第2話 願いを問う
ベルモリスの夜は冷たかった。
街灯の明かりは弱く、埃っぽい裏通りはどこも同じような灰色をしている。
クロエはゆっくり歩いた。
「感情のままに生きる」──そう決めたはずなのに、何をしたいのかまだ見えなかった。
ふと、安酒場の開け放たれたドアに視線が吸い寄せられる。薄暗い店内の隅。背の高い若い男がカウンターにもたれていた。
乱れた髪、皺のついただらしない服。けれど顔立ちは端正で、目だけが死んでいた。
グラスに入った水をアルコールのように飲むその姿は、継ぎ接ぎで作られた人形のようだった。
クロエは立ち止まる。
「……流されるだけの目。」
この街そのものの「顔」を見ている気がした。
この国に来てから、身分による格差を何度も目の当たりにしてきた。
規律と血統を重んじる国は、少し歩けば空気まで重く変わる。
少し考え込んだあと、ため息を吐く。
そしてドアを押した。
酒の匂いと湿った床。強面の店主は、この店の喧騒すらも着こなしているようだった。
クロエはカウンターの隣に腰を下ろした。
男は視線に気づいてゆっくり顔を向ける。
「……なんだよ。」
低い声。だが、警戒は浅い。
クロエはじっと目を見つめ返した。
「貴方、私のところに来ない?」
間を置かずに告げる。
男は眉をひそめた。
「……は?」
「願いはないの? 全て叶えるわ。」
「いきなりなんだよ……。」
水の入ったグラスを煽り、唇が少し開く。
「俺は……うちのボスに認めてほしいだけだよ。」
「本気も出してない俺を見てほしいだけ。こんな人間もいるんだって。」
その声は風のように、酒場の空気に溶けた。
クロエはふっと笑った。
「小さな願いね。」
「それなら、成り上がりましょう。」
「無視できない存在になれば、必ず目に入るわ。」
男は一瞬目を伏せ、そして小さく笑った。
「面白いな、それ。」
「……金も力もいるけど。」
クロエは肩をすくめる。
「お金ならある。手段も探す。願いを叶えたいなら、私と来なさい。」
短い沈黙。
酒場のざわめきが、遠くで波打つように聞こえた。
男は視線を逸らし、低く息を吐く。
そして、頷く。
クロエが手を差し出した。
男は少しだけ躊躇し、その手を取る。
「……ヴィン。」
クロエは目を細めて微笑んだ。
「ヴィン、私はクロエよ。」
二人の視線が交わった瞬間、街の音が少し遠のいた。
クロエは見逃さなかった。
ヴィンの死んでいた瞳が、ほんのわずかに色を取り戻した瞬間を。
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