第9話
そして、すべてを終えてソファにぐったりと腰掛ける私。
服を変えるだけ。
そう思っていた私が甘かった。
ソファから立ち上がった瞬間、どこから出てきたんだとばかりの侍女たちに囲まれ、あっという間に浴室に担ぎ込まれ、徹底的に磨き込まれ、そうして終えるころには預けられた猫のごとし、何も言わない私がそこにいた。
ハンターとして生活していれば、侍女などという存在はない。
すべて自分でこなすことになれていた私には、すべてを誰かに任せるということにとてつもなく精神が削られた。
「素晴らしいです。2年間も、何の手入れもなされていたとは思えません」
「…ありがと…」
何の手入れもしていなかったわけじゃない。
が、彼女たちからすれば何の手入れもしていなかったのと同義なのだろう。私のささやかな努力は…
ちらと鏡を見れば、そこにはかつては見慣れた2年前の…否、2年という歳月とハンターとして生きてきたものがそこにあった。
15歳から17歳になれば、肉体的に…特に女性的な変化はある。
それに、ハンターとしてそれまでの令嬢生活では足りない筋力が必要だった。
結果、2年前よりもメリハリのある体つきになっていた。
手足は筋肉のおかげで余計な脂肪が無く、女性的な部分は丸みが出ている。
(疲れた…)
とにかく今は休んでいたい。
そのまま静かに目を閉じると、私の意識はあっという間に闇に落ちていった。
***
「ん………」
ふと目を覚まし、目を開けばそこには白い何か。
ふわふわと柔らかなそれがベッドだということに気づくと、ゆっくりと身を起こす。
さきほどまでいた部屋とは違う内装。
天蓋付きの大きなベッドが置かれ、明らかにこの部屋が寝室だということがわかる。
窓を見ればすでに日が落ちようとしている。
少し休むつもりがずいぶん寝入ってしまったようだ。
そこでふと思いつく。
(誰が運んだ…?)
さらに思えば、運ばれている最中に目を覚まさなかった自分に呆れた。
仮にもハンターの端くれだったにも関わらず、警戒感の無さ。
少し、自分が嫌になった。
ベッドから抜け出し、周囲を見渡す。
窓をもう一度見ると、見えた風景がさきほどいた部屋とあまり変化していない。
そして扉が一つ。
どうやら先ほどいた部屋とは扉一つ隔てただけのようだ。
と、ふとその扉のノックする音が聞こえた。
「私ですよ。入ってもいいかな?」
ファルス様だ。
「どうぞ」
促せば、扉が開いてファルス様が入室してくる。
「よく眠れました?」
「はい。……運んだのは」
「私ですよ」
……複雑。
「あ、その顔は傷ついちゃいますね」
「すみません」
表情に出てしまったようだ。でもしょうがない。
「愛する君のことを、他のだれかに運ばせたくなかったもので」
「……」
まだそんなことを言うか。
つい胡乱な目で見てしまう。
「本心からなんですけどね」
それが信じられないのだけれど。
「まぁいいです。これからじっくり私の愛を教えてあげますからね」
迷惑です。
「これから夕食なんだけど、一緒に行きましょう」
そう言って差し出された手を、どうしたものかと考えてしまう。
仮にもファルス様の夕食。その席にはほかに誰がいるのか?
すぐにその手を取らない私に、ファルス様の少し落ちた言葉が響く。
「私とじゃ……嫌ですか?」
「嫌です」
私の言葉にがっくり肩を落とす。
ファルス様と二人きりでも嫌だが、誰かがいても嫌だ。
結論、一人がいい。
「……本当に私とじゃダメ?」
「………」
そんな捨てられた子犬のような目で見られても、躊躇なく見捨てる自信が私にはある。
そして、そのくらいでくじけるような相手でもないことを、私はもっと認識すべきだったと後に後悔する。
***
「はい、あーん」
場所はファルス様の自室。
状況は夕食時。
用意された料理は二人分。
それに対し食器は一組のみ。
…その食器は私の前には無い。
となればその食器が誰の前に置かれているのかは決まってくるわけで。
そうして、切り分けた料理を私の前に差し出すファルス様。
素直に二人で食事をすることに頷いていれば避けれたような気がする。
そうすれば、私の前にも食器があったはずなのに。
あの子犬の目から狩人の目になったのが失敗だった。
一向に食べようとしない私に、ファルス様は笑みを崩さない。
「強情ですね」
「お互い様です」
何なのだ、このやりとりは。
これでは、まるで本当にファルス様が私を好いているよう。
…裏があるはずなのに。
…まぁいい。
ともかく、こちらの食器を用意しないのならこちらにも考えがある。
私はファルス様を視界から外し、両手に魔力を込める。
魔力が視えるファルス様が身じろぎした気配が伝わるが、無視。
次の瞬間、私の手には氷のフォークとナイフが握られていた。
『弾丸』は氷の弾丸を作る魔法。それは言ってしまえば、氷の形成物を作る魔法だ。
それを少し応用すれば、このくらいのものは簡単に作れる。
氷のフォークとナイフで食事を始めた私に、ファルス様からため息が聞こえてきた。
「さすがですね」
「おほめにあずかり、光栄です」
料理はさすが王宮料理人が作ったものだけあって、美味の一言に尽きる。
その後、ファルス様も自分の食事をはじめ、あれやこれやと話しかけてくる。
それを聞きながら、もし…と考える。
本当に…本当にファルス様が私を好き、そうだったとしたら?
ふと、視線がファルス様の唇に向かってしまった。
…初めてだった。あんな形で初めてになってしまったのは不本意この上ない。
思考を切り替える。
有り得ないことだ。
私のことが好きだというだけで、王族をやめようと言いだすとか。
王宮魔法使いを動かしたり。
私を王城の一室に置いたり。
非常識すぎる。
逆に言えば、ここまでのことをしてでも私を手に入れようとする理由がある。
それはきっと、とてつもなく……面倒くさい。
だから、逃げよう。
折れた精神が復活した気がする。
『面倒くさい』は行動の原点だ。
前世の世界でも、『面倒くさい』を解消させようと様々な発明があった。
それと同じだ。
決意を新たにしたところで、食事も終えた。
「では、失礼させていただきます」
「うん。…あとで部屋に行ってもいい?」
「………」
何を仕掛けよう?
「ごめんなさい、わかりました、行きませんから。だから魔力溢れさせるのやめてください」
「そうしたほうがいいと思います」
でないと本気で後悔させるから。
****
自室(扱いの部屋)に戻り、もう就寝する時間。
…全く眠気は無い。
しっかり昼寝をしてしまったせいだ。
とはいえ、ちょうどいい時間だ。
逃げる精神力が回復したのだから、ここからどう逃げるかを思案する時間に。
もう寝るだけだと思っているからか、部屋には侍女もいない。
一人でじっくり考えることができる。
どんな理由であれ、ファルス様の私への執着は尋常じゃない。
ただ目の前から逃げ出せばそれで済むものじゃない。
仮に、今。
この窓を開け放ち、そこから空を浮かび、逃げ出せばそれで事はなる。
…しばらくは。
しかし、いつか必ず見つけ出してくるだろう。
2年経ってもあきらめなかったのだから。
見つけようとすること、追いかけようとすることを諦めさせなければ私は逃げきれない。
この分だと、他国に逃げても見つけられる気がしてくる。
……ストーカーだ。
見つからないようにひっそり暮らすとか、そういった手段はあるけれど、それでは根本的解決にはならない。
それに状況は二年前より悪い。
もう、私が魔法を使えることが知られてしまったから。
魔法を使うこと、それだけでもかなりの手掛かりになってしまう。
まして、女の魔法使いは男よりも圧倒的に少ない。
どうしたって話のタネにされてしまう。
あの閉鎖的なボリス領にいても、話が漏れてしまうほどに。
(どうしようかしら…)
やはりここは根本的原因…ファルス様が私に執着する原因を探らないといけないだろう。
それをなんとかすれば、もう私を必要としなくなる。心置きなく逃げられる。
とはいえ、それを素直に言ってくれる相手かといえば、全くもってそんな気がしない。
ここまで、私を好きだとしか言ってないのだから。
…もし仮に。万が一、億が一でも私を好きだということが事実だとすれば。
私は
逃げられない
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