ベアーズ・ウォー ~人類VS熊~

柏沢蒼海

いつもの1日

 音がしないように静かに呼吸しながら、僕は射撃姿勢のままスコープを覗く。

 国防軍から貸与されたライフル、あちこち補修したり迷彩用に偽装を施したそれは、もう長年の付き合いになる。


 スコープに映っているのは、僕が生まれて、育って――そして、追われた町だ。

 人々が生活していた活気は失われ、見慣れていたはずの街並みは破壊されていた。


 

『――チャーリーよりアルファ、応答願う』


 耳に着けたイヤホンから男の声がする。

 つい数日前に資材調達のために、町に突入した義勇兵だった。

 たしか、僕の同級生。電気工事士だった男だ。



「こちらアルファ」

 僕はささやくように応答した。

 敵は音や匂いに敏感だ。いくら周囲の安全を確保して陣地構築をしたとしても、気付かぬ間に接近されている可能性がある。

 実際、僕の仲間はそうやって何人も殺されていった。



『よかった、生きてたか……今からそっちに戻るが、外はどんな状況だ?』


 ライフルから双眼鏡に持ち替え、町の様子を確認する。

 動く物はない、壊された建造物の窓から見えるカーテンや敵によって無残に殺された人間の衣類の断片が風によって揺れる程度だ。

 敵はいる――が、外に出ているようには見えない。



「現在地は?」

『――高校だ、そこの体育館にいる』


 報告を受けて、僕は思わず舌打ちしそうになった。

 彼がいる位置はここから見える場所ではない。突入の際は味方が支援できる位置にいろ、と何度も言ったのだが……


「位置を変える」


『なんだよそれ、俺は言ったぞ。先に進むって』

 無線の向こうで怒鳴り散らす男の声。騒いで敵に食われてしまえばいい、最悪の結末を迎えてしまえと恨みたくなるものの、それでは隠れている人々が飢えてしまう。それはダメだ。


 僕はゆっくりと身体を起こし、周囲を見回す。

 敵はいない――大丈夫だ。


 ライフルとバックパック、広げた荷物をまとめて移動を開始した。

 僕がいるのは町を見下ろせる小山、その山肌だ。見える範囲は限られ、町からもそれほど遠くない。敵から気付かれてしまえば、あっという間に包囲されてしまうだろう。


 姿勢を低くしたまま、ゆっくりと動く。

 その間も無線の向こうで喚き散らしていた。それが彼が生存している証拠になる。

 それが途絶えた瞬間、僕は逃げ帰らなければならない。



 ようやく目標の高校が見えた。かつての母校、その姿は見る影もない。

 再び地面に伏せ、双眼鏡で状況を確認。すると、旗色は最悪だった。

 校舎のあちこちには黒い影がのそのそと動いている。つい数日前までは避難所として機能していた場所だ、遅れて辿り着いた人間もいたのだろう。人型の肉塊を貪っている敵の姿が見えた。


「状況は確認した」


『――よし、なら早く俺を助け出してくれ!』


 男からの本音が聞けて、僕は心底うんざりした。

 おそらく、目標分の物資を手に入れられなかったから危険地帯へと踏み込んだのだろう。その結果、敵に包囲されてしまったという顛末に違いない。

 

 ライフルに持ち替えつつ、頭の中で地図を展開する。

 高校、その敷地にいる敵。そこから大荷物を抱えた義勇兵を五体満足で撤退させる方法……それは限られていた。


 

「……今から校舎の屋上へ移動しろ」

『――な、なんだって……?!』


 陸路で脱出するには、徒歩では間に合わない。

 見つかってしまえば、車両並みの速度で追われて捕食される。手足を砕かれ、生きたまま腹を食い破られる。そうやって何人も殺された。

 戦車や装甲車といった火力のある車両による支援を受けられれば、脱出の可能性はある。


 民間人上がりのスナイパー1人では、とても助け出すなんてできない。

 できることは――――敵を倒し、こちらに引き付けることくらいだ。



 再度、校舎の全容を確認。さすがに校舎の内部にどれだけ敵がいるかはわからない。

 だが、彼も武器を持っている。それで自分の身を守ってほしいものだ。


 

「こちらアルファ、本部へ」

『――ちょっと待て』


『こちら本部、アルファ』


「至急、即応部隊の派遣を要請する。元高校校舎でチャーリーが包囲されている状態だ。校舎屋上での回収を求む」


『本部了解、即応部隊を派遣する。現地上空に到着するのは20分後だ』

「アルファ、了解」


 後方地の基地との通信を終えると、憤慨したチャーリーからの無線が流れてくる。


『なんで応援なんか要請したんだ、人様に迷惑掛けやがって』

 その人様というのに僕が含まれていないことは残念だが、僕が大変な目にあって多くの人が助かるならそれでもいい。

 


「チャーリー、移動しろ。とりあえず2階に移動するんだ」

 外から見る限り、地上階は簡単に侵入できるというのもあって敵がいる可能性が高い。ほとんどの窓が割れ、そこには奴らの黒い剛毛が散らばっていた。



『おいおい、マジで言ってんのか?』


 地上階、かつての教室だろう部屋からのっそりと出てきた敵。その首に狙いを定め――トリガーを引いた。

 消音器で抑えられた銃声、銃床越しに発射の反動を受け止める。スコープの先にいた敵、黒い毛むくじゃらの獣が血煙を咲かせて倒れた。

 同胞の血の匂いを感じたのか、近くにいた敵が集まってくる。それは体育館にいるチャーリーが近くの階段へ移動できるようにするための陽動だった。



「行け、お前も卒業生なら校舎の構造くらいはわかるだろ」


『死んだら化けて出てやるからな』


 恨み言を聞きつつも、屋上への道から敵を遠ざけるために敵を撃っていく。

 銃声は聞こえないが、銃撃そのものに気付いたようで外にいる敵はこちらを見つけようと周囲を見回している。中には狙撃から逃れるために校舎内へ逃げ込む奴もいた。

 だが、こちらの位置とチャーリーの存在が悟られた様子はない。


 校内にいる敵を狙撃していると、ようやく遠距離から攻撃されていることに気付いたらしく。ぞろぞろと校内に敷地に敵が集まり始めた。

 その数はざっと30体、弾数は足りているが順番に狙撃している間に位置が割れてしまうだろう。

 そうなってしまえば、僕は無残な姿にされてしまうだろう。

 僕に待っていてくれる人がいないことだけが救いだ、いたとしても天国で迎えてくれる。



 順調に事が進んでいる……と、思っていた矢先に校内で光の明滅が見えた。

 遅れて、銃声が聞こえてくる。


「なぜ、発砲した?」


『うるせェ、目の前にクマ野郎がいたら撃つだろうが』


 校舎内の銃声でチャーリーの存在に気付いた敵は飛び込むような勢いで校内へと戻っていく。

 義勇兵に与えられる装備は最低限のものだ。30体近い敵と戦える武装ではない。

 彼の任務の重要度が高くなければ見殺しにしてやってもよかったが、それは許されなかった。



 銃声はまだ続いている。校舎の廊下を走るチャーリーの姿があった。

 スコープ越しに彼の勇姿を眺める。援護もできるが、ここから敵集団に撃ち込んでも効果は薄い。

 スナイパーとしては、頭数を減らす以外にできることがないのだ。


 チャーリーは敵と交戦しながら階段を駆け上がり、屋上へと到達した。

 即応部隊の到着まで数分、なんとかできる状況だ。



 僕はライフルの銃口に付けている消音器を外し、見えている敵に向けて発砲。

 辺り一帯に轟くほどの銃声、それに敵たちは足を止めた。

 校内のチャーリー、外にいる僕の存在、挟撃されていることに気付いた敵は戦力を二分するという判断をしたようだ。集団のいくつかがこちらに向かってくるのが見える。

 ただの野生動物が集団行動を行えるくらいの知能を得た結果だった。



 自分に向かってくる敵を無視し、屋上へと向かう敵を狙撃する。

 大柄な図体、硬い骨格、強靭な肉体。いくら大口径のライフルとはいえ、狙いどころを見極めなければ致命傷を与えられない。ただ激昂させるくらいが関の山だ。

 首、心臓、正面からの眼孔。一撃で致命傷を与えられるのはこの辺り、それを狙撃するのは簡単ではない――が、僕はなんとかやれている。


 屋上に敵の骸がいくつも倒れたあたりに、頭上で物音がした。

 それと同時に吹き付ける風、即応部隊を乗せた軍用ヘリコプターだ。



 僕のいる山を飛び越え、校舎へまっすぐ向かっていく。

 間もなくして、ヘリから火線が伸びる。搭載した機関砲、そこら放たれる銃弾がかつての母校を穿ち、そこにいた敵共を木っ端にしていった。

 屋上すぐ近くでホバリングし、チャーリーが乗り込むのが見えた。これで彼と集めた物資は無事に回収されるだろう。任務完了だ。



『――助かった……』


 チャーリーの今にも泣きそうな声が聞こえて、僕は自分の仕事が終わったことがわかった。

 それと同時に、僕の命運も……終わることになりそうだ。



 ヘリの飛行音、銃撃による騒音、それによって町にいる敵が活性化したらしい。

 僕のところに向かってきていた敵の動きに連なって、大群が移動を開始した。

 僕らの母校、それを住処にしていたのだろう。家を壊されたことへの報復か、人類への憎悪か、野生動物に感情というものがあるかはわからない。

 獲物に対して残虐な仕打ちを行い、効率的に人間を排除しようと集団行動ができる……それはもはや、野生動物のそれとは違う。



 僕が知っている野生動物――熊は、もっと臆病な生き物だ。

 追いつめられると狂暴にはなるが、本来はもっと穏やかな動物のはずだった。


 餌を失い、人間の生活圏を脅かし、人間の味を覚えた。

 それを排除することに躊躇してしまった結果、かつて熊だった動物はどんどん大胆になり……いつしか、人間を餌と認識するようになった。

 それでも動物愛護団体や都市部に住んでいる無関係な人間は『熊がかわいそう』と地方の人間を妨害してきた。


 結果、日本の大半は熊――今では、ベアーズと呼ばれる危険な生物によって生存するのでさえ難しい場所になってしまった。




 敵の戦闘集団がもう目と鼻の先にまで迫っていた。

 銃弾がいくらかあるが、それで敵を倒しきるのは難しい。


 僕はライフルを手放し、ボディアーマーに縫い付けていたホルスターから拳銃を抜く。

 猟師だった父から譲り受けた、大口径の狩猟用リボルバー。その撃鉄をゆっくりと起こす。


 荒々しい獣の鼻息が聞こえてくる。数百キロの体躯、それが自動車とそう変わらない速度で迫ってくる。当然、今から徒歩で逃げても隠れられない。

 鋭い爪や牙で体を引き裂かれ、内臓を腹から引き出され、手足を折られ、あるいは引きちぎられながら絶命する――そんな、無残な肉塊になるのが僕の運命だ。



 僕に待っている人はいない。

 好きな人もいない。

 友達だって、もういない。



 リボルバーの銃口を咥えこみ、親指を引き金に掛ける。

 敵を倒すために、僕は泥に塗れてきた。軍での訓練、任務、かつて生活していた居住地を取り戻し、そこを新たに住めるように整備もやってきた。

 それも終わる、僕の短いようで長い人生の終幕が、もうそこまで来ていた。



 意を決して、瞼を閉じた。

 迫る来る死よりも先に旅立つために、自分の心を落ち着かせるために――




 だが、不意に不自然な風を感じた。

 それはどこか、既視感のあるものだった。



 思わず目を開けると、目の前に何かが降り立った。

 人間とは思えないシルエット、それが銃を手に僕の前方にいる。背中からベルトが伸び、それは手にした機関砲に繋がっている。 

 次の瞬間、ヘリから発射されるのとそう変わらない機関砲の発射音が森に満ちる。


 僕はリボルバーを持ち直し、正面に構える。

 怒涛の勢いで向かってくる敵、ベアーズに降り立った人型は機関砲の弾幕を浴びせた。 

 次々と倒れていく敵の姿に、僕は唖然としていた。



 しばらくして、周囲は沈黙に包まれる。

 そこでようやく、冷静に状況を把握することができた。


 降り立ったのは、最新鋭の歩兵装備だった。

 装甲を施し、アクチュエーターを付けて運動能力を向上、人間が敵とほぼ同格の身体能力を得られるようにするための装備――パワードスーツだ。


 

 僕のすぐ前にいたパワードスーツ兵がこちらに向く。

 そして、ヘルメットを取った。


 そこには、見覚えのある女性の顔があった。

 見間違うわけがない、それは僕がずっと――




「――待たせたわね」



 学生時代、僕を救ってくれた。

 たった1人の、ヒーローだった。

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