生贄少女は古竜と語らう

水底まどろみ

第1話:伝承の真実

 赤い月が昇る夜には、竜神に生贄を捧げなければならない。

 私の住んでいた村には、そんな伝承が言い伝えられていた。

 そうしなければ、赤い月の特殊な魔力に当てられた竜が村まで下りてきて、破壊の限りを尽くすらしい。

 占星術師の家系に毎日星や月の動きを記録させて、月が赤く染まる日を見逃すまいとしているあたり、村としては本気でこの言い伝えを信じてきたのだろう。


 しかし、私は今、この伝説に疑問を持ち始めていた。


「またこの時期が来たのか……ゆっくり寝かせてほしいんだがな」


 煌々と輝く赤い月の下に横たわる薄鈍色うすにびいろの竜は、眠たげな顔でこちらを見つめ、嘆きの声をあげ始めたからだ。

 ……想像していた状況とだいぶ違う。

 竜の聖域にたどり着いたら問答無用で食べられるモノだと思っていたし、言葉が通じるなんて予想もしていなかった。


「まあ、色々と気を張って疲れただろう。その辺にでも座っとけ」


 あくびを噛み殺しながら語りかけてくる竜は、細かいことは気にしない性格なのか、灰色の鱗で覆われた表皮にはところどころ苔のようなものが生えている。

 これはこれで神秘的に見えなくもないが、話に聞いていた『赤い月に狂う竜神』のイメージとは程遠い。


「えっと……あなたが竜神様?」

「お前たちが勝手に呼んでいるだけだがな」

「私、生贄を捧げないと村が滅ぶって言われてここに来たんですけど……」

「見ればわかる。いつもその白装束で送られてくるからな」


 竜がウンザリしたように鼻息を鳴らし、生温かい風が足元を吹き抜ける。

 その拍子に装束の裾が舞い上がりそうになり、その心もとなさを体感する羽目になった。

 確か、竜神様が食べやすいようにするという理由で、薄い生地を縫い合わせて作られたと聞いたことがあるが……。

 

「……私のこと、食べないんですか?」

「こう見えて俺は食が細くてな。人間を食べるのも胃が受け付けないんだ」

「……本当に?」


 竜の体躯は今まで私が目にしたどの生物よりも大きく、村で一番大きなお屋敷である村長の家も容易くし潰せそうに思える。

 私みたいな小娘なんて一飲みで胃に収められてしまうだろう。

 理由は他にあるようにしか思えないが……本人、もとい本竜が話をしたがっていないように見えたので、これ以上は追及しないようにした。


「……じゃあ、あなたが食べたりしてないなら、今まで生贄になった人はどこに?」


 少なくとも、村には戻ってきていないはずだ。

 もし戻ってきていたら大騒ぎになっているだろうし、こんな伝説とっくに無くなっている。


「ああ、あいつらか。みんな遠い所に行った」

「……やっぱり食べてるんじゃ」

「違う違う! 比喩じゃなくて文字通りの意味だ!」


 目を見開いて慌てている竜の姿はあまりにも人間臭くて、気が抜けてしまう。

 もしこれで嘘をついていて、伝承通りの邪悪な竜の本性を隠しているとしたら、とんだ役者だ。


「俺にはお前たちを食ったりする気は無い。しかし、お前たちも自分を『死んでもいい者』として送り出した村には戻りづらいだろ?」

「……まあ、そうですね。暢気に戻ったりした日には、縛り上げられてまたここに連れて来られるでしょう」

「だから、ここに来たものは村から遠く離れた新天地へと向かって旅立っていくんだ。各々のやりたかったことを胸に秘めてな」


 それを聞いた私は少し唖然とした。

 血生臭い因習だと思っていたものが、まさかこんな平和な儀式にすり替わっていただなんて。

 村人たちが真相を知ったら、いったいどんな顔をするのだろう?


「……さて」


 寝そべっていた竜はゆっくりと体を起こし、四つ足で大地を踏みしめた。

 首を大きくもたげ翼を広げたことで、大きな体はより一層強大に見える。

 先ほどまでの親しみやすい雰囲気とは打って変わって、神と呼ばれるに相応しい威厳をまとった老竜の姿がそこにはあった。


「お前は何をしたい? これも何かの縁だ。手伝えそうなことなら助太刀してやる」

「何をしたいか、ですか……」


 地を揺らすような低い声で告げられた言葉を小さく繰り返し、地面に映る竜の影へと目を落とす。

 私のしたいこと、望んでいること。

 少しの間思案を巡らせてみるが、ある一つの願いが胸中を埋め尽くしたまま、他の考えは浮かんでこない。


「竜神様」

「だから竜神ではないんだが……なんだ?」


 その願いはいつからか私の頭を支配して離れなかった。

 それを叶える時が、ようやく訪れたのだ。




「私……ここで死にたいです」

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