逃亡中の侯爵令嬢
蒼黒せい
第1話
いつからだろうか。
私が経験していないものを『知って』いたのは。
本を読んだわけでも、聞いたわけでもない。
ただ、5歳児でしかない私―セーラ・クルース―でも、その『知って』いる内容は、明らかにこの世界に関係ないものであることはある。
高くそびえるビルと呼ばれるもの、馬よりも速く正確に移動する車と呼ばれるもの、遠方の景色を映し出せるテレビと呼ばれるもの…そのどれもがこの世界に存在せず、存在を匂わせることすらない。
これが……私の、『前世』。
そう理解したのも、前世の記憶によるものだ。
あり得ないものを知っているということ。
その中での私は………あまり認めたくないが、男だった。
結婚することなく、ひっそりと人生を閉じていた。
会社に勤めていたが、出世を望まず、日々最低限の普通を日常として生きてきた。
幸せだったと断言できるほどでもないが、過度な責任を負うこともない。
それは、わずか5歳にして未来の王妃候補として重責を背負う私にとってなんてすばらしいのだろうと映っていた。
クルース侯爵家。
国内最大の領地を抱えており、その大半が海に面している。
港町の整備を重点的に進めており、それにより他国との貿易が盛んで相応の資産も有している。
そんな侯爵家の三女として生まれた私は、年が第一王子は二つ上、第二王子とは同じ年ということもあり将来の王妃候補として厳しく育てられてきた。
3歳の頃から読み書きに始まり、様々な礼儀作法を本当に幼いころから躾けられてきた。
しかし、5歳になる私にとってそんな日々は窮屈極まりなかった。
厳しい教育を受け、家庭教師が満足するレベルでこなす。
それ自体はさほど難しくはなかった。
しかし、私には余暇と呼ばれるものはなかった。
朝起きて、身支度を整え、朝食を食べるところからもうその日の教育は始まっている。
日中は一切の隙間なく教育を受け、夕食を食べて湯浴みを終えれば、そこでもう5歳児の体力は限界だ。
自由という名の時間は一切無いままに一日を終える。
それが侯爵令嬢、そして未来の王妃として当たり前……などと思えないのは、前世の記憶によるものだ。
最低限のマナーさえ守ればあとは自由。
子供として好きに遊び、時には大人に怒られながらも、気ままに友と遊びつくす。
そんな前世の記憶は、今の私にはとてもまぶしい。
しかし、一方でこの現状を打破しようと思わないのも前世の記憶の影響だ。
打破できない要因…それは父たる侯爵の存在だ。
父という存在は、前世での会社での社長に近い。
所詮一社員のわがままなど聞く理由もない。
そう、今の私は侯爵家という名の企業に勤める一社員だ。
少なくとも…父の私を見る目は、そうだと思っている。
役立たずだと分かればすぐに捨てる…そう、暗に目が言っている。
だから今は逆らわない。
いくら前世の記憶があろうと5歳児。
何もできることなどないのだから。
そうして、窮屈な生活を続けて今は8歳になった。
すると、父に連れられ、向かった先は王城。
そこで初めて第一王子であるギルバートと会うことになり……そして婚約させられた。
ここにきて王妃への可能性がグンと高まってしまった。
これには焦った。
今の私には王妃なんてものは面倒なものの最上位だ。
絶対になりたくない。
このためには何とか婚約破棄という流れにもっていかなくてはならない。
だが、婚約破棄を達成したとしても、今度は父がわたしをどうするかわからない。
婚約破棄された令嬢の価値は地に堕ちる。そうなれば父の目から見て私は役立たずに映るだろう。終いには追放…もありうる。
……自力で生きる。そのための力が必要だ。
8歳になっても教育の時間が減ることは無い。
基礎的なものは終わったが、より発展したものになっていった。
特に勉強は、それまでは王国史がメインだったが、今はここ数年の近況になっている。さらに他国の情勢も加わり、難しさはより上がっていった。
しかし、やはり成長しているもので、湯浴みを終えてから眠るまでの時間に余裕ができるようになった。
その余裕の時間でやること。
それが魔法だ。
この世界には魔法が存在する。
主に戦う力として、騎士・兵士・ハンター等が使い、四大属性とされる火・水・風・地をメインに様々な魔法が存在している。
その魔法を扱うために必要な魔力。
本来魔法は10歳を超えてから学び始めることが多い。
全ての子供に対して魔力の測定試験が10歳で義務付けられているからだ。
その試験の結果では、平民の子供でも国が運営する魔法学校への入学が認められる。費用は全額国の負担で、だ。
そこに入れば魔法を学ぶことができる。そうなれば一人で生きる力も得られる。
……と、普通なら考えるだろう。
だが、私はそこに入らない。そもそも父の反対で入れない可能性も高いが。
一般的に令嬢に魔法は必要ない。
魔力なら遺伝により子供の魔力に影響しやすいのもあるのでステータスの一種とはされているが、魔法として扱うことまでは要求されない。
なので、今の私のように王妃候補として教育を受けている現状、魔法を学んでいられる余裕はないのだ。
だが、私はなんとしても魔法を学びたい。
魔法さえあれば独力でもなんとか生きていける目途が立つ。
それには、今のところ屋敷内にある書物が頼りだ。
令嬢には不要でも、二人いる兄達は騎士を目指しているので必要だ。
そのために魔法に関する書物が大量にある。
それを私はこっそり夜に読んでいた。
魔法はイメージ。
これがほとんどの書物に共通する概念だ。
現状、そうは言いながら型にはまった魔法が多いのは、そのイメージをより伝えやすくするためとされている。
詠唱、名称によりイメージをはっきりさせ、発動させる。
そこで、前世の記憶が生きてくる。
前世では様々な形での魔法がイメージ化されていた。存在はしていなかったが。
この世界における魔法の立ち位置は、はっきり言えば破壊だ。
敵を破壊するため。
そのため、より威力を高めることに重点が置かれている。
しかし威力を高めることは同時に派手になることを意味している。
火が大火に、水は洪水に、風は竜巻に、地は石が巨岩に。
そしてそれらを扱える者らは国として要職に就き、厳重に監視…保護されている。
それは私が望むものじゃない。
一人で生きていけても、目立ち、そんな風になってしまっては意味がないのだ。
むやみに他者に興味を持たれず、一人こっそり生きていく。
それが私の人生計画だ。
そういった意味では、書物の大半は役に立たなかった。
どれも如何に威力を高めるかばかりで、そんなものを学びたいわけじゃない。
本でおおよそ概念だけを学ぶと、あとは一人での修行となった。
さて、修行とはいっても夜に自室に籠る程度でしかないけれど、これはしょうがない。
私がやるのは新しい魔法の開発だ。
そのためにはまず私の人生計画において、最終的にどうなりたいか、だ。
私はハンターになる。
ハンターは凶暴な獣や珍味な獣を狩ったり、希少な植物の採取を主とするならず者の職業だ。
身一つでなれるが、当然危険が伴うので平民でなりたがる者は少ない。
相手が自然だけに稼ぎも安定しない。不人気な職業だ。
しかし場合によっては一攫千金もある。
上記の理由で、あまり表に出てくるような職業ではない
さて、そのハンターになるために魔法を活用する。
ここで、普通の魔法では意味がない。
強大な魔法を使えば獣を仕留められるが、やり過ぎては獣の使い道が無くなってしまう。
大抵の獣はそのまま売れるからだ。
また、場が山や森の中でそんな魔法を使えば地形を壊しかねない。
狩猟の流れは、獲物を見つけ、息を殺し、獲物に気づかれることなく仕留める。
そのために必要な魔法をリストアップした。
隠密
探査
消音
弾丸
回転
加速
誘導
浮遊
隠密は姿を消す。
探査は生体を探り出す。
消音は周囲の音を消す。
弾丸は、矢の代わりに作る。鉄で作るのは回収や持ち歩きが面倒なので、氷で作る。
回転は、弾丸は回転を加えた方が威力が上がる。
加速は、弾丸の速度を上げるため。
誘導は、発射した弾丸を獲物に確実に当てるため。
浮遊は、仕留めた獲物を楽に運べるように。
隠密と消音で姿と音を消し、探査で獲物を探し、獲物を見つけたら指先に弾丸(氷製)を作り、回転と加速をかけて獲物へと発射し、誘導で獲物の急所を撃ち抜く。
これが私の理想の狩猟だ。
弓矢ではなく、前世の記憶から拳銃を使っているようなスタイルにする。
実際に拳銃を作ることはしない。
手で拳銃を模して、人差し指の先に弾丸を作って構える。
派手さを求めず、敵を仕留めることだけに目的としたものだ。
理想のハンター生活を想像しながら、日々魔法の修行に励んだ。
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