その名は衆愚政治。我々は愚かで有るがゆえに

机カブトムシ

我らは愚

 多くの人類は、排外主義に頭を悩ませてきました。これは国民国家の生むひずみです。具体的にはクー・クラックス・クランや、ナチズム、カハニズムなどです。


 なぜこれは生まれるのでしょう。これは、ひとえに我ら人類が愚かであるから……としてしまうとここで終わるので細かく考えてみます。


 排外主義が生まれやすいのは、不況の時です。不況、そして経済的な停滞というものは絶対にいつか起こるものです。


 なぜ、不況が排外主義を生むのでしょうか。これは現代の国民国家が民主的であり、国民が民族という帰属意識の元に集まっているからです。


 民主的であると国政の失敗の責任は当然国民にあるわけだが、責任をおとなしく認められる人間などあまりいない。我らは利己的なのです。


 すると、責任を他者へ転嫁する必要が出てくる。それは政権の与党であったり、首相であったり、象徴としての力しかない王であったりするわけです。


 しかし、困ったことに彼らも同じ国民、同じところに帰属意識を持つ同胞であるので、明確に世の中を悪くした敵と呼ぶのは気が引けるのです。

 ここで登場するのが外国である。民族的帰属意識の外側にいる外国人を悪に仕立て上げれば、同胞は誰も傷つかなかったことになります。

 それはたとえば、あの政治家は外国のスパイだとかそういう言論が生まれるということです。


 不況の責任転嫁のうち、排外主義は受け入れられやすい傾向にあります。これはいったいどうしてなのでしょうか。


 これは日本国内において我々国民の責任逃れが多々発生することが原因です。

 この場合、賢いふりといったほうが正しいのかもしれません。


 例えばあるイベント、あるいは政策があったとします。そして、そのイベントの成功や失敗を予測することが出来ないにも関わらず、賢い立場でいたい人間はたくさんいるでしょう。


 そういう人たちはどうするかと言うと、それを批判します。これは、国家規模のイベントは不特定多数に支持されているので、批判することでそれらの人々よりも自分を賢い立場におけるからです。


 メディアなどは端から自らが責任を取ることなどないと考えているので、このような動きが多いです。


 もちろんこの世にぼろが出ないものなどないので、誰もがあらゆる出来事に対しての批判は可能です。


 これを繰り返すと国政に反対する左派全体を白眼視する人間と、逆に彼らを賢いと勘違いして国政に従う右派を白眼視する人間が出てきます。


 そして、不況が起きて政治基盤が緩んだすきにこの両者を取り込むのが、政治的失敗を外国のせいにする排外主義です。左派は国政の失敗を肯定する彼らを支持しやすく、右派は国政の責任を転嫁する彼らを支持しやすいのです。


 排外主義を傍観したり批判したりする層の中には、傍観と批判で賢者のふりをしていた人がそれなりに含まれます。彼らは粗さがしが得意なので排外主義者相手にその力を発揮することが出来ます。


 しかし、賢者のふりをするような批判主義者は別に賢くはないので人心を排外主義から引きはがすことはできません。批判しかしてこなかったので、例えば選挙戦において別の候補へ他者を誘導するというような行為ができません。


 こうして、排外主義者が台頭するのです。

 

 つまり、排外主義の台頭とは「我々は愚衆ではなくなりたい」という責任転嫁的な欲望から生まれるものなのです。

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その名は衆愚政治。我々は愚かで有るがゆえに 机カブトムシ @deskbeetle

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