第2話 清掃員、力に目覚める

 ダンジョン。

 およそ100年前に全世界に現れた謎の塔は人々に富と資源をもたらした。


 ダンジョンから発見された魔石は既存エネルギーの代替品として機能し、科学技術は魔科学として発展。ダンジョン産の素材や遺物は高額で取引されるようになり、ダンジョンはこの国――いや世界にとってなくてはならないものとなった。


 ダンジョン探索者は今や最も稼げる職業として世代問わずの大人気。


 世はまさに大ダンジョン時代、なんだけど――


「これ……マジ……?」


 俺、宝月幸太郎の目の前に広がっている光景は最早この世の終わりだった。

 入ってすぐの入口は大体どこのダンジョンでも広めのホールみたいになっているのだが――


 壁面はそれかっこいいと思ってんの? みたいな謎アーティスティックな落書きだらけ。

 床にはとにかくゴミ。ゴミ、ゴミ、ゴミのオンパレード。壊れた武器とか防具とかよく分からん草とか何が入ってるか分からんビニール袋とかビールの空き缶とか、もう色々酷い。


 探索者の数もやたらと多く、その大体がチャラい兄ちゃんとか、イカツいおっさんとか、けばけばしい姉ちゃんばかり。げらげらと下品な声を上げて地べたに座って談笑する姿は品性の欠片もない。


 え、今日からここが俺の職場なの……? マジで……?


「入口で突っ立ってんじゃねーよ」


 突然肩を強く押されて、俺はなすすべもなく床に崩れた。

 見上げるといかにもチンピラです、といった風貌の若い男が小ばかにするように薄ら寒い笑みを張りつけていた。

 ガムでも噛んでいるのか、くちゃくちゃと不愉快な音が響く。


「この時代に清掃員とか相当無能なんだな、だっせぇ」


 チンピラはぷっと床にガムを吐き捨て、それを靴で磨り潰した。


「ちゃんと綺麗にしろよ? 無能君」


 げらげらと笑うチンピラに目を合わすことなく、俺は床にこびりついたガムをヘラで剥がす。


 波風立てるな。刺激するな。ここはやり過ごすしかない。

 ふつふつと湧き上がる怒りと悔しさを抑えながら、俺は自分にそう言い聞かせる。


「おい、返事はどうしたよ!」

「ぐぇ……!」


 その時、突然チンピラが俺の頭を踏みつけた。そのまま髪の毛を引っ張られる。

 チンピラのにやにやしたムカつく顔が目の前にあった。ていうか酒くせぇ。こいつ相当酔ってるぞ。


「あームカついた。めっちゃムカついたわ。これ、俺のことムカつかせた罰ね」


 意味わからん理由で振るわれる暴力。殴られ蹴られ、踏まれて叩かれて。


 しかし痛みは殆どない。ここは

 だからひたすらに耐える。痛みがなければただ鈍い衝撃を我慢するだけだ。


「あーあーまたよっちゃんが暴れてるわ」

「この前来た清掃員もボコしてたよな」

「どうせ女に振られた腹いせだろ」


 周りの探索者は助けるでも通報するでもなく、これが日常だとでも言うように世間話の種にしていた。


「ちっ、つまんねぇな。ちょっとは抵抗しろよ。それとも、てめぇのジョブじゃあ弱すぎて使う気にもならねぇか? そうだよな、清掃員なんかやってるくらいだもんな。どうせ大したジョブでもねぇんだろ!」

「ぐはっ……」


 腹を思い切り蹴られる。


 あー、これは新人君もバックれるわなぁ。こんな環境じゃあなぁ。

 そんなどうでもいいことを考える。早く終われと願いながら。


「それともお前、もしかしてジョブなしか?」

「――!!」


 だが、突然投げかけられたその言葉に俺は思わず動揺してしまった。


「え、マジ? マジでジョブなしなの? ぷっ、はははははは! マジかよ! ジョブなしが清掃員してんの? どんだけダンジョンに未練あんだよ、なっさけねぇ」


 うっせぇよ、このボケ。

 俺が清掃員やってるのは未練があるからじゃなくて、中卒がやれる仕事の中だと断トツで給料がいいからだよ。


「あーおもしろ。腹よじれるわ、はははは! 面白いもん見せてもらったお礼に、いいもの見せてやるよ」


 チンピラは腰の剣を抜き放つ。

 ギラリと光る白刃に、恐怖に引き攣る俺の姿が見えた。


「スキル【スラッシュ】」


 淡い閃光と共に振り下ろされる刃に、俺は一刀両断されて――



 死んだ。



 ***



「……っは!! はぁ……はぁ……」


 目が覚めると、そこはさっきいたのと同じ歌武伎町ダンジョンの一階入口だった。

 素早く辺りを見渡すが、さっきのチンピラの姿は見えない。どうやらもう先に進んだようだった。


「あぁくそ……最悪だ……」


 。それは分かっている。

 分かっていても、決して気持ちのいいものじゃない。


 ダンジョンに巣くうモンスターにやられたことは何回もあった。だけど、人に殺されるのは初めてだ。

 眼前に迫る刃、斬られた時の感触。それらを思い出し恐怖で身が竦む。


 社長に言って担当変えてもらおうかな。そんな考えが浮かんだ。

 俺は勤続も長いし本当に無理だと言えば分かってくれるだろう。もしかしたら減給とかされるかもしれないが、こんなところで働き続けるよりはマシ――


 いや、ダメだ。減給はダメだ。

 ただでさえカツカツなのにこれ以上減ったら天音に不便を強いることになる。それはダメだ。


 弱気になるな。気合を入れろ。


 俺は腰にぶら下げていた異空鞄ディメンションバッグから背負い籠、トング、護身用のナイフ、軍手、雑巾等々を取り出す。


 それらを装備し、何事もなかったかのように掃除を始めた。壁を磨き、ゴミを拾い、隅から隅まで掃除していく。


 ゴミの中には折れた剣とか鉄パイプ、バール、薬莢のようなものまであった。犯罪の匂いを感じながらも、俺は見て見ぬフリをして掃除に勤しむ。

 幸いにも周りの探索者が絡んでくることもなく、掃除は着々と進んで行った。


 最早、心は無だ。余計なことを考えたら嫌になってしまう。

 だから、ただ無心でお金のためだけに仕事をこなす。


 ホールが粗方終わり、次はダンジョン奥に続く道へと移動しつつゴミを回収していると――


「ん、なんだこれ」


 床に落ちていたそれは丸くて黒い、石のような何かだ。石のように見えるけど、材質が明らかに石じゃない。微かに発光しているが、魔石とも違う。


 まぁよく分からん素材を見つけることはままあることだ。モンスターの素材とか落ちてたりするし、珍しいことじゃない。


 俺は手に持った石っぽいそれをひょいと籠の中に放り込む。



 その瞬間、俺は懐かしい声を、聴いた。




『驕句多遏ウを入手しました。歌舞伎町ダンジョンから歌武伎町ダンジョンへエネルギー転移を観測。ID認証――成功しました。転移――成功しました。充填率は5%……15%……40%……』




「はっ? なんだこれ、なんだよこれ!?」


 脳内に直接囁くようなこの声は、5年前のあの日――ジョブ認定を受ける時に聞いたあの機械音声だ。

 だが何かがおかしい。エネルギー転移? 一体なんのことだよ。訳が分からない。


『60%……75%……90%……』


 充填率とやらはどんどんと上がっていく。

 周囲に何もおかしな変化はない。おかしくなったのは俺の頭か?

 だが、何かとんでもないことが起きているという直感が、俺の心臓の鼓動を速めていた。


 そしてその瞬間が、ついに訪れる。


『充填率100%を確認。対象者、宝月幸太郎へエネルギーを充填――成功しました』


 何かが、俺の中に流れてくる。全身を巡る血液の流れが手に取る様に分かるみたいに、何かが俺の中に流れ込んでくる。


『ジョブ【有卦うけりし者】を発現しました』


「ジョブ……? ジョブってどういうことだよ。何が起きてんだよこれ」


 俺の中に流れていた何かはもう感じ取れない。

 いやそんなことよりも、今この機械音声はなんて言った?


 本当に、俺にジョブが……? そんなことありえるのか?

 ジョブの再発現なんて一度も聞いたことがない。ジョブは発現しなかったら一生そのまま。それが常識だ。


 分からない。何も分からない。


「おい! どういうことだよこれ! 説明しろよ!」


 俺は宙に向かって声を張り上げる。通りすがりの探索者が変な目で俺を見るが知ったことじゃない。


「おい! なんとか言え!」


 だが機械音声からの返事はない。


「くそっ……なんなんだよ――」


 その時、ふと視界にゴミが映った。木の枝みたいな、ただの棒切れだ。

 俺はなんとなく、それが気になって仕方がなかった。拾った方がいい。拾うべきだ。そんな風に俺の直感が囁く。


 そんな自分の突然の直感に気味の悪さを感じつつも、俺は恐る恐る棒切れを手に取った。


『幸運値が上昇しました』


「うわっ!?」


 驚きのあまり、棒切れが手をすり抜けてからんと地面に落ちた。


「な、なんだ……? 幸運値……?」


 もう一度手に取るも、今度は何も聞こえない。


「訳わかんねぇ……一体何が起きてるんだ……?」


『――の歪みを検知。エラー、エラー。イレギュラーが侵入しました』


「こ、今度はなんだ!?」


 再び聞こえた機械音声。文言からただ事ではない感じは分かるが、何が起きてるのかはさっぱり分からない。


 瞬間、足元が急激に輝き幾何学模様が描かれた魔法陣が出現した。


「なっ!? これって転移魔――」


 言い終わる間もなく、俺の視界は暗転した。

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