Case:2
「お嬢様学校の優等生が突如失踪、誘拐か………ねぇ」
九月十三日、金曜日。
午後十二時四十六分。
家に一人でいてもやることがなく、寝転がりながらスマホを見ていると、そんな見出しのネットニュースが目に入った。何気なくページを開いて読んでみると、ピアノコンクールで優勝した経験のあるサラブレット女子高生が、夏季休暇を使っての日本全国勉強旅行中に失踪した、という内容だった。
「桜花学園の生徒………名古屋のお嬢様校じゃん」
祖父は有名な写真家で、祖母が茶道の先生。父は大学の教員でテレビ出演もしており、とあるバラエティ番組ではレギュラー枠も獲得している。母はアメリカに本社を置く宝飾関係のブランドショップの代表。兄は京都芸術大学に在学中の役者………と、現実にそんな人間がいてたまるかと言いたくなるような家系だ。あまりにも
名前は
「誘拐、ねぇ」
読んだ限りでは、やはり単純に家出としか思えないのだが。お嬢様として常に気を張り詰め、期待にも応え続けてきたが、そんな日常に嫌気が差したとか、そんなところだろう。見つからないのは、髪を切ったとか染めたとか、本人がしなさそうな恰好をしているとか、どうせありきたりなものだ。
「………お?」
ラインで通話がかかってきて、私の意識が、記事の内容からそちらへと移る。かけてきた相手は心美だ。
「ういー」
『やほー。今日暇?』
「暇だけど、何用?」
ラインを交換してから五日。店で頻繁に顔を合わせ、その際に普通に会話をするようになったからか、こうして彼女の方から連絡してくることは無かったのだが、何かあったのだろうか。時間的に、恐らく昼休憩なのだろうが………
『ちょっとさ、代々木公園来てほしいんだけど』
「今から?」
『ううん、放課後。四時過ぎくらい』
勘弁してくれ。私は外気温から隔離された六畳半の空間で、冷気を浴びて怠惰に過ごしているのだ。誰がこの至福の一時を邪魔できよう。
『零の力が必要なんだってー』
私の力、といわれても、私に特殊な才や技術や知識はないし、異能の類も持ち合わせていない。私にできることは、他の誰でもできることだ。
『来てくださいよ、頼むよ奥さん。飲み物奢るから』
飲み物一つの報酬で、この楽園の外に出ろと。
「キャラメルマキアートで手を打とう。グランデで」
一時間程怠惰に過ごし、のんびりとメイクをしてから家を出て、新宿で乗り換え原宿へ。西口を通って、そのまま園内へと入る。オリンピック記念の宿舎、という場所にいると心美が言っていたので、暑さに顔を顰めつつ、スマホでマップを開いてそちらへ向かう。明治神宮と代々木公園は有名所ではあるものの、名前しか知らないので、記念の宿舎と言われても、それがどこなのかを逐一確認しながらでなければ、迷ってしまうかもしれない。とはいっても、心美に指定された場所は西口のすぐ近くなので、すぐに辿り着くことができたが。
「来てやったぞー」
青い扉が特徴的な小さな建物の前に心美の姿を見つけ、声をかける。隣にはクラスメートらしき女が二人いるが、いったい私に何の用事があって、こんな場所まで呼び出したのだろう。
「やっほー。待ってたよー」
「この子が心美の言ってた、えっと、福家さん?」
「零でいいよ」
心美の友人Aはかりな、友人Bは
「かわいー。バンドやってるの?」
「よく言われるけど、ピアニカとリコーダーと、あとカスタネットくらいしか触ったことないんよね、楽器」
最後に楽器を触ったのも中学一年の頃で、音楽の成績もあまり良くなかった。派手な見た目をしている人間が、必ずしも音楽に携わっているわけではないのだ。大抵そういう目で見られるので、ギターの購入を検討したこともあるが。
「零は楽器の方じゃないもんね」
「なんの話?」
「零を呼んだ理由の話」
と言われても、全く分からない。そもそも、これはどういう集まりなのだろう。
三人に言われるままに、少し場所を移動して、六角形の屋根の休憩所の前で足を止める。休憩所周辺は人が多く、レジャーシートを広げて座っている家族も見えた。台風は二日前に通過していて既に地面は乾いているため、中にはそのまま草と土の上に腰を下ろしている者もいる。
「あー、やっぱ人多いなぁ。フラワーランドの方行こっか」
「そろそろ呼んばれた理由聞きたいんだけど」
心美は、私がわけも分からず連れまわされることに快感を覚えるような、危険異常性癖人間だとでも思っているのだろうか。それも、まだ気温が高い九月中旬に。
「ティックトックに動画上げようと思ってさ。ダンスしてるやつ。それで呼んだんだ」
「私は踊らんぞ」
バズりたい、ということなのだろうが、そういう動画は炎上する可能性もあるだろうし、リスクが大きいのではなかろうか。三人とも十八歳、高校卒業と大学進学を目前しているというのに、もし炎上したらとは考えなかったのか。
「人の邪魔にならない、他人を映さない。これだけ気を付けてれば、そうそう炎上なんてしないよ」
そもそも、炎上する程見られないだろうしね………と、真弥が苦笑する。
「で、なんで私を?」
「ダンス教えてほしいなーって」
「教えるって、そもそも私、踊れないんだけど」
「え?」
「え?」
心美もかりなも真弥も、私を見て呆けた顔をして、それから互いに目を見合わせる。心美が二人に私のことを、ダンスを教えてくれる人間だ、とでも紹介したのだろうか。
「零、ダンスやってるんでしょ?」
どこから湧いて出てきたのだ、その話は。
「だって、ダンサーみたいなメイクと服装だし」
「偏見と先入観じゃねぇか」
「あと、バランス感覚と運動神経が凄い」
「あれは慣れだって」
それらが混ざり合わさってできたのが、私はダンサーである、というイメージか。少々強引過ぎる気がする。いや、バンギャに間違われる見た目ということは、ダンサーに間違われても不思議はない………の、だろうか。いや、どうなのだろう。というか、それならまずは、通話で確認すれば良かったのでは。
「ほんとに踊れないの?」
「ほんとに踊れない」
「まじか」
「まじだ」
湿気を帯びた生温い風が吹く。しかしその風は、私と三人の間に流れる微妙な空気感までは押し流せなかったようで、数秒、十数秒、数十秒と沈黙が流れる。
「よし、解散!おつかれ!」
「待って待って、ステイ」
人を犬扱いするとは、ずいぶんな度胸だ。私は雌犬ではない。雌狸だ。そこを間違えてもらっては困る。愛知発祥、都会進出を果たした雌狸なのだ。楽器も踊りもできない。ベッドの上で腹太鼓を披露するのが関の山だ。
とはいえ、キャラメルマキアートを奢ってもらうのに、このまま何もしないというのも悪い。ということで、元になったダンス動画を四人で見て、私が体の動かし方を指導する………ということになった。踊れないと言っている人間に指導を任せるとは、暑さで脳が溶けてしまったようだ。
撮影する場所は、先程心美が口にしていたフラワーランドが第一候補に挙がったが、他の利用者が映ってしまうので、少し西に歩いて雑木林の前で撮ることにした。私の提案である。記念の宿舎北側も考えたが、東京オリンピック記念樹木見本園、などという名前が付いていたため、炎上回避ということでこちらにしたのだ。
「心美、どう?」
「んー、なんか違う。こう………なんか、なんか違う」
何が違うのか、と言いたいところだが、確かに元動画とは違う。腰の使い方と、あとは重心位置だろうか。体幹の悪さが目立つ動き、というか。岡田准一は"骨で立つ"ことを意識しているらしいが、多分そういうことだ。よく分からないが、そういうことにしておこう。
正直、こういう動画の肝は"若い女が露出度の高い服装、或いは制服姿で踊っている"という部分にあって、"踊りが上手いかどうか"は然程重要ではないように思える。上手いに越したことはないが、視聴する側は、劣情を煽る容姿と服装さえあれば満足するだろう。
「まぁ、飲み物代の分は働かないとねぇ。………っと、こんな感じじゃない?」
動画内で女がしていた動きを思い出しつつ、適当に体を動かす。三人の目を見ると、最低限の仕事は熟せたことが分かった。ふむ、ダンスなど今までやったことがなかったが、意外と悪くないかもしれない。体を動かすのは嫌いではないし。以前はそれが喧嘩という出力のされ方をしていたが。
三人が「おおー」と拍手を送り、そして近付いてきて、
「なんでその靴でそんな動けるの、忍者なの?」
厚底ハイヒールブーツを履いた忍者、いやくノ一か。普通にキャラクターとして既にいそうだ。
「うん、凄い。凄いけど、一周回ってキモいが勝つかも」
殴るぞ。人がせっかく手本を見せてやったというのに、酷い言い草があったものだ。
「零はこの靴で走って、木登りまでするからね。慣れって凄いね」
「慣れで済ませていいレベルかな、これ」
私も、初めてこういう靴を履いた時には、バランスを崩して転びそうになったものだ。歩く以外の動きができるようになるまで時間がかかったし、やはりこれは慣れたからこそ、である。
三人が満足し、動画撮影が終わったのは、午後五時を少し過ぎた頃。駅前にスタバがあるということで、そちらに向かうことになった。
「どうする?中で座って飲む?」
店内を覗いたかりなの言葉に、三人で頷く。冬場なら歩きながら飲むのも悪くないが、夏場はゆっくりと、窓の外の景色を眺めながらが最も良いとされている。私調べ、私情報だ。
注文を終えて窓際の席へ移動し、テーブルを二つくっ付けて椅子に座る。そして、ストローに口をつけるよりも先に、カリナと真弥が机に突っ伏した。体を動かした疲れもあるのだろうが、それよりも、高校三年の夏休み明けという事実に項垂れたくなったらしい。
「あと半年で卒業かぁ」
「JKブランドが終わってまう………」
個人的には、子供と大人の中間である女子高生ブランドよりも、幼さを残しつつも大人になり始めた女子大生ブランドの方が好みなのだが。制服を着る最後の期間、などとよく言うが、一般的な社会人は大抵スーツに身を包んでいるわけで、ある意味ではそれも制服だ。
「そういう話じゃなくてぇ、高校生活の終わりが見えてつらたんっていうかぁ」
「零ちゃんも来年には分かるよぉ」
ぐでー、と擬音がつきそうなだらけた姿勢と口調をしてから、二人同時にストローを咥える。私は既に学生ではないので、来年になっても二人の心境は分からないだろう。
「三人は、進路決まってんの?」
「そりゃね。三年の九月で決まってなかったらヤバいよ」
そういうものか。出願がどうのとか、そういう話題には縁が無いため、高校三年生の九月というのがどのような時期なのか、私にはあまり想像がつかない。
「私と真弥は同じ大学受けるんだけどさ。心美はねぇ、日経大行くんだって。渋谷キャンパス」
「留学生ばっかで、日本人あんましいないらしいよ」
日経大………日本経済大学か。理由もなく受ける大学ではない。心美に明確な将来像があったとは、少々意外だ。
聞くと、経営を学びたいらしい。これまた意外だが、その理由に苦笑しつつも納得してしまった。曰く、『モリヤテイ』は今でこそ黒字経営が続いているが、物価高騰という問題を加味して今後を考えると、経営や経済関連の知識を持った人間が店に必要だ、ということらしい。要するに、瞬の近くにいたいから日経大に進む、ということだ。
「出たよ、いつもの瞬さんが」
「長いんだよなぁ」
こいつ、普段から店長の話を友人にしているのか。ただの常連客で、私と同じく年齢の離れた友人のような距離感だとばかり思っていたが、成程、向ける矢印が大きいという言葉は、こういう人間に対して使われるのだろう。店長に伝えていなさそうなあたり、拗らせてもいる様子だし。
「零ちゃんは?進路考えてる?」
「進路ねぇ。正直なんもだな」
進路………進路か。最近になってようやく、今の生活を維持したいのだと気付いた私には、まだこの先を想像することすら難しい。
ただ、ずっと『モリヤテイ』のバイト店員でいるわけにもいかない。今を続けるのであれば、そのうちどこかの会社に正社員として入社することも、視野に入れるべきだろう。
しかしそうなると、やはり最終学歴が中学卒業というのは、不利だ。あの日、高校を辞めて東京に来たことは後悔していないが、中卒では真面な職には就けないだろう。
「やりたいことないなら、私らみたいに、取り敢えずで進学したら?」
「てか、大学行く理由なんて、ほとんどの人は"取り敢えず"でしょ」
心美のように、明確な将来像があって進学する人間は、確かに全体数で見れば多くはないのだろう。が、それ以前の問題として、
「私、高校中退」
そもそも、高校すら出ていない私には、来年以降の進路に進学が含まれないのだ。
「あ………ごめん、知らなくて」
「別にいいよ、気にしてない」
私のような人間は、きっと案外多くいる。平均より下にいるから、普通には目に入らないだけで。
「まぁ、心美は別として、私らはゆっくり考えればいいんじゃない。まだ時間あるんだし」
時間。紅祢との、今の時間。今の生活。確かに、特に私に限っては、同年代の他の人間よりも時間はあるように見える。しかしそれは、恐らく今だけの話だ。
この先をまだ考えることはできないが、焦るべき時なのだろう。やりたいこと、なりたいものは無い。それでも、現状維持に必要な要素を考えれば、行動と決断は早いに越したことはないのだ。
そのうちバイトを辞めて、どこかに就職するとして、必要なのは………まずはやはり、高校卒業の資格か。
「心美」
「ん?」
「今度さ、勉強教えてよ」
「いいけど………高校、入り直すの?」
「いや、高認受けようかなって」
その後どうするかは、これから考えていくとしよう。
「勉強なら、私達も教えるよ。今日のお礼に」
「まじか、超助かる」
「気にするでねぇ。受けた恩義は返さねば、武士の名折れというものじゃ」
二人がスマホを取り出したので、私もそれに倣って、ラインを交換する。昼間の友人が二人増えて、計三人。これを、少しずつ昼間の世界に戻っている、その証明としておこう。
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