第1話 虚像じゃない『神王子』


 煌白こうじろ 叶愛かなえは天才だ。


 生まれつき秀でた頭脳に努力家な性格が磨きをかけ、偏差値七十超えの名門校に次席で合格した。


 首席の男子生徒は、高校でもSNSでも有名な、かの『神王子』。

 届くはずのない高みに手を伸ばし続けて二年間、そこに辿り着いたことは――手がかかったことすらなかった。


 高校三年にして叶愛は、そんな『神王子』と同じ特進クラスになり、あろうことか隣の席になった。

――ずっと憧れてきた、あの『神王子』と。


 叶愛より遅く登校してきた彼が席についたその瞬間、思わず声がこぼれた。


「あ、あなたは……」


 見れば見るほど惹き込まれる端正な顔立ち。

 人は見た目じゃないと言うけれど、結局のところ第一印象を決めるのは見た目で、彼は噂通りの『王子様』だった。


「はじめまして。よろしくね」


 美しい弧を描いて微笑む口元と眉が、感情のない瞳が、どこか人形のように感じられた。


「あ――よろしく……」


 呆けていたから感じが悪く聞こえていたかも、とこっそり顔色を伺う。すると、一切気にとめていない様子で先ほどと全く変わらない笑顔の彼がそこにいた。


 ――この違和感はなんだろう。


煌白こうじろさんだよね? 天才って噂の」


「や、そんな噂聞いたことないけど、煌白であってるよ」


 ふるふると手を横に振って否定したけど、本当はその呼び名を聞いたことがある。同じ『天才』でも格上の『神王子』と比べられることがしばしばあり、それが嫌で知らないフリをしているだけ。


「聞いたことないかー。自分の噂って気にならない?」


「私はそんなに気にならないかな。『神王子』ほど 有名だったら違ったかもしれないけど」


「……そうだねー」


 一瞬、彼の顔が曇った気がした。

 称賛の塊である二つ名は、本人にはあまり気に入られていないのかもしれない。


 悪いことを言ったなと反省しつつも、笑顔の相手にわざわざ謝るのも気が引ける。


 話を終わらせようと口を開きかけたとき、叶愛は『神王子』のラベルが貼られたステータスばかりに気を取られていたという事実に思い至った。

 名前も、性格も、好きなことも、嫌いなことも、何一つとして知らない私が彼の何を語れるのだろう。


 ――ふと、胸がざわついた。


 世間に作られた型の中から外れた、本当の姿を見たいと、彼のことをちゃんと知りたいと思った。

 これは同じようにラベリングされた叶愛の、一種の仲間意識なのだろうか、それとも――。


「そういえば聞いてなかったね。名前、何ていうの?」


祭奈良さいなら 仁優じんやって言うんだけど……つい最近苗字が変わったばかりで慣れてないから、できたら名前で呼んでほしい」


「仁優君? じゃあ私のことも下の名前で叶愛って呼んで」


 苗字が変わった――ということは、親のことで何かがあったばかりなのだろう。気にはなったが深堀りはせず、そうとだけ返した。


「叶愛さん。これからよろしくね」


「こちらこそ」


 握手を交わしたわけじゃない。だけど、まるでそうしたかのような空気が二人の間に漂った。

 これは友情表現であり敵対意識ではない――しかし、周囲はそうと取らなかった。


「『天才』達が笑い合ってる?」


「ライバル同士宣戦布告でもしたのか…、?」


 的外れな考察が飛び交う中、叶愛は自分の頬に手を添え、そっとため息をついた。


 憶測ばかりで盛り上がっている彼らは、果たして「本当」の私たちを知っているのだろうか。

 偶像でしかない『神王子』のこと、その比較対象でしかない、もう一人の『天才』のこと。


 噂話に花を咲かせる彼らの中に、まともに話したことのある人はただの一人もいない。


「そうだ仁優君、授業が始まるまでちょっと話さない?」


 外野から無理やり目を背け、ただ「知りたい」と思った彼の方を見る。


「いいよ。噂でしか知らなかったけど、俺叶愛さんのこと気になってたんだ」


 きっと、微笑む彼の言葉に他意はない。自分の比較対象として認知していただけに過ぎない。


 それなのに心躍る自分がいることに、思わずこぼれた笑みに、叶愛は気づかないふりをした。


 

 変わった苗字の理由も小さな時の思い出も……いつか、彼の口から聞けたなら――


 ――「本当」の彼に、もっと近づけますように。




 その後、二人にとって想定外の噂が校舎を駆け巡る。

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