ゆきこ
映画館のある町は、村には無い商店街があった。
四人はクレープを食べてみたり、村には無い文房具店を覗いたりして和気藹々と過ごした。
楽しい時間はあっという間──
日祝ダイヤの村へのバスは、最終が十七時十分だ。
そろそろ電車に乗らないと、帰れなくなってしまう。
電車内で、やや顔色の悪かったタカミオを座らせ、千穂達三人はタカミオの前に立っていた。
タカミオは、うとうとしていて静かだったので、自然に千穂達の話す声も小さくなる。
駅に着く少し前、電車がブレーキの影響でグッと揺れた
その衝撃で目が覚めたらしいタカミオは、一瞬千穂と目が合ったが、その後ぼんやりとした顔で呟いた。
「────ゆきこ?」
みんなはいつもと変わらず。
千穂だけが凍りついていた。
ゆきこ……ゆきこ?
お婆ちゃんから聞いたご先祖様の名だ。
いや、よくある名前だし──。
タカミオの声。
私を呼ぶ声、確かに聞いたことがある気がするけど──ううん、呼ばれたのは私じゃない。
私は、千穂だ。
千穂はバスに乗り込むまで、ずっと無言だった。
「──なあ、タカミオ。ゆきこって誰?」
バスの中で、木下君が思い出したようにタカミオに聞いている。
「え?」
「寝言で、ゆきこって。好きな子かぁー?」
「寝言言ってた?うーん?ゆきこは」
千穂ギュッと拳を握り、次の言葉に備えた。
何を聞いても動揺しないように。
「ゆきこ、妹の名前」
「おまえ妹いるん?俺一人っ子だからなー、いいなあ」
「兄もいるぞ。ただな、やっと女の子だって喜んだ親が付けた名前がやばくてさ」
「ゆきこは普通だろ」
「夢、姫、瑚、で!ゆきこだぞ」
「ぶっは!ドリーム詰まってんなー、夢だけに!」
「ホントにな……」
木下君とタカミオが笑い合う声を聞きながら、千穂はバスの窓に視線を向けた。
夕暮れのグラデーションが、遠くの山の端を朱く染めている。
──夢、姫、瑚、で、ゆきこ。
タカミオの言葉は冗談めいていたけれど、その響きに、妙な引っかかりが胸の奥に残る。
ふと、窓に映った自分の目が誰かと似ている気がした。
(私……何を気にしてるんだろ)
そう思って、首を振ったそのとき──
「なあ」
ぽつりと、タカミオの声。
いつの間にか隣の席に移ってきていた。
「もし……もしさ。たとえばだよ」
滅多にそんな風に話しかけてこないタカミオの真顔に、千穂は息を呑んだ。
「人が……前に生きてたこと、あると思う?」
「──え?」
タカミオは、まるで自分自身に問いかけるように、ぽつりと続けた。
「夢でも、なんでも。昔、自分だったことがある……そんな気がするときって、ない?」
(……まさか)
千穂の中で、何かが静かに、けれど確かに、目を覚まそうとしていた。
「──変わった夢を見ることはある」
千穂は自分の膝を見つめながら、小さな声で囁いた。
「うん。俺も夢は結構見るんだけど──夢ってどうして覚えてる時と、覚えてない時があるのか不思議だよね」
「ああ、確かにね。見たのは覚えてるけど、内容は覚えてない……のが、多いかも」
千穂タカミオに同意する意味で、大きく頷いた。
バスは心地く揺れ、前の席の二人は寝てしまったようだ。
タカミオが呟いた。
「────でもさ、そういう夢の方が大事な夢だった気がするんだよね。覚えてないけど───」
「──覚えてないけど、大事だった気がする」
タカミオはそう言って、ふっと笑った。
笑ったはずなのに、その横顔は少し寂しそうで、千穂は言葉を失った。
(……大事な夢。覚えてないけど)
千穂の心に、ざわりと波紋が広がる。
「不思議だよな」
「うん……」
ふたりはそれきり言葉を交わさず、バスは夕暮れの村道を揺れながら進んでいく。
──バスが村に入る少し前。
「……ねえ」
今度は千穂が口を開いた。
「夢でもさ。呼ばれたことって、ある?」
タカミオは、一瞬きょとんとして、すぐにわずかに目を見開いた。
「……ある」
小さく、けれどはっきりと。
「千穂は?」
千穂は、窓に映る自分の瞳を見つめたまま、そっと答えた。
「──ある」
呼ばれたのは、きっと自分じゃない。
でも、間違いなく自分の名じゃない、その“何か”が。
どこか遠くから、懐かしいような、怖いような声が──
バスが、村の終点に着いた。
何事もなかったかのように、日常が、そこに待っていた。
それでも千穂の心には、ひとつの疑問だけが、確かに残っていた。
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