幽霊兄妹

猫の耳毛

幽霊兄妹  上

 朝日がカーテンから差し込み、部屋をやわらかく照らす。

 机の上のデジタル時計には、6:30amの数字。

 僕は少し伸びをしてから、ベッドから静かに降りた。

 外では、鳥の声が聞こえる。


ほたるー。まだ寝てんのかー?」


 しばらく待っても、返事はなかった。

 ふすまを開けると、整った布団の上に、小さな影が横たわっている。


 「......起きてるなら、返事くらいしてよな」


 そうつぶやいて、僕は静かに朝の支度を始めた。

 時計の針は6:30を指したまま、ぴくりとも動いていなかった。


ガン......ドンドン...


「チッ...また宮木ヨシヲか。いつまでも酒を止めずに暴れまくって...」

「ねー。隣にアタシたちが住んでるのに」

「なんだ蛍、起きてたのか」

「お兄ちゃん、おはよ」

「ああ。おはよう」


 まあ、僕達がここに住んでいるとは、誰も思わないだろうな。

 



 だって、僕たちは、幽霊だから。



―――――――――――――――――



 生まれたときの記憶はない。

 けど、母さんが昔よく言っていた。


「ふたりとも元気で産まれてきてね、ほんとに天使みたいだったんだから」

 その頃の母は、笑っていた。父も、笑っていた。

 何もかもが、ちゃんとあった。


 それが、どうしてこうなったんだろう。

 今の家には、ワインの瓶の破片が、壁の角にずっと残ってる。

 父が投げたやつ。床に落ちたガラスを片付けようとしたら、手のひらを切った。赤い線ができて、蛍が泣いた。


「なんでお父さん、あんなに怒るの......?」


 答えられなかった。

 母はもう、まともなご飯を作らなくなっていた。

 朝起きても台所には何もなくて、冷蔵庫は空っぽ。代わりに、鏡の前で化粧をしている母の姿がある。


 前髪の分け目が、どんどん薄くなっていっていた。

 そのことには誰も触れなかったけど、蛍だけは小さくつぶやいた。


「ママ、なんか、さみしそうだね......」


 夜になると、母は口紅を塗って、にっこり笑って出かけていく。

 僕たちはふたりで押し入れに毛布を敷いて、隠れるようにして寝ていた。


 学校では、「びんぼー兄妹」「ダブルトラッシュ」って呼ばれてた。

 制服は毎年おさがりで、色も形も違ってて。

 ランドセルの横に“バカ”って落書き。消せなかった。山田の字だった


 先生は何も言わない。蛍がノートを見せると、「うーん、もう少し字をきれいにしようね」ってだけ。

 問題は字じゃない。ノートの上に靴跡がついてることだった。


 ある日の夜、僕たちは、外に出た。


 家じゃないところに、少しでも空気があるならって。

 草の匂いがして、空を見たら、流れ星がふたつ、同時に流れた。


「...見た?今、ふたつ!」


 蛍が顔を上げて笑う。

 目の下にうっすらクマができてるのに、それでも笑ってた。


「ねえ、願いごと、した?」

「...うん」

「なに?」

「......ひみつ」


 ふたりとも黙って、空を見上げた。

 この世界に、まだ希望って言葉が残ってるなら、きっとそれは、ああいう瞬間のことなんだと思った。


 次の日、テレビのニュースで僕たちは理解した。


『昨夜、○○市のアパートで、11歳の双子の兄妹の遺体が発見されました。遺体は、アパートに住む、時雨しぐれ かいくんと、時雨しぐれほたるちゃんのものだと見られます』


 僕たちは成功した。心中に。

 アパートの屋上で、二人で手を繋いで、跳んだ。


―――――――――――――――――


「今日も暇だねー」

「なー」


 死んだら転生するか、死後の世界に行くものだと思ってた。

 だが、幽霊となって、この世を意味も無く徘徊してる。


「ていうか、お兄ちゃんはいいよねー。電気操ってインターネット見たりできるのずるい!」


 蛍は幼女のように、ばたばたと暴れ始めた。

 幽霊になった僕たちには、違った特徴というか、特殊能力がある。

 まず僕は完全な幽体で、壁もすり抜けられるが、物を持つこともできない。だが、微弱な電気を放ったり操ったりして、コンピューターを使える。

 蛍は透明だが、壁をすり抜けることはできず、電気を操ったりもできない。その代わり、物に触れたりと、物理的に干渉することができる


「蛍はもっと普通の人間に近い生活ができてるからいいだろ。僕は何も触れられないのに」

「まあそうだよねー...」


 そう言いながら、蛍は窓を開ける。

 風が吹き込み、カーテンが揺れるが、僕は何も感じない。空気にも触れることができないため、風の温かさを感じられない。


「もう、ここ離れない?住人もなんで、皆暗い顔してるの?」

「俺達が心中したからだ」

「え...?」


 おっと。言いすぎてしまった。

 さっきまで明るかった蛍の顔が、急に暗くなった。


「ねぇ...どういうこと...?あたしたち...幽霊になっても...他人に迷惑をかけてるの...?」


 涙を浮かべる蛍。

 頬を伝う水滴が、床に落ちる。


「僕たちが心中したから、このアパートは"事故物件"になった」

「うん...」

「で、生活に余裕のない人たちが集まってきた。だから、たまたまだ」

「......」

「お前は悪くない。たまたま、不幸な人が集まっただけだ。彼は、ここに来る前から不幸だった」


 彼女の涙は止まらない。

 急にそんなことを言われても、いまいちピンと来ないだろう。


「...じゃあせめて、私がここの人を幸せにしたい...」

「...それは...」



 ...無理だ。

 なんて、言えなかった。大好きな妹の切実な思いを、否定することができなかった。


「それは?」

「...良い考えだと思う!」

「!!!」


 蛍の顔が明るくなった。

 それを見て、ますます「無理だ」なんて言えなくなってしまう。

 ここで折れて、引き返す訳にはいかない。

 見ないといけない。アパートの闇を。社会の底辺と呼ばれる者が集まる、このアパートの闇を、直視しなくてはならない。

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