ガソリンを飲む男
長船 改
ガソリンを飲む男
今、この町では、おかしな噂が流れている。
それは、町にいくつか存在するガソリンスタンドで起きているという。
噂の中身はこうだ。
"夜な夜な、怪しい男がガソリンを飲んでいるらしい――"
ガソリンを飲む男。
最初はただの作り話と思われた。しかしそれが目撃談に変わり、しかも次から次へと出てくるとなると、住民の中に不安を抱く人達が出てくるのも無理はなかった。
そしてある日、とうとう何人かの住民が警察へ通報をしたのである。
重大事件など起きた事のないこの町でにわかに噴出した奇怪な騒動に、地元警察は色めき立った。彼らはまるで自分たちが刑事ドラマの主人公にでもなったかのように、それはもう熱心に捜査をした。
時が経つ事、一週間。警察はついに、問題の男を探し当てたのだった。
すでに潰れて誰も住んでいない商店の、そのシャッターの奥に、ガソリン男は潜んでいた。埃まみれの格好ではあったが、その姿は化け物などではなく、どこからどう見ても普通の成人男性であった。男は警察によって、すでに商店の軒下へと引きずり出された後である。
「おい、押すな押すな」
「こっちだって見たいのよ」
住民たちは、男を一目見ようと群がっていた。警察は、興味津々な住民たちを制止するのに苦労している様子だった。
「あなたが最近この町を騒がせている男ですね? なんでもガソリンを飲むんだとか……」
「はい、それはきっと私の事です」
警察官に問いかけられた男は、観念した様子でうなだれた。
それを聞いた住民たちのざわめきは増す一方だ。
「なぜ、そんなことをするんですか?」
続く問いかけにも男はうつむいたままだったが、やがてポツポツと、いかにも話しづらそうに、弱々しく語り始めた。
「私の体は、いわゆる飲み物というものを受け付ける事ができません。体の中を無数の針が刺してくるような、そんな激痛に襲われて気を失ってしまうんです。お茶も、ジュースも、牛乳も、水でさえも。そんな私の体が唯一受け付ける事ができたのが、ガソリンだったんです」
「にわかには信じがたい話ですが……。それでは食べ物はどうなんですか? 食べ物にだって水分は含まれているでしょう?」
「食べ物は、なんとか普通に食べる事が出来ます。ただ、汁気の多いものはダメです」
「なるほど……。しかしだからと言って、なにもガソリンを飲むことはないでしょう? だってガソリンですよ?」
「ほかに何もないんじゃあ、どうしようもないじゃないですか……」
ガソリン男との対話が続けられる中、別の警察官たちは、男が使ったのであろう給油ノズル付近の地面に、吐しゃ物を確認していた。
ガソリンは、男にとって決して美味なものではなかったのだ。それでも男はガソリンを飲まずにはいられなかった。それは、生きるため。
しかし、最初は興味本位だった住民たちの反応は、次第に冷ややかなものへと転じていった。タネが割れてしまえばこんなものか、とでも言いたげに。そして男を、軽蔑の目で見始めたのである。
やがて、居ても立っても居られなくなった一部の住民が、警察の制止を振り切って中へと割って入った。
彼らは怯える男の前に立ち、選択肢を与えた。ひとつは、今すぐこの町から出て行く事。そしてもうひとつは、この町で暮らしていく代わりに、ガソリンを飲むのをやめる事だった。
男に選択の余地はなかった。何しろ今は真冬。隣の町までは、車で1時間以上かかる。徒歩しか移動手段のない彼にとって、今すぐこの町から出るというのは自殺行為だった。
「分かりました……。私は今からガソリンを飲む事をやめます。そして、春が来て暖かくなったら、この町を出て行こうと思います」
それならばと、住民たちは、男が町に留まるのを許したのだった。
しかし、それから約10日が過ぎたある日の事である。
男は、あのガソリンを飲む男は、見るも無残な遺体となって発見されてしまったのだった。
警察の談話はこうだ。
「死因は脱水による脳出血。聞き込みによると、男は最後までガソリンを飲もうとはしなかったようで、こっそりとガソリンを施そうとした住民に対しても、『約束だから』と断わっていたそうです」
なお、死因とは関係ないものとして黙殺されたが、男の体にはいくつもの痣があったそうである。
住民たちは「化けて出られると面倒だから、せめて墓には入れてやろう」と、斎場などの手配をした。
そして2日後、葬儀は行われた。
葬儀にはたくさんの住民が参列した。しかしその大半はいかにも退屈そうで、お経が唱えられている間にも、スマホをいじったり大あくびをしたり。また、「早く終われよ」と愚痴をこぼす者までいた。彼らが参列したのは、決して男を悼むためではなかったのである。中には芯から男を悼む住民もいたが、他の参列者の横着な振る舞いに辟易し、葬儀が終わるなり斎場を後にしてしまった。
棺は、斎場の裏手にある火葬場へと移された。
男の家族は見つからなかったため、火葬場へは、葬儀の発起人を含めた一部の住民たちが同行した。
そして約20分後……。
ガソリンを飲む男が納められた棺は、燃え盛る炎の中へとゆっくりと送られていった。
それを見届けた住民たちは、安堵した。そしてほくそ笑んだ。
自分たちは孤独死したただの可哀想な男に対して、ここまでの事をしてあげた。なんと優しく、なんと慈悲深いのだろう。きっと神様は見ていて下さるに違いない、とそんな事すら考えた。自分たちが暴行を加えていた事実を棚に上げて……。
火葬場の扉が、重々しい音を立てて閉じられてゆく。
さて、これでせいせいした。みんなで宴会でもしようじゃないか――。
誰かがそう声を上げた、その瞬間だった。
大爆発が起こった。
火葬場はもちろん、斎場も吹っ飛んだ。
黒煙をまとった山ほどにも大きな爆炎は、火葬場、斎場にいた住民たちを跡形もなく焼き尽くした。彼らにとって不幸中の幸いだったのは、苦しむ間もなく死んだ事だろう。
そして不思議な事には、炎は、ガソリン男を真に憐れんだ住民たちを巻き込まなかったのである。
炎はその後、2週間以上経ってようやく鎮火した。
しかし、ガソリンの匂いだけはこの町に残り続けたという。
いつまでも。いつまでも……。
ガソリンを飲む男 長船 改 @kai_osafune
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