日本なにも始まらない昔話
Sora Jinnai
桃太郎
むかしむかし、はるか彼方の山奥で、おじいさんとおばあさんが暮らしていた。ふたりのほかに家族はおらず、隣人はなく、取り立てる商人も来ない、それはそれは
転機が訪れたのは、とある日の昼下がりのことである。
これは鬼を倒し、人々に平和をもたらす少年の物語。
「おはよう、ばあさんや」おじいさんはあいさつをしてしわがれた喉を払った。
おじいさんは
「おはよう、じいさんや」
おばあさんは昼間になってやっと起きてくるおじいさんに苛立っている。いつもどおり、しゃくにさわる咳払いはこの際気にしない。というのも、このおばあさんは今日一日の家事をおじいさんに任せると約束していたのである。朝になって服を洗濯しようにも、今日はおじいさんがやると決まっていたため、汗ばんでいるのにも我慢して、おじいさんが起きるのを待っていた。
そんなことなどつゆ知らず、おじいさんは昼下がりになってやっと目を覚まし、体をかいて咳をする。家事の約束などこれっぽちも覚えていないのである。
「じいさん、さっそく川に洗濯へいっとくれ」
「はあ、またなんでそんなこと」
おじいさんは忘れている。
「だってじいさんや、今日の家事はぜーんぶじいさんにやってもらうて約束したはずさ」
おじいさんは首を傾げる。彼が訊きたいのは、なぜ洗濯をする必要があるのか、ということである。服ならまだある。汗ばんだ服が気持ち悪いのなら着替えれば良い。なぜ今日、このタイミングで洗濯をする必要があるのだろう。おじいさんのは理解できぬ。
こう質問されるとおばあさんは弱かった。日課でやっている仕事だから、なぜそうしているのか考えたことがない。いや、口答えせずにさっさと行ってくれればよいものを、このおじいさんときたらとにかくごねてグダグダ、ナアナアにしてしまうのである。
しかしこのおばあさん、今日おじいさんに洗濯を任せるのには理由がひとつ。
それはとある
「じいさんや」おばあさんは
「なんだいばあさん、えらく真剣そうじゃないか」
「あたしゃあね、この仕事を任せるのには理由があるんですよ」
「へえ、それでどんな」
おばあさんはやけに間をおいた。おじいさんは何度も前のめりになり、そのたびに顔を寄せる。
「なんか、川に桃が流れてきそうな気がするんです」
「どういうわけだい」
「それも、中にあかんぼうが入っている気がするんです」
「俺の質問はスルーかい」
おじいさんがカタカナ言葉を使う違和感がするけれど、なにはともあれ、おばあさんは桃太郎の到来を予感していたのだ。本来なら見逃してしまいそうな桃の漂流に居合わせたのには、このような理由が隠されていた。
「ちょっと待てばあさんや」
「なんですかいじいさん」
「なぜわしがやらねばならんのだ」
最もな疑問だ。洗濯は女性の仕事、というのは時代錯誤かも知れないが、これは遠い昔のどこかの話のため、考え方も非常に保守的なのである。
「わし、それを運んで持って帰ってこなきゃいけないんだろう」
「そうさ」おばあさんはうなずく。
「重労働だ」
「そうさな」おばあさんは深くうなずく。
「さては、やりたくないだけだな」
おじいさんは
「やっぱりそうだ」
おじいさんは勇んで立ち上がる。
「そんな理由で働かされるのはごめんだ。わしゃねる」
「ああ、ちょっと待ってじいさんや。このまま洗濯しなかったら桃は流されていってしまうわ」
おじいさんはもう布団の上にね転がり、尻をかいた。
「知らんわ。そんな桃、下流の村で拾ってくれるだろ」
おじいさんはとにかく仕事をする気がなかった。たとえ桃の中から出てきたあかんぼうが成長し、鬼を倒して巨万の富をふたりにもたらすとしても、彼はぜったいに動かない覚悟があった。
「おい待て、巨万の富ってなんだ」
え、なんすか。
「その桃の中にいるあかんぼう育てたら、金がはいるのか」
まあ、そっすね。はい。けっこう時間かかると思いますけど。はい。
「なんだ、そういうことならいいじゃないか。その桃を家に持ち帰るべきだな」
おじいさんはこころがかわり、桃を持ち帰ることに決めた。この際洗濯なんて関係ない。桃だけとりあえず持って帰ろうじゃないかと、そう考えていた。
しかし、おじいさんは知らない。その桃が異常に大きく、川を流れる擬音が、どんぶらこどんぶらこ、という日常生活でけして耳にすることのない音を発する代物だということを。
「待てい」
「なんですか、じいさんや。擬音のことですかい。擬音は音を文字起こしするのであって、どんぶらこは正確には擬態語、つまりオノマトペであるということですかい。このナレーターが白痴と、そういいたいわけですかい」
「口悪いな、白痴は言いすぎじゃろばあさんや。擬音と擬態の違いとかはどうでもいいんだ。いま重要なのは、桃が巨大ということだ」
おじいさんは神妙に問いかける。おばあさんの方ではなく、読み上げ役のわたしに向かって。
「どのくらいでかい」
ㇲーっ、まあ
「重いか」
そうなりますね。見た目どおりの重さになるかなって思います。
「わし、腰いわしてしまうぞ」
いや、まあそうですよね。
「そうですよねじゃないわい。お前あれか、年寄だからって軽く扱ってるのか。多少ずさんでも許してくれるかなとか思ってんのか。ばかにするんじゃないぞ」
違うんですよ。もとの台本だとおばあさん役の方に運ぶのはお願いしてて。キャスティングの時点でそこは監督の方から伝えてるはずなんですけど、なんか今日になっておばあさんが調子悪いみたいで。
「お前のせいか」おばあさんにするどい視線がとぶ。
「なんですかじいさんや。現場は予測不能、臨機応変に協力して対応するのがふつうでしょう」おばあさんはしれっと返した。
「それは原因作ったやつの言っていいセリフじゃないわい。わし、絶対行かんからな」
そんな、困りますよ。制作すでに押しちゃってるんですから。
「わしのせいじゃないもん。ばあさんがベテランのくせに体調管理できないからだもん」
「はあ、わしのせいにしないでもらえませんか。協力的じゃない爺さんのせいで遅れてるってなんでわからないんですか」
夫婦の口論は、それはそれは長く続いた。日が傾き、沈み、再び昇るまで、おじいさんとおばあさんは疲れも感じることなく激しく罵りあった。大きな桃は、どんぶらこどんぶらこと、洗濯の最中に拾われるはずだった地点を過ぎ、下流に流されていった。
桃太郎もさすがに遅くないかと焦り、自ら桃を割って顔を出してみると大海原だったことには驚いた。川を流れ、ついには大海についてしまったのであった。
「だいたいな、大きい桃を老人に運ばせようとする原作サイドに問題があるんじゃないんですか」
いや、それはわたしに言われても。おばあさん的には時間を置けば大丈夫だったりしませんか。
「は、出た。ばあさんの八つ当たり論述。わしと言い合いで勝てないとわかったら、別の敵を作って攻撃する」
「なんですか、別に負けてないですよ。じいさんが言い合いを脱落したらからこうなってるってなんで気づかないんですか」
「ああもうキレたわ。ジイ、ブチっと来ましたわ」
「おいコルァ、なにしてんだ!」
突然、土間に怒号がとぶ。言い合っていた夫婦もさすがに驚いて、声の方へふりむいた。
「お、鬼さん」
「どうしてここに」
「わしらの島んとこに桃の坊が流れ着いた。なんでお前らのとこで受け取ってないんじゃボケ」
鬼の怒りの形相はふたりを平伏させた。恐ろしい巨躯の背後に生後まもない男の子が顔をのぞかせている。見間違いようもなく、桃太郎そのひとであった。
「ちゃんと台本どおりやらんかい」
「すんません」
「すませ」
鬼の威光でふたりは台本どおりに進めることにした。おばあさんは川へ洗濯に、おじいさんは山へ芝刈りに。
「頼むぞほんと。こいつは桃に入れてもっかい上流から流すから、ちゃんと受け取れよ」
「はい、ほんとすんませんした」
「した」
おじいさんは一貫してぞんざいに返事する。それが鬼の逆鱗に触れ、えりをにぎられると山へ放り投げられる。おばあさんはすっかり怯えた様子で、洗濯かごと板、衣類をまとめると、嘘のように走っていった。
「お前も、あんまヘコヘコしないで指示出せ。物語まったく始まってないのにもう3600字も使ってるんだからな」
それは本当、返す言葉もございません。今後はこのようなことにならないよう、地の文も短く、テンポいい語りを心がけますので。
「その言葉、信じるぞ」
「あのすいません」
おじいさんが頭をかきながら戻ってきた。
「あの、芝刈りってなんでやる必要があるんですか。山の芝生ってゴルフ場でも管理してるんですか」
「はよ行け」
「はい!」
「……ボケが」
ちなみに芝刈りってどんな仕事か、鬼さんは知ってるんですか。
「そりゃお前、あれは芝刈りじゃなくて柴刈りだからな。柴は枝のことで、薪に使う枝を切ったり拾ったりして集めてくることをいうんだよ。ナレーターならそのくらい調べておけよ」
そうなんですね。お言葉痛み入ります。今後は必ず調べておきます。
こうして物語は一度巻き戻される。桃太郎が手短に語り継がれるのはこういった背景が隠れていたのだ。
みなさんは日常の中でこんな疑問を持ってことはないだろうか。
なぜ動物は冬眠するのだろう。
どうしてパンには気泡がたくさんふくまれているのだろう。
どうやって車は走るのだろう。
それらの疑問には、人が知るには膨大なメカニズムが秘められいる。その謎を解き明かそうとした足跡が科学であり、現代社会を支える礎である。
どうかみなさんも、物事の裏側にある隠された部分を探求し続けてほしい。
その活動が、人として生きることであるとわたしは信じている。
日本なにも始まらない昔話 Sora Jinnai @nagassan
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