第2章「灰色の土地に、一粒の希望を」
辺境の地での生活は、想像を絶する過酷さでした。ここには小さな集落が一つあるだけで、そこに住む人々は皆、生気を失った瞳で日々の糧を得るのに必死でした。土地は痩せこけ、いくら種を蒔いてもまともな作物は育ちません。たまに採れるのは、こぶしほどの大きさにも満たない、筋張った芋だけ。人々はそれを「石芋」と呼び、貴重な食料としていました。
「あんた、王都から来たそうだな。こんな場所で何をするつもりだ」
集落の長老らしき、顔に深い皺を刻んだ老人が、私に不信感丸出しの視線を向けました。私が元公爵令嬢であることは伏せ、ただの追放者だとだけ伝えてあります。それでも、彼らにとっては素性の知れない厄介者でしかないのでしょう。
「私は、ここで農業をしたいのです。この土地を、豊かな畑に変えてみせます」
「馬鹿なことを言うな。神に見捨てられたこの土地で、作物が育つものか。諦めて、日々の糧拾いでもするんだな」
住民たちの視線は、皆、冷ややかでした。彼らは長年の貧困と絶望の中で、希望を持つこと自体を忘れてしまっていたのです。無理もありません。私も、転生前の知識がなければ、同じように絶望していたでしょう。
けれど、今の私には確信がありました。この土地は死んではいない。ただ、疲れているだけなのだと。
「見ていてください。必ず、この土地で美味しい野菜を育ててみせますから」
私は宣言すると、すぐに行動を開始しました。まずは、土壌改良からです。転生知識によれば、痩せた土地を蘇らせるには、有機物を補給し、微生物の活動を活発にすることが不可欠です。
私は来る日も来る日も、集落の外れにあるわずかな森で落ち葉や枯れ草を集め、それを一箇所に積み上げていきました。住民たちは「王都の嬢ちゃんが、ついに気でも狂ったか」と遠巻きに見ているだけです。食料にもならないゴミを集めて何になるんだ、と。
次に、辺境に自生しているマメ科に似た雑草を大量に刈り取り、畑にしようと決めた一画にすき込みました。これは「緑肥」と呼ばれる方法です。根についた根粒菌が、空気中の窒素を土の中に固定してくれるはず。
泥と汗にまみれ、元令嬢とは思えない姿で一心不乱に働く私を、住民たちは訝しげに、しかし少しずつその視線を変えていきました。最初は嘲笑だったのが、やがて好奇心へ、そして何人かは恐る恐る「何をしているんだ?」と声をかけてくれるようになったのです。
「これは、土の『ごはん』を作っているんです。土も、お腹が空いていては元気に作物を育てられませんから」
私がそう説明すると、人々はきょとんとした顔をしました。土がごはんを食べる、という発想が彼らにはなかったのでしょう。
私が作った堆肥――コンポストが、数週間かけてゆっくりと熟成し、黒く、ふかふかとした土に変わった時、最初に声をかけてくれたのは、まだ幼い少年でした。
「ねえ、お姉ちゃん。これ、本当に土のごはんなの?」
「ええ。栄養満点の、特別なごはんなのよ」
私がその堆肥を乾いた畑に混ぜ込んでいくと、カチカチだった土が、嘘のように柔らかくなるのが分かりました。
そして、種蒔きです。私が選んだのは、この土地でもわずかに収穫できる「石芋」。ただし、ただ植えるのではありません。種芋を丁寧に切り分け、切り口に草木を焼いた灰をつけます。これは病気の予防と、カリウムの補給のためです。
毎日毎日、畑の様子を見守りました。水も貴重なので、夜露を集め、少しずつ、丁寧に与えました。
そして数ヶ月後――。
その日は、やってきました。
「……大きい」
最初に気づいた少年が、声を上げました。彼の指さす先、芋の蔓をそっと引き抜くと、そこには、今まで誰も見たことのない大きさの芋が、ごろごろと連なっていたのです。石のように硬い「石芋」ではありません。ふっくらと丸みを帯びた、生命力あふれる「じゃがいも」でした。
「すごい……! 嬢ちゃんの言った通りだ!」
「こんなに大きな芋、見たことないぞ!」
住民たちが、わっと畑に集まってきました。彼らの瞳には、私がこの地に来て初めて見る、強い輝きが宿っていました。驚きと、喜びと、そして、希望の光が。
その日、集落ではささやかな収穫祭が開かれました。蒸しただけのじゃがいもは、驚くほど甘く、ほくほくとしていました。皆、涙を流しながら、その恵みを味わいました。
「嬢ちゃん……いや、セレスティア様。俺たち、間違ってた。どうか、俺たちにも教えてくれ。どうすれば、こんな芋が作れるんだ?」
長老が、深く、深く頭を下げました。
「もちろんです。一緒に、この土地を緑でいっぱいにしましょう」
私は、満面の笑みで答えました。灰色の土地に生まれた、本当に小さな、しかし確かな希望。それは、私の心にも、住民たちの心にも、力強く根を張り始めたのでした。
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