても頭一つ抜けていると言っても過言ではないと私も思う。6年前にこの水族館で生まれて、メメルという名前を授かり、大きなトラブルもなく健やかに育ってきたのだからというのもあるだろうけれど、他のカマイルカと比べても一際小柄な体に愛嬌のあるくりっとした大きな目、7メートル近く飛べるジャンプ力、ふれあいイベントで見せる人懐っこい仕草と、人気になる要素がてんこ盛りで、不人気になる要素が一切ないのだ。


「次の休みの日、金沢まで行きましょう。わたしと――ミパリィで」

「ひゃい?」


 唐突に名前を出されて思わず変な声が出てしまった。なんで私まで行かなければならないんだ。


「ひゃいではありません。わたしひとりでは誰も声を掛けてもらえない。であれば答えは簡単なのです。ミパリィも一緒にいればいいだけなのです」

「なんで私まで」

「わたしほどではありませんが、ミパリィもなかなかの美少女ですからね。美少女2人が歩いていればきっと誰もが声を掛けること間違いなしなのです」

「それはそれで怖いでしょ」


 果たして私が美少女かどうかは別として、1人で歩く美少女に声を掛ける人よりも2人で歩く美少女に声を掛ける人の方が何となく危ない人な気がする。


「恐れているのですか、ミパリィ。外を出歩くこともままならない存在へと己が昇華することに」

「違うけど」

「違うのですか」


 恐れているのはそういうものでは全くない。それにそんな存在になってしまったとしても一生出歩かなければいいだけの話だ。


「ならば何も恐れる必要はありませんね。だったら共に行きましょう。そしてわたしたちがいかに美少女なのかを美少女に興味すら示さなくなったこの歪み切った世界に示し、世界を燦然と照らす新たな希望となるのです」


 なんか話が壮大になってきている気がするけど、大丈夫だろうか。


「新たな世界へと羽ばたく覚悟はありますか、ミパリィ」


 ない。

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