霊感零怪談

@katagurigura1

プロローグ

 大体の怪奇現象は「気のせい」という言葉に芽を摘まれます。この無自覚な唯我論は、呆気なく全ての可能性を消し去ってしまうのです。


 突然ですが、好きな映画のネタバレをします。タイトルを隠してなんの作品かわからなければ多分OKですよね。気になる人は、一段落だけ読み飛ばしてください。


 その映画のラストシーン、主人公は旅行先の別荘にて、宙に漂うガラスが突然落ちて割れるのを目撃します。姿は見えませんが、霊が現れたのです。

 作中で主人公は兄の霊と交信しようと試みており、このシーンではこの霊が兄なのか、それとも違うのかどうか確認しようとします。というのも生前に約束をしていたんですね。質問すると頷く代わりに壁を強く叩く音が返ってきます。色々質問するのですが、お兄さんなのか別の霊なのか全く判断ができず。怯えながら主人公は質問を続けますが、最後に“Or is it just me?”と聞く、「気のせい?」てな感じですね。そうするとYesを意味する叩く音が返ってきて、この映画は終わります。


 気のせい、という言葉は自身の意識以外を全て無に還す最強の言葉です。この映画の中では、兄の死に囚われずに生きていくための最適解となりますが、場合によっては最低かも。悩み事を「気のせいじゃない?」とか言われたらちょっと腹が立ちます。

 何かを”just me”、各個人の意識の中だけのこととするのは、間接的にその他全ての事象すらも否定することにつながってしまうんですね。

 

 この流れでいくと、「怪奇現状も気のせいで済ますことができるのでしょうか?」というのが100点の展開ではありますが、残念ながらそれはできません。なぜなら僕はそういった経験をしたことがないからです。気のせいもクソもないんですね。タイトルにつながりますが、僕は霊感0なのです。かといって、他人の経験を「気のせいじゃない?」と一蹴する気は毛頭ありません。なんなら実話怪談も大好きです。

 好きが故の気付きですが、実話怪談には一つ大きな弱点があります。それは「事実である」ということが恐怖の軸にあることです。「これって作り話じゃない?」と疑えばキリがなく、そうなると怪談師の恐怖怪談もあっという間に嘘つきのデタラメ口上になってしまいます。そして残念なことに、その話を証明する術もありません。特に霊感のない僕には近しい体験をすることも果てしなく難しいです。

 

 そんなある種ジレンマを抱えていた僕に、ある日突飛なアイデアが降ってきました。「怪談収集と怪談本制作なら追体験できんじゃない?」と。

 身近な友だちなどから話を集めれば、ネット上の情報よりかは信用に値するし、自身でその話を文章に落とし込んでいけばどういった形で情報の取捨選択、補足などをしていくのかがわかります。怪談自体を体験することはできませんが、より近いところまで自身の意識下に置くことができます。例え提供された話が嘘であっても、「自身で怪談収集して、一つの作品を作った」という事実は残ります。


 集めた怪談が嘘でも、寝ぼけていただけでも、思い違いでもいいんです。僕が作り上げたという事実が何よりも大事なんです。自身への証明でもありますが、それこそが読者の方に怪談をより楽しんでもらう術とも思っています。

 これは僕が実話怪談制作を追体験するエッセイに近い作品です。もちろん怪談集としても楽しめるエピソードも多いですが、より怪談を身近に感じてもらうよう、なるだけ素直に等身大で綴っています。エピソードそれ自体を証明することはできず、「気のせいでは?」と言われてしまえばそれまでの話ばかりです。ですが、僕が怪談を収集したこと、そしてそれを文章にまとめたことは決して「気のせい」ではありません。そんなことを思い出しながら読んでいただければ嬉しいです。

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