ユーアーマイフレンド

貝柱ミルク

ユーアーマイフレンド

「いってきます」

 私、斉藤結菜さいとうゆなは毎日の学校が楽しみだった。別に授業が楽しいわけではない。ただ友達に会うことだけが楽しみだった。


「あっ!結菜ちゃん」

「おはようひまりちゃん!」

 私の唯一の友達、ひまりちゃん。ゆるふわブロンドヘアーが似合う明るい社交的な女の子。私と同じ、高校二年生だ。私が一年生の頃、海外から日本へ帰ってきたと言って転入してきた。

「早く行きましょう。遅刻してしまうわ」

 そう言ってひまりちゃんは私の手を引いていつもの通学路を進んでいった。私の家の周りはあまり人通りがないのだが、少し進むと大通りに出る。この大通りが私は苦手だ。なぜなら———

「……またひまりちゃんのこと見てる」

 道ゆく人が皆、ひまりちゃんを見つめるからだ。確かにひまりちゃんが誰もが振り返る美少女であることは認める。だが、だからと言ってそんなにジロジロ見つめるのは如何なものかと思う。

「いいのよ結菜ちゃん。そんなのいちいち気にしたほうが負けなんだから」

「うん……」

 自分に対する視線など毛ほども気にしない。内気でビビリな私とは大違いだ。

「そんな事より結菜ちゃん、ちゃんと課題は終わった?」

「え?あっ!」

「やっぱり。早く行って終わらせちゃいましょう」

 そう穏やかに笑うひまりちゃんはとても可愛らしかった。この時にはもう、私も視線など気にならなくなっていた。




 学校に着いてすぐ私は残りの課題に取り掛かった。数学ドリル十ページ。正直終わる気がしない。

「大丈夫?手伝うわ」

「ありがとう、ひまりちゃん!この問題わかる?」

「えっとねー…、わからないわ」

「もう、わからないんじゃん!」

 あはははっ!

 全く危機感を感じさせない会話。平和な友達同士の会話。けれど、それに水を差してくる人間は一定数いる。

「よぉ、斉藤。今日もオトモダチと一緒か?別にいいけど、いい加減現実見ろよ〜」

「あなた、何よその言い方!」

「まぁ、楽しくやってろよ。オトモダチとな」

「ちょっと!」

 ひまりちゃんが珍しく怒っている。クラスメイトが私を揶揄するのはよくある事だが、ひまりちゃんが怒ることはそうそうない。

「結菜ちゃん大丈夫?あんなの気にしちゃだめよ」

「ありがとう。ひまりちゃんは優しいね」

 きっと、さっきのクラスメイトは私がひまりちゃんと釣り合っていないから、あんなことを言ったのだろう。確かにそうかもしれない。だが、ひまりちゃんが私のために怒ってくれた。それだけで私は十分対等な関係だと思える。

「課題、早く終わらせちゃいましょうか。もうすぐホームルームが始まってしまうわ」

 私は大急ぎで終わらせようと試みたが、結局間に合わず、先生からこっぴどく叱られることになった。




 キーンコーンカーンコーン

 四時間目の終了を告げるチャイムが鳴る。皆は昼食をとるために食堂へ行ったり、友人同士で席をくっつけたりしている。私達も自分の弁当を持っていつもの場所へ向かった。


「風が気持ち良いわ。晴れててよかったわね」

 いつもの場所、それは屋上だ。他の学校では封鎖されていることが多いが、私の学校は学校が開いている時間はずっと開いている。

「わぁ!結菜ちゃんのお弁当、今日も美味しそうね」

「ひまりちゃんはまた食べないの?食べないダイエットは身体に毒だよ」

「私はいいのよ。それに、家では大食いなのよ私」

 ひまりちゃんは学校で食事をとらない。実際、私はひまりちゃんが何か食べている所を見たことがない。勝手にダイエットだと思っているが正直、理由は分かっていない。

「あっ!そうだわ結菜ちゃん。私、結奈ちゃんのお家に行ってみたいのだけれど」

「別にいいけど、お母さんに確認しなくちゃ。今日は五時間授業だし、お母さんもオッケーって言ってくれるだろうから、帰りに一緒に来る?」

「ほんと!?とても嬉しいわ!楽しみにしてる」

 普段ならそんなにすぐおいでと言わないのだが、ひまりちゃんなら私の友達にことごとく文句を言う母でも満足するだろうと思い、了承した。一年生の時から早く友達を作れと言われていたから、紹介がてら連れていくのもありだろう。

 友達を家に連れていく。今まで一度もやったことがないことに私は胸を躍らせていた。早く放課後にならないだろうか。食べ終わった弁当を持ったまま、そう考えていた。




 いつもより長い五時間目を終え、私たちは帰路についた。きっと今日は最高の一日になる。私はそう確信していた。

「ただいま、お母さん。友達連れてきた」

 緊張しながらそう伝える。自然と体が強張る。

「友達っていつも言っていた子?話を聞いている限りお淑やかそうでいい子だとは思うけど、ハーフなんでしょ。価値観とか合うの?」

「大丈夫だよ。お母さんの思っているようなことはないから」

 いつもひまりちゃんについて話していた甲斐あって、母からの批判はあまりなかった。さっきまで強張っていた体がふっと解れた気がした。

「じゃあ紹介するね。この子がひまりちゃん」

「初めまして、ひまりです」

「……結菜?どういうこと」

 母は大変困惑している様子だった。ひまりちゃんは礼儀正しく、容姿端麗で、今の時点では非の打ち所がない様に思える。もしかして母はどこかでひまりちゃんを見たことがあるのだろうか。

「まさか、そこにがいるの?」

「え?うん…」

「冗談じゃないわ」

 そう言うと母は私の手を強く引き、私を無理やり車へ押し込んだ。私が痛いともがいても、ひまりちゃんが宥めようとしても、全く声が届かないのか目を見開き、必死の形相で何かの準備をしていた。遂にはひまりちゃんを置いて車を発進させてしまった。私がいくら車を止めるように言っても、母は止めなかった。

 止めてもらうことを諦め、ただ無言の時間が一時間ほど過ぎた頃、母がようやく車を止めた場所は


———大きな精神病院だった。


 理解できないまま手続きは進み、気づけば私の番が回ってきた。担当してくれたのは優しそうな先生だった。

「なるほど…。存在しない友人を連れてきた、ですか。イマジナリーフレンドですね」

「………は?」

一瞬、時が止まった。イマジナリーフレンド、それはストレスなどから身を守るために作り出す架空の友達。まさか、ひまりちゃんが?

「見た所、イマジナリーフレンドが現実の人物に見えているようなので、リラックスできる時間を作ったり、散歩をして現実との繋がりを持てるようにしましょう」

「バカにしないで!ひまりちゃんが現実には存在しないって言いたいの!?」

「大丈夫だよ。今の君は自分の心を守ろうとしているんだ。ただ、それが行き過ぎでしまっているだけだよ」

 無慈悲な現実が突きつけられる。まるで、私とひまりちゃんの友情は偽物だと言うように、今までの日々に意味などないと言うように。思い出に亀裂が入っていく。

「どうして私の娘なの!?」

「お母さん、落ち着いてください」

「落ち着ける訳ないでしょう!きっと選ぶ学校を間違えたんだわ」

 母と先生の会話が遠くに聞こえる。なんだかもう、どうでもいい。カウンセリングを提案をされたが、断った。もうこれ以上、ひまりちゃんを否定されたくなかった。嗚呼、今日は最悪の日だ。




「高校だからむやみに辞められないじゃない。私が選ん学校だから大丈夫だと思ったのに。大学こそはちゃんと選ばないと」

 帰りの車の中、母の話し声だけが響く。返事などする気力がない。ただひたすら、流れる景色を窓から見つめることしかできなかった。


 事実を知らなければ、幸せでいられたのだろうか。あのまま卒業するまで、ひまりちゃんを本物の人間として見ることができたのだろうか。今となってはわからない。


———きっともう、前の様な友達でいられない。


            *


 イマジナリーフレンドだと知った後の学校。様々な感情が私の中に渦巻いていた。強いて言うなら憂鬱という言葉がピッタリだろう。今まで毎日の楽しみだった学校が苦痛でしかない。

「おはよう結菜ちゃん。元気ないわね、大丈夫?」

「平気。気にしないで」

 素っ気ない態度で返事をする。いつもの私なら明るく返事をするだろう。だが、これが私の妄想であると理解してしまった私にはできなかった。

「そう?ならいいけど、一応今日はゆっくり行きましょうか」

 いつもの大通り。いや、違う。

「………ッ」

 今までは少し嫌くらいだった。だが、この視線の意味がわかってしまった私には恐怖の道になっていた。

「結菜ちゃん?顔色が悪いわ。今日はお休みしたら」

「……いい、大丈夫」

 すぐにでもこの視線から逃れたくて早足になる。ひまりちゃんのことなど少しも気にすることなく、一直線に学校へ向かう。 


 それから私はひまりちゃんを無視し続けた。教室に着いてからも、休み時間も、ひまりちゃんから目を背け続けた。知りたくなかった事実から逃げる様に。

 無知とは罪だとはよく言ったものだ。無知ほど良いものはない。知らなければ、こんなに苦しむこともなかった。


 無視していればひまりちゃんも無理には話しかけてこないと思っていた。だが、そう思う様にはいかないらしい。昼休み、ついにひまりちゃんに捕まってしまった。

「結菜ちゃん、どうして私を避けるの?何か嫌なことをしてしまったの?もしそうなら謝るわ」

「………」

「ねぇ、何か言って。言ってくれないとわからないわよ」

「やめてよっ!」

 つい、叫んでしまった。止まらなければ、これ以上は口に出してはいけない。心で分かっていても、私の口は止まらない。

「ひまりちゃんは現実には存在しないの!私が作り出した空想でしかないんだよ!あの大通りの視線も、クラスメイトからの冷やかしも、全部ひまりちゃんがいるからあるんだよ!もう私に関わらないで!目の前から消えてよ!!!」

 はっ、とした時にはもう遅かった。口から出た言葉は戻らない。目の前には、絶望した様な顔をしたひまりちゃんがいた。

「…そっ、か。それなら、仕方ないわね」

「ひまりちゃ、今のは…」

 喉に何かが突っかかって声が出ない。否定したいのに、できない。

「さようなら、結菜ちゃん。ちゃんと本物のお友達、作ってね」

「……ひまりちゃん?」

 そう言うとひまりちゃんは本当に消えてしまった。まるでそこには最初から何もいなかったかの様に何も存在しなかった。ただ、騒がしい生徒の話し声が響くだけだった。


            *


 ひまりちゃんが消えてから一週間、私は一度もひまりちゃんを見ていない。友達は、一人もできていない。一年生の頃と同じ生活に逆戻りだ。一人で休み時間を過ごし、一人で帰宅する。帰れば母から友人について問い詰められる。ひまりちゃんという友達が出来て開放されたと思っていたのに、結局ひまりちゃんも消えてしまった。


 ひまりちゃんが消えたからは新しく友達を作ろうともした。だが、相手の全ての行動とひまりちゃんを比べてしまうのだ。

 ひまりちゃんならもっと優しい。ひまりちゃんならもっとお淑やか。ひまりちゃんならもっと明るい。


ひまりちゃんなら、ひまりちゃんなら、ひまりちゃんなら………


 そう考えると、友達を作れなくなってしまった。相手を見れば見るほどひまりちゃんより劣っている。そう思ってしまう。私は、ひまりちゃんを無意識に求めてしまっていた。

「もう、会えないのかな」

 ひまりちゃんと昼食を食べていた屋上で、そんなことを考える。空は忌々しいほどの晴天だ。

 ひまりちゃんがいなくなって、悲しんでいるのは私だけ。毎日、あの日を思い出す。ひまりちゃんが消えてしまった日を。勝手に作り出して、勝手に幸せになって、勝手に拒絶して、勝手に悲しんで、私は本当にどうしようもない人間だ。


 ひまりちゃんに会いたい。ひまりちゃんに謝りたい。ひまりちゃんと、一緒にいたい。

「ひまりちゃん……」

「なぁに、結菜ちゃん」

「……えっ」

 そこには、消えたはずのひまりちゃんがいた。今までと変わらない姿でそこに立っていた。

「あ、あぁ!ひまりちゃん、ひまりちゃん!ごめん、酷いことしてごめん!消えてなんて言ってごめん!」

「いいのよ、怒ってないわ。私も勝手にいなくなってごめんね」

 私達は抱き合い、再会を喜んだ。もう、ひまりちゃんが現実に存在しないなんてことはどうでも良くなっていた。そこにいてくれるだけで十分だった。

「ひまりちゃん、私もうひまりちゃんと離れたくない。ひまりちゃんに、置いていかれたくない」

 ひまりちゃんがイマジナリーフレンドである以上、いつか本当に消えて無くなってしまうのは事実だ。そんなこと、私には耐えられない。なら———

「ひまりちゃん、ずっと一緒にいられる所に行こう。またひまりちゃんが消えてしまうだなんて耐えられない。だからお願い、ひまりちゃん」

「いいわよ。ずっと一緒にいましょう。これからは永遠に一緒よ」

 私達はもう一度抱き合った。お互いの存在を確かめる様に。

「もう離れないでね」

「もちろんよ。離れないわ」

 私達は美しい青空へ飛び込んだ。




「続いてのニュースです。××市××高校の二年生、斉藤結菜さんが校庭で倒れている所を職員に発見され、病院に搬送されましたが、その後死亡が確認されました。警察は自殺と見て捜査を進めています」

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