第37話 兄弟喧嘩⑤

 強い潮風が吹き付ける、アジトの屋上。舞い上がる銀髪が、投光器の光に透けてきらめく。


「久しぶりだな…スカイ」


 獣人兵を両側に従え、帝王のように仁王立ちしているのは、14年ぶりに会う宇津木の弟、ソイルだ。


「こりゃまた、出世したようだな」


 宇津木がニヤッと笑いかけた。


「お前の軽率な裏切りにもかかわらず…な。愚兄とは違う、と信じてもらうために必死で努力した結果だ」


 感情の殆ど表れないソイルの瞳が微かに揺れた。


「あっそォ…そんで“成功”したなら、いいんじゃねェの。おめでとさん」


 宇津木が頸後ろを掻きながら、何の気なしに祝福した。それがソイルの気に入らなかったようだ。


「俺が!どれほどの苦労を重ねたか、お前には到底わからんだろう!?好き勝手をして周りに迷惑ばかりかけて!へらへらと反省もせず!甘っちょろい日本に逃げ帰ってどれほど腕が鈍ったか見てやる。剣を抜け!!」


 ソイルがスーツのジャケットをかなぐり捨て、両手に青龍刀を構えた。


「おいおい…こっちは隻眼隻腕だぞ。ハンデねぇの?」


 宇津木が自分の青龍刀を抜き放つ。


「そんな傷を負うことも含めて、お前の実力だ!!」


 ソイルが猛然と斬り込んでくる。薙ぎ払う1本目の刀を避けると、すぐに2本目の連撃が来る。宇津木が後方に転回して避けた。床を蹴り、ソイルに斬り込む。2本の青龍刀にガッチリ止められた。すかさず頭に回し蹴りを入れるとソイルがひょいと頭を反らせて避けた。宇津木が回転の勢いを使って脇腹に2撃目を入れる。クリーン・ヒット。ソイルが身体を折る。


「おらっ!大概にしろ。14年もしつこいぞ!」


 ソイルの顔に膝蹴りをかまそうとしたが、すんでの所で転回して避けられた。


「なんで足技ばっかりなんだ!剣を使え!!」


 ソイルが床を蹴って斬り込んでくる。


「ああ!?何ルールだ、そりゃ。手が足りなきゃ足使うのは当然だろうが!!」


 全身を自由に連動させて戦うのは、宇津木の得意技だ。使えるものは全部使う。頸を狙うソイルの剣を、身を低くして避け、ついでに腹に頭突きを入れる。ソイルがたたらを踏んで咳き込んだ。


「――昔っからアタマ硬すぎんだよなぁ、お前…」


 宇津木が小さな溜息をつく。剣の腕も、動き自体も悪くない。ただ、剣を持っていれば剣闘、銃を持っていれば銃撃戦、と思い込んでしまうところがある。


「うるさい!上から目線で評するな!!」


 ソイルが斬り込んでくるのを、宇津木が剣で受けて流す。


「へらへらと!小ずるくて!それで皆に好かれて生きていけるとか…ふざけるな!」


 ソイルは、がつがつと連撃を叩き込んでくる。


「真面目にコツコツ努力できるの、お前の良いとこだけどな。もしかして辛ぇの?」


 宇津木が攻撃を捌きながら、目をぱちくりする。


「ハァ!?身を削る思いで頑張るのが楽なわけないだろ!!」


 ソイルが2本目を脇に叩き込んでくるので、宇津木が飛び退いて距離を取った。


「ラクっていうか…好きでやってる?とか、性分?て思ってたんだけど」


 ソイルの顔が歪み、目が吊り上がる。


「俺は、俺は!心が痛いのも身体が辛いのも堪えて苦心惨憺しているのに、“好きでやってる”だと!?そのナメ腐った性根、14年も経って全く直ってないんだな!」


 突き込む剣先のスピードが上がる。宇津木が避けて、青龍刀を打ち込んだ。


「いや…これで通用してるし、直す理由ねぇし。てか、お前、辛いならもうちょっとラクにしていいんだぞ。俺みたいにチャランポランでも、それなりにやってけるし、ちゃんと補い合える相棒が寄ってくるしな。ほら、アレだ。“割れ鍋に綴じ蓋”とか“魚心あれば水心”とか…」


 宇津木の剣を受けていた青龍刀が、突然猛然と押し返す。突き飛ばされた宇津木が慌てて体勢を整えて飛び起きた。


「ああああああああああああああああああ!!!!」


 ソイルが絶叫した。すわ獣人化か、と宇津木が身構える。


「無茶苦茶な努力を強いた諸悪の根源が呑気な説教か!?いい気なもんだな!!」


 まさしく怒髪天を衝くばかりの勢いでソイルは喚く。が、獣人化はしない。


「あのーお前は獣人化しねぇの?しねぇなら助かるんだけど」


 ぶっちゃけ、獣人化されるならM16出さないといけないし、それなら青龍刀は仕舞わなくてはいけないわけで、片手しかない宇津木としては喫緊の関心だったのだが。


「話の腰を折るなァァッ!!お前は!いつもそうやって誤魔化す!!」


 ソイルは、ぜいぜいと肩で息をする。


「獣人化?そんなことするわけないだろう。あの施術を受けて人間としての知能や自我が保てるのは40%だ。残り60%は崩壊して始末される。一度獣化したら戻れない上に、何がトリガーになるのか、まだはっきり理論化できていない。黒剣からH.B.Rに素体として提供されるのは、任務をしくじったか、年2回の試験に合格できない者だけだ。トップが獣人化する理由は何一つない」


「…お前…そんな危ない施術に部下を提供してるのか…?」


 宇津木の顔色が変わる。ソイルが口元を歪めて、獣人兵達を見遣った。


「どうしようもない戦闘員のリサイクルだ。黒剣としては、40%の確率で人間の知能を持ち忠誠を守る生物兵器を手に入れられる。いずれ落ちこぼれる奴らなら、ムダに死なせるよりずっといい」


「それで、お前は、その上に胡座をかいていられるのか!?」


 宇津木が血相を変えて怒鳴った。


「俺は努力して結果を出している。あいつらはしていない。正当な報いだ」


 ソイルが面白そうに兄を見る。いつもチャランポランで飄々とした男が血相を変えるなど、そうそう見られるものではない。しかも、いつも歯ぎしりする側だった自分が顔色を変えさせているのだ。胸がすく気がした。


「馬鹿野郎!」


 宇津木が青龍刀を仕舞って、ソイルに殴りかかる。ソイルがその拳を撥ね飛ばし、宇津木に斬りかかった。飛び退いて距離を取る。


「バカ…?お前のことだろ。わざわざ剣を仕舞って、どういうつもりだ」


 ソイルがせせら笑う。


「俺は、お前に勝ちたいんじゃない。“届きたい”んだよ。ガチで伝えなきゃなんねえことがあるときゃ、スキンシップって決まってんだ」


 宇津木が拳を固め、床を蹴って飛び出す。正面で受けるように振り下ろされるソイルの剣を身を半転させて避け、足元に蹴りを入れる。ソイルが飛び跳ねて避け、2本の剣で薙ぎ払うのを宇津木が後ろに転回して避けた。


「俺は、お前から伝えられたいことなんか何一つない。目障りなんだよ!!」


 猛然と2本の剣で挟むように、ソイルが斬り込んでくる。宇津木が伏して避け、ソイルが次の攻撃のために剣を離した隙を捉えてアッパーを食らわした。ソイルが撥ね飛ばされ、尻餅をつく。


「お前な!上に立ったら後のモンを守って、育ててやるのが役目なんだよ!!」


 ソイルが、口の端を手の甲で拭って飛び起きる。青龍刀を構え直したその時、バタバタと何台ものヘリの羽音が近づいてきた。拡声器が叫ぶ。


「こちらは香港警察です!全員、武器を捨ててください!」


 確かに、ヘリの機体には「香港警務処」と書かれている。


「おい!なぜ警察が動いている!?楊が抑えているんじゃないのか!?」


 ソイルが慌てて部下を振り返った。


「それが…電話をかけても連絡がつきません!どうなっているのか…」


「楊の奴、裏切ったか…!?」


 ソイルが踵を返した。


「撤退だ」


 足早に、自分達の乗ってきたヘリに乗り込む。


「おいっ!ソイル!宇津木地龍!!」


 宇津木の叫ぶ声は、廻り始めたプロペラの音にかき消されていく。


「この野郎!人間、いろいろいンだから、しくじる奴がいるのも弱い奴がいるのも当たり前なんだよ!!部下がしくじったら次のテ考えろ!!弱い奴は鍛えてやれ!!それでも弱かったら配置考えろ!!!」


 黒剣の印を掲げたヘリが離陸する。


「使い捨てにしていい奴なんか誰もいねぇんだよ!!先頭に出て、上手く采配して守ってやるのが指揮官の役目だろ!!自覚しろ!!聞いてんのかーッッ!!!」


 ヘリが遠ざかっていく。兄の全力の説教も、ソイルには届いていないことだろう。宇津木は膝に手を付き、ぜいぜいと呼吸を整えた。声が出るようになったところで、インカムの通信スイッチを入れる。


「――黒島。生きてっか」


「ああ。今、香港警察に傷の手当てを受けている」


 穏やかな中低音が沁みた。


「春陽はどうした」


「眠り姫なら、ここで寝ているよ。俺の腕の中だ」


 ちゅ、と甘やかな音をインカムが拾う。


「は、はは…。ほざきやがれ、この野郎…」


 宇津木がくしゃくしゃと銀髪を掻き回す。


「俺も、そっち行くわ…。どこ、いんの?」


 終わった。皆、生き残った。今度は、誰も死なせなかった。潮風に舞う銀髪の下で、小さな光の粒が一粒だけ、落ちた。


〈つづく〉

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る