姫さまの瓦版!

夢十弐書

 

0-1 始まり

鏡映・犬国けんこく白堅城はくけんじょうにて。


ぱたぱたと、本御殿を走る軽快な足音が響く。姫さま、姫さま、と控えめながら遠くからでも聞こえるほどの大声で呼ぶ女の声がする。


本御殿から白堅城へ向かう途中だった、戌渡道伏は、その足音と女の声で、足を止めた。十日に一度ほど繰り返される光景だ。城内で走る者の当たりはつく。


「父さま!」


道伏が振り向くと同時に、一人の少女が廊下の角から現れた。お気に入りの淡い緑の着物を身につけた、齢十四の娘だった。生まれたときに咲いていた桜の色を映したかのような桃色の髪には、繊細な刺繍が施された白の花飾りが刺さっている。紫の瞳を子どもらしくきらきらと輝かせ、走ってきたばかりの頬は上気していた。


愛らしい少女は道伏の娘であり、この犬国の姫だ。


「余花。どうした?」

「いつものが出来上がったのよ。これ、父さまに瓦版!」


手渡されたのは余花自ら文章を組み立てた瓦版だ。絵は余花が雇った専属の絵師が描いているが、ほとんどは余花の手で出来上がっている、この世でたった一枚の瓦版。


道伏は笑んで、それを受け取った。政務が忙しくあまり家族の時間をとってやれないが、余花は会えない時間に自分にあったことを父に教えようと、瓦版を書き始めた。その前向きな姿勢が好ましく、父として嬉しい。


「ああ、ありがとう。あとでゆっくり見よう」

「城下町に新しく出来た団子屋さんのことを書いたの。それから、以前書いた女将が出産してね、その子の頭には兎の耳がついていたのよ!」


はしゃぎすぎないように気をつけながら、余花は嬉しそうに伝えてくる。


「兎の神の加護を授かったのね。羽衣と一緒だわ。でも、羽衣は脚に加護を得ているから、赤ん坊はまた違うわね。どんな特性を持っているのかしら」

「その羽衣が、顔を真っ赤にして追いついたようだよ」

「あら。羽衣、父さまに瓦版を渡せたわよ!」


羽衣は余花の世話係であり、教育係だ。艶のある長い黒髪を刺繍のない白い紐で結んではいるが、走ってきたため、少し乱れている。いつもなら余花を叱る羽衣だが、道伏を見てすぐに叩頭した。


余花の父であり、犬国の王である道伏を前に騒ぎ立てはしなかった。


「羽衣。すまないな。大変だろうが、余花を頼むぞ」

「はい」

「余花はよく羽衣の言うことを聞くように。私はこれから仕事だ。余花は余花の仕事をしなさい」

「わかりました。父さま、お仕事がんばって」


愛する娘の応援に、道伏はにこりと笑って応えた。


踵を返した道伏の後ろ姿には犬の尻尾が揺らめく。太陽の光を反射する金の毛は、王族の証であった。


一方、余花に金の毛はない。頭に耳はなく、腰に尻尾はなく、手足も普通の人間だ。体中のどこを探しても、金の毛はない。


それでも、戌渡余花は誰もが疑いようのない、犬国の王族だ。


「姫さま」


道伏が立ち去った後で、羽衣の怒気を含んだ声が余花を刺す。


「さあ、お勉強の時間ですよ」

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