第22話 贈り物
小さな子どもたちが、領主邸をよく訪れるようになった。手には、フェルシェル侯爵家の紋章が焼き印された四角い板――蝋板を抱えている。
その裏には、絵で描かれた作業指示書が記されていた。領主から配られた蝋板を、子どもたちが町中に届けて回っていることは、もはや周知の事実だ。
だからこそ、子どもたちが狙われぬようにと、裏側には紋章が刻まれている。それは、ヴァルトによる“守護”だった。――子どもたちに手を出せば、“鉄心卿”が黙ってはいない。そんな無言の威嚇だ。
当の本人は、その名で呼ばれるのを好まないが、こうした場面では効果的であるため、仕方なく受け入れているようだった。
*
ある日、イザベラが子どもたちに何かを配っていた。
「ほら、これ、あたしからのほんの気持ちさ」
見ると、子どもたちは暖かそうなマフラーと手袋を身につけていた。羊毛そのままの柔らかな白で統一されたそれは、イザベラの手編みらしい。夜な夜な、灯りを消さず何かしていると思っていたが、どうやら編み物をしていたようだ。
「イザベラさん、ありがとう!」
「ちゃんと着ておくんだよ! 風邪なんかひいちゃだめだからね!」
そう声をかけたイザベラの顔には、どこか満ち足りたような笑みが浮かんでいた。
「いやぁね、毎日ここに来るからさ。なんだか、可愛くなっちまってね」
歳かねぇ、なんて照れ隠しのように笑ったが、それはきっと本心だろう。一人息子を亡くしたイザベラには、孫はいない。孤児たちが、通ってくる孫のように思えても無理はない。
そのそばで、リヴィアは頬をふくらませていた。
「なぁに、ムスッとして」
「どうして、私に声をかけてくれなかったのですか?」
拗ねたようなリヴィアの声は、恨み言そのものだった。そんな楽しそうなことを、独り占めするなんて――許せない。
「なにさ、あたしに乗っかろうっての? 百年早いね」
あんたはあんたで、ちゃんと考えるんだよ――。そう言い残して、イザベラはすたすたと持ち場へ戻っていった。
リヴィアは思案を巡らせていた。自分にできることで、子どもたちが喜んでくれるものは何だろうか――。
最初に思いついたのは、刺繍だった。
ハンカチに一人ひとりのイニシャルを刺して贈れば、自分だけの持ち物として喜んでもらえるかもしれない。実用的だし、手作りなら気持ちもこもる。
けれど、それだけではあまりに殺風景だ。可愛らしい花を添えれば見栄えもするし、華やかになるだろう。女の子なら、きっと喜んでくれる。
だが、そこでリヴィアはふと首を振った。
――男の子は、どうだろう。花の刺繍を喜んでくれるだろうか。中には好きな子もいるかもしれないが、決して多くはなさそうだ。
騎士たちの刺繍でも、花のほかに使われるのは鷹や獅子といった動物の意匠だ。強さや勇ましさを象徴するそれらなら、男の子にも受け入れられやすい。
けれど、そういった図案は構図が複雑で、とにかく手間がかかる。全員分を仕上げるには――あまりにも時間が足りなかった。
「リヴィア、イザベラから見せてもらった。君が描いたあの肖像画――あれは見事だった。どこで絵を習ったんだ?」
夜間の巡回から戻ってきたヴァルトが、開口一番そう口にしたのは、かつてリヴィアがイザベラに描いた肖像画のことだった。
「……昔、ほんの手習い程度に習っただけです。イザベラさん、あれを見せたんですか? お恥ずかしい」
王女の教養には、詩や楽器、絵画などがある。詩も楽器もあまり上達しなかったが、絵画だけは教師から手放しで褒められた記憶がある。宮中に出入りする本職の絵師たちには到底及ばないけれど、絵を見るのも描くのも、リヴィアは昔から大好きだった。
ヴァルトは少し言い淀んだあと、ぽつりと口を開いた。
「……その、だな。俺にも描いてくれないか」
何を言うのかと思えば、少しばかり照れくさそうに、リヴィアに自分の肖像画を描いてほしいのだという。
「本格的なものとなると、一月以上はかかります。それに……絵の具の材料はすぐに用意することは難しいかと」
「いや、イザベラの時のようなラフなもので構わない」
それならばと、リヴィアは彼を椅子に座らせ、リネン紙と炭を手に取った。
改めて向き合ってみると――憎らしいほど整った顔立ちだ。
――美丈夫。まさにその言葉が彼にはふさわしい。
癖ひとつないさらさらとした黒髪。黒曜石のように冴えた黒い瞳。少し日に焼けた肌が、精悍な顔立ちをいっそう際立たせている。
まるでおとぎ話から抜け出してきたような王子様、アレクシス。
女神とまで讃えられる、人離れした美貌のセレスティア。
リヴィアの周囲には、そんな化け物じみた美しさを持つ人間ばかりだ。
この屋敷に王宮で使っていたような高価な鏡はない。だが、金属板を磨いた簡易な鏡に映しても、自分の醜さは十分わかる。
――そもそも、あれほど美しいシリウスが、私のような醜い女に好意を向けてくるなんて、最初からおかしかったのだ。
(そういえば、この人に「醜い」って言われたことがあったわね)
それを思い出すと、ふと胸に何かが刺さったように痛んだ。何の痛みかわからずリヴィアは自分の胸元を見て首を傾げる。
(そんなことより、今は集中しないと)
一瞬の痛みに気をとられたが深く追求することのなく、リヴィアはヴァルトの絵を描き始めた。
仕上がった絵を喜ぶヴァルトを見つめながら、リヴィアの頭にあるひらめきが浮かんだ。
――子どもたちみんなが喜ぶもので、自分の特技を活かせるもの。
(絵本!そうよ!)
古今東西、絵本を嫌う子どもなどいない。貴賎を問わず、子どもたちは物語を読み聞かせてもらうことが大好きだ。
以前、孤児院を訪れたときに置かれていた絵本はわずか数冊。あれでは取り合いになるのも無理はない。
ただ、再び紙の問題が持ち上がるが、リヴィアはすでに解決策を思いついていた。今回、蝋板は使わない。あれは色を塗るには適していないのだ。
そうなると、最適なのは布だろう。麻布に顔料を塗って絵本を作ろうと決めた。
絵の具は植物から自作する。乾燥させておいた藍の葉や食用のクルミの殻を水で煮出し、煮汁をこす。それに膠を混ぜると、油絵の具にはない優しい色合いの絵の具ができあがる。
できあがった絵の具をゆっくりと麻布に塗ってみる。良い色合いだ。これならなんとかうまくいきそうだ。
それからリヴィアは仕事の合間を縫って絵本制作に取りかかった。
内容は、自分が子どもの頃に読んだ物語の中から、誰にでも楽しんでもらえるものを選んだ。
お姫様が出てくる話や英雄譚、冒険譚はどうしても好き嫌いが分かれる。
みんなが楽しめる作品ならば、動物たちの友情をテーマにした物語が良いとリヴィアは考えた。
――森の仲間たちの大冒険。
確かそんなタイトルだ。
物語はいったってシンプルで、普段は仲が悪い四匹の動物たちが嵐に襲われた森を協力して立て直す話だ。
リヴィアはこの物語が大好きで、すり切れるまで読んでいたが乳母からは「もう幼子ではないのですから、このような本を読むのはおやめください」ととりあげられてしまった。泣きながら取り返そうとすると鞭が飛んでくるので諦めたのだ。
リヴィアは完成した本を指でなぞりながらわくわくした気持ちで子ども達の来訪を待った。
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