第28話 鍵をかけて

 足を挫いて帰ってきたリヴィアを見て、イザベラは呆れたようにため息をついた。


「まったく……ドジは一人で十分さ。わたしみたいなのがね」


 皮肉を言いながらも、手は手早く、しかも丁寧だった。

 湿布を当て、包帯を巻き、冷たい布で足元を優しく拭ってくれる。

 口は悪くても、やっぱり優しい――それがイザベラだった。


 リヴィアは苦笑いを浮かべながら、申し訳なさそうに言う。


「ごめんなさい……祭りが楽しくて、つい調子に乗ってしまいました」


「へぇ……調子に乗るほど楽しんだんだ?」


 イザベラは片眉を上げ、口元だけで笑った。

 そして、ふとリヴィアの髪に視線を向けた。


「おやまぁ……青に、マーガレットかい」


 手を止め、意味ありげにリヴィアの髪飾りを眺める。

 彼女の視線の先には、ヴァルトが選んでくれた青いリボン――

 小さなマーガレットの刺繍がひとつ、きらきらと光を返していた。


「……なにか言いたいことがあるなら言ってください」


「やだね、言わないよ。どうせ言っても、図星ついて困るのはあんたの方だ」


 にやりと笑ったイザベラは、それ以上は追及してこなかった。

 だがその笑みが、やけに確信めいていて、リヴィアはますます顔が熱くなるのを感じた。


 


 手当が終わると、早めに化粧を落とし、身体を拭いて、寝台に潜り込んだ。

 だが、布団の中はやけに熱くて、胸はどきどきと波打っていて、目を閉じてもヴァルトの背中のぬくもりが甦ってしまう。


 ――明日から、私はどんな顔をして、領主様に会えばいいの?


 自分の気持ちに気づいてしまった。

 恋だと、はっきり自覚してしまったからこそ、それをどう扱えばいいのか分からない。


 鼓動ばかりがうるさくて、その夜リヴィアはついに一睡もできなかった。


 


 朝。

 目の下にくっきりとした隈を作ったまま厨房に顔を出すと、イザベラが即座に声を上げた。


「ちょっと、なにその顔! ひどいねぇ、顔洗ってきな! 死人かと思ったよ!」


「……すみません」


 怒られてしまったのに、どこか嬉しい。

 日常が戻ってきたようで、少しだけ安心した。


 


 水瓶から水を汲もうと裏口へ回ると、先客がいた。

 エドモン。グラシアン補佐官だった。


「グラシアン補佐官。おはようございます」


 そう声をかけた瞬間、彼はぴくりと肩を震わせ、ぎょっとした顔でこちらを振り向いた。


「り、り、リヴィアさん!?」


 まるで亡霊でも見たかのような反応に、さすがに傷ついた。


「……そんなにひどい顔でしたか?」


「い、いえ……その……ちょっと、びっくりして……」


 よく見ると、エドモンも酷い顔をしている。

 目の下の隈が目立ち、髪も乱れていて、眠れていないのが一目でわかった。


「グラシアン補佐官も……寝不足、ですか?」


「……はい。ちょっと、いろいろと……考えごとをしていて」


「そうですか。……あの、昨日は……すみませんでした」


 リヴィアは水瓶に手をかけながら、視線を伏せて言う。


「私……赤いリボンの意味を知らなくて。

 ……グラシアン補佐官がくださったのは、きっと、私の健康とか無事を祈っての、お守りだったんですよね?

 ……なのに、気を遣わせてしまって、申し訳なかったです」


「えっ……あ……その……そうなんです。はい、お守り……でした」


 エドモンの声がわずかに震えているのを感じた。

 彼の目元に、一筋の涙がにじんでいた。

 それが、あくびによるものなのか、そうではないのか――

 リヴィアには、もう訊けなかった。



 ヴァルトの執務室には、いつもと変わらぬ静かな日常が流れていた。

 マルセルとベルトランは地図を広げ、巡回経路や資材の運搬について真剣に議論している。

 一方、エドモンは机に向かい、尋常ではない速度で書類の山を片づけていく。


 それは、リヴィアがすっかり慣れ親しんだ“平常”の光景――のはずだった。


「リヴィアか。おはよう」


 執務机の奥から、ヴァルトの落ち着いた声が響いた。


「お、おはようございます……」


 それだけで心臓が跳ねる。

 ただの挨拶のはずなのに、ヴァルトの姿がなぜかいつもよりまぶしく見えた。


「足はもういいのか?」


 彼は、書類を一旦脇に置きながら顔を上げた。

 心から心配してくれているのが、目を見れば分かる。

 それがまた、どうしようもなくリヴィアを動揺させる。


「だ、大丈夫……です」


 声が上ずったのを誤魔化すように背筋を伸ばす。

 自分を落ち着かせたくて視線をそらしたが、逆にそれが不自然になってしまった。


「……なんだか様子が変だな。顔色も悪い。痛みで眠れなかったのか?」


「え! えぇ、じ、実はそうなんです」


 苦し紛れについた嘘だった。

 本当は――ヴァルトのことばかり考えて、胸がざわざわして、まるで子どものように眠れなかったというのに。


「今日はもう休みなさい。無理をすることはない」


 ヴァルトの声は優しく、けれど一切の反論を許さぬ断言口調だった。


「だ、大丈夫です! もう、この通り、痛みも引いてますから!」


 リヴィアはとっさに足を踏み鳴らしてみせた。

 本当に痛みはない。昨夜の迅速な処置と、イザベラの手当のおかげだ。


 だが――。


「それでも、今日は一日領主邸に留まれ。外出は禁止だ」


 ヴァルトの言葉には一分の揺らぎもなかった。


 きっと、彼なりの気遣いだ。

 けれど、ここにいれば否が応でも彼と顔を合わせてしまう。


 こんなふうに、胸のうちを悟られないかと不安になる。

 気持ちを隠すのが、今のリヴィアには何より難しいのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る