アイドルドルフィン・メメルちゃんの伝説

夜々予肆

ふたりでいるか

1

「ミパリィ、わたしは決めたのです」


 橙色にじんわり染まり始めた広い空の下、日中の賑やかさが嘘かのようにしんと静まりかえったプールの水面をぼんやりと漂っていると、ステージの上から舌ったらずな可愛らしい声色だけれども、一片の迷いも無い喋り方をしている声が私の耳へと真っすぐに届いた。


 今度は一体何を決めたんだろうかと頭に疑問符を浮かべながら、軽く勢いをつけて生温い水が床にのっぺりと残っているステージに上がる。恐らくいつものように別の水槽にいるマグロをこっそり食べに行きましょうかとかそんな話なのだろうなと薄々感じているが、話しかけられた以上話くらいは聞いてあげよう。


「早くミパリィも人間になるのです」


 薄暗いスタジアムの中、オーバーサイズで無地の黒パーカーにすっぽりと140cmほどの小柄な全身を包み、腕を組んでドヤ顔でステージに立っている細いフレームの眼鏡を掛けたツインテールの少女は、私に向かって尊大に雑な命令を出してきた。


 別にこのままの姿でも話くらいは普通に聞けるのだけれども、このままこうしていても話を始めてくれることはなさそうなので、仕方なく私も彼女と同じ姿――人間の女の子の姿になった。


「わかったよ」


 大した話じゃなかったらプールに突き落とすよ――と、口に出して言ってやりたい衝動をどうにか胸に手を当て抑えつつ、さっきよりも目線が高くなった世界でパーカーの少女を正面から見据える。


「話って一体何なの」


 くちばしが無くなり平坦になった代わりに、随分と融通が利くようになった口を動かし、私はパーカー少女――メメルに尋ねた。


 自己紹介をすると、私たちは石川県の小さな町にある水族館で飼育されているカマイルカである。私の名前がミパリィで、妙ちくりんな敬語で話している女の子の方の名前がメメル。名前の由来は知らないけれど、来館客による公募か何かで決まったらしい。


 ちなみにカマイルカというのは白と黒と灰色の体色を持つイルカで、名前の通り背びれの形状が鎌のように見えるのが特徴である。気性についてはとても好奇心が旺盛で活発な性格をしていて、人間にもよく近づくことがある、らしい。私はあまりそうだとは思わないけれど、そういう風に言われてるってことはきっとそうなんだろう。


 ここでひとつ、他のカマイルカは人間の姿にはなれないんじゃないかという至極真っ当な指摘を受けることが予想できるけれども、それに関しては私も気になる点である。


 色々と話を聞いたり調べたりしていると、どうやら普通のイルカは人間の姿にはなれないらしい。ではなぜ私たちは人間になれるんだという話になるのだけれども、私たちにも具体的な理由は何ひとつわからないので説明ができない。


 なので、ひとまず細かいことは気にしないで私たちは人間の姿になれるカマイルカなのだと認識して頂けると幸いだ。それと私たちの髪色は黒髪に無数の白いメッシュが入っているというアバンギャルドな髪色だけれども、これもアニメキャラの珍妙な髪色をアニメを見る際いちいち気にしないように、そういうものだと理解して欲しい。ちなみに白髪は勝手にまとまって生えてくる。


 ともかく私たちは水族館が誇るアイドルとして、イルカショーやふれあいイベントに引っ張りだこの存在であり、売店にはTシャツやクリアファイルや写真集がこれでもかというくらいに陳列されていて毎日飛ぶように売れているのだとか。自分で言うとなんだか身体がもぞもぞとしてきた。


 人間の姿になって陸に上がるとすぐ体が火照ってしまうなと思いつつ、手をうちわのようにして顔をパタパタと扇ぐ。だけど暑いからといってプールに飛び込むようなはしたない真似はしない。


「わたしはしばらく旅に出ようと思うのです」


 けれどもやっぱり飛び込みたいなという欲望に抗いながら、プールに映る人間の姿の私を見つめていると、メメルが唐突にそう宣言してきた。


「旅?」


 大海原に繰り出してクロマグロでも食べに行くつもりなのだろうか。


「そうです。旅です。ジャーニーです」


 旅という言葉の意味はわかっている。それを聞きたいのではない。


「えっと、どうして旅に」

「旅するイルカの美少女が行く先々で愛される。素敵な物語なのです」

「素敵かなぁ」

「わたしは凄まじい美少女アイドルなのですからね。様々な場所でちやほやされること間違いなしなのです」


 言葉のやり取りがいまいち成立していない気がしてならないけれど、とりあえずメメルが自分のことを美少女だと思っていることは理解できた。実際客観的に見てもメメルはかなりの美少女なので美少女じゃないだろなんて否定はできない。


 どれくらい美少女なのかというと、もしも人間の姿でイルカショーをした暁には来場客が一気に100倍くらいに膨れ上がるのではないかというくらいの次元の美少女だ。実際そんなことやろうものならとんでもない騒ぎになることが火を見るよりも明らかなのでやる日は訪れないのだろうけど。


 訪れないよねと、無言でメメルを見たら右手のサムズアップが無言で返ってきた。どういう意味なんだその親指は。爪は綺麗だ。


「ミパリィにはトレーナーさんたちへの説明をお願いするのです。次のショーには間に合うようにしたいのですが、間に合わない可能性もありますので何卒よろしくお願いするのです」

「間に合うようにするけど間に合わない? ちょっと待って」


 だからどういう意味だなんて思っている間に、メメルはウサギのようにぴょんとステージを飛び降りると、客席側からスタジアムをすたすたと立ち去っていく。


「後のことはよろしくお願いしますなのです。旅先で買ったお土産持って帰ってくるので楽しみにしておくのです」

「ちょっと! 明日のショーには出るの!? 出ないの!?」

「出られたら出るのです」

「だからどっ――ってもういないし……」


 結局どこまで、いつまで、どうやって行くつもりなのかは聞きそびれてしまったけれど、明日には戻ってこられるくらいの近場であると信じたいところだ。むしろそうじゃなかったら私が2倍働かなくてはならなくなるから困る。めっちゃ困る。


「いっそ私も……いやいやダメだよそれは……」


 一瞬気の迷いが生じた自分自身にため息をつきながら、私はイルカの姿に戻り、再びプールの中に飛び込んだのだった。


 やっぱりマグロ、食べに行ったのかな。だったら私も、ついて――いやいやダメだよねそれは。

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