0-2 世界=鏡映


「ああ、ほら。やはり姫さまだった」

「こっちは不作が続いて農民の不満をどう抑えるかで頭を悩ませているのに、呑気なものだよなぁ」

「お転婆が過ぎるのも、嫁の貰い手が減りそうで困るだろう。どこの国……いや、上様が大層可愛がっているから犬国のどこかに嫁がせるかな」

「お前のところの御子息は、姫さまと年頃が近いのではなかったか?」


道伏と別れたあと、余花の住まいである無殿に戻る途中で囁き声が聞こえる。余花も羽衣も聞こえないふりが上手かったが、羽衣は彼らに聞こえないよう更に小さな声で言い返す。


「あのような男の息子など、姫さまに相応しくありません」


誰にも聞こえない……いや、余花にだけ聞こえるように落とされた言葉。遠回しに気にするなと、余花を気遣っていた。


あの類の噂話はよくあることだ。余花は笑顔のまま、ええ、と頷いた。


姫である余花が嫁ぐのは、外の国か、この国の重鎮の息子だ。国主である道伏が城へ向かったのに本御殿にいるということは、彼らの地位はそんなに高くない。年頃だけで相手が決まることもないだろう。もしかしたら余花より十以上も年上の男性か、または子どもに嫁ぐことだってあり得る。どちらにせよ、彼らの家ではない。


「私は私の行くべき場所に嫁ぐわ」


最小限の男しかいない無殿に入ってから、羽衣にそう返した。


「ならば姫さま、どこに行っても恥ずかしくないようにきちんとお勉強なさいませんと」

「わかってるわ」


ふふっと笑って頷くと、ずっと怒っていた羽衣の表情がほんの少し柔くなった。


余花の勉強部屋には文机と本棚がある。机の上には硯と筆、紙が用意されていて、余花は柔らかな座布団にゆっくりと座った。


教鞭をとるのは羽衣だ。余花が書見台に本を広げると、羽衣は余花の向かいに座って語る。


「今日は鏡映についておさらいしましょう。姫さま、鏡映の成り立ちについては覚えておりますか?」

「もちろん。……鏡映は、生み神さまが創られた。鏡映には、十八の国がある。十八の国は、生み神さまから生まれた、十八の神さまが創られた。その地には初めから『人間』が生まれていた。十八の神さまはそれぞれ人間と夫婦になり、自らが創った国を治めた。十八の神さまが生み神さまの元に戻られたあとも、十八の国は神さまに守られている。……十八の神さまは、創造神よね?」

「ええ、その通りです。この国の創造神は『犬神いぬがみ』さまになります」


頁をめくると絵が現れる。十八の神さまの一柱である犬神さまの絵だ。


「国を治めるのは本来、創造神である犬神さまとその妻である犬姫さまです。ですが、二柱とも生み神さまのもとに戻られたため、別の者が上に立つ必要がありました」

「その新しい統治者を、犬神さまは決めていらした」

「ええ。犬神さまは新しい統治者に加護を与えました。その加護の証が、金の毛並みを持つ犬の部位です。初代犬国の国主は犬の尻尾でしたが、道伏さまは耳と尻尾をお持ちですね」

「獣の部位は、その獣の神の加護を授かってる証なのよね。ええと、け、け……」

「眷属神さまです、姫さま。人は皆、眷属神さまの加護の証として、獣の部位をひとつ以上、持っています」

「そう!眷属神さまの加護を皆は授かってる。同じ犬神さまの加護を授かっていても、創造神である犬神さまの加護は金の毛並み、犬の眷属神の加護は白や黒……金以外の毛並みと決まっている。だから、金の毛並みが王族の証なのよね」

「犬国は、ですよ。たとえば、鴉の国では黒い羽、兎の国では白い毛並みが王族の証です」

「羽衣は兎の加護を得ていたわよね。白い毛並みではなかったかしら?」


余花の言葉に、羽衣は普段は袴と足袋で隠している脚をちらりと見せる。


「不敬ですよ、姫さま。これは亜麻色です」

「白く見えるわ」

「少し白色が強いだけで、亜麻色です。兎の国の王族は、それこれ光輝くような白色だそうですよ。犬の加護を得ている者のなかにも、金に見紛う黄金色の毛並みを持つ者がいますが、輝きがまったく違います」

「見たことないからわからないけれど、見る人が見ればわかるということね」


どのような毛並みなのだろうかと想像しながら、余花は犬神さまの絵を指でなぞる。


「羽衣は兎の加護を授かっているけれど、兎の国の人間ではないわよね。加護は生まれに関係ないということで合っているのかしら」

「わかりません。鏡映の歴史は書物に残っているよりも長く、私の先祖に兎の国の人間がいた可能性もあります。王族も基本は犬神さまの加護を授かっていますが、過去には馬や鼠の加護を授かって産まれた姫や王子もいらっしゃいます」

「そう……」


王族も、血を絶やさないために嫁や婿をとる。その外からの血に、犬以外の眷属神があったのだろう。婚姻を結ぶのに犬の眷属神でなければいけないという法はない。


親が何の加護を持っていようが、子には関係ない。これは余花もよく知っていることだ。


羽衣は余花の様子を見て、気遣わしげに言葉を重ねる。


「姫さまは間違いなく、王族ですよ。犬神さまの加護は得ていなくても、『人間』の加護を授かっているのですから」

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