第8話『読めない名前』

――旧〇〇村・拝殿地下


 封碑の表面に、変化が現れたのは、それが“誰かに見られた”直後だった。


 中央の手形のような凹みが、微かに脈打つように赤黒く変色し、擦れていたはずの石碑の一部に、“文字のような線”が浮かび上がっていた。


 けれど、誰もそれを読むことができなかった。


 「これ……字か?」「いや……線のようで、形がなってない……」


 丸山が低く呟いた。


 「なんか、“読んじゃいけない”感じがする」


 森山が眉をひそめながら慎重に撮影しようとするが、カメラの画面はノイズまみれになっていた。


 「読めないようにされてるのか……」


 飯村が、思い出すように言う。


 「昔の封印って、名前を“書いて消す”って聞いたことがある。

 名前を消せば、存在を弱められるって……」


 「じゃあこれは、読まれないための文字か。」



---


――東京都内、あるワンルームアパート


 私は、何度目か分からない目覚めの中にいた。


 夢と記憶と現実の境目が、溶け始めている。


 でも、今は確実に“現実”だった。


 ……そのはずだった。


 なぜなら、画面に映るYouTubeの映像が、私の部屋を映していたからだ。


 椅子、冷奴の皿、観葉植物――すべて、自室の映像。

 私自身は映っていない。けれど、カメラの視線が、確かにここにある。


 「……嘘でしょ……なんで……?」


 パソコンは何も起動していない。配信アーカイブを開いているわけでもない。

 ただ、黒い画面に、自室が映っている。

まるで、向こうから覗かれているように。



---


――旧〇〇村・拝殿地下


 森山のカメラに異変が起こった。


 録画された映像を確認していたところ、拝殿の石碑とは別の“何か”が、一瞬だけ映っていた。


 それは、無人の部屋。

 小さな白い皿と、ガラス越しに揺れるカーテン。


 「……え? 今の、誰の部屋?」


 「録画回してるの、ここだけだよな?」


 再生を止め、逆戻りして確認するが、その“映像”はもう再生されなかった。


 「見せられた……んだよ」

 森山が低く言う。


 「こっちが“あっち”を覗いてるようで、あっちもこっちを見てる。

 名前を媒介にして繋がりができてるんだ。

 おそらく、“その誰か”が、名を返したことで」



---


――東京都内、あるワンルームアパート(現在)


 私は、急いでカメラを覆うようにノートパソコンの蓋を閉じた。


 でも遅かった。


 画面には、閉じる直前、“あの村の拝殿”が映っていた。


 彼らが立っている地下室。

 その奥にある石碑。


 そして、石碑の手前に――私が立っていた。


 私は――村の中に、映っていた。



---


――旧〇〇村・拝殿地下


 森山が、硬直した声で呟く。


 「……いたよな、今。女の人……立ってなかったか?」


 「どこに?」「映像に?」


 「……いや、**ここに。**碑の向こう側に、ほんの一瞬……」


 誰もが息を呑んだ。


 佐伯が思わず背後を振り返る。


 「ここ、……境界が……薄くなってきてる」


 森山が顔を上げる。


 「もう“向こう”と“こっち”の境がない。

 誰かが名を返して、“あの扉”を揺らしてる。

 おそらく、その扉の鍵は――読めない名前そのものだ」



---


――私の回想(ぼやけた夢のような空間)


 「どうして、名前って消せるの?」


 小さな頃の私が、ユメに訊いたことがある。


 彼女は笑って言った。


 「だって、“名前”はね、人が作るんだよ。

 神様だって、おばけだって、人が名付けなければ、ただの影なの」


 「でもね、逆もあるの。“名を与えたら”、それは本物になるの。

 だから――読めないようにしておくの。

 “本物にならないように”」


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