「忘れぬ愛のカフェ」 ~記憶と感情の詩~

トムさんとナナ

「忘れぬ愛のカフェ」 ~記憶と感情の詩~

忘れぬ愛のカフェ

――どうして、毎日あなたに恋をするの?


第一章 春のはじまり、再会のはじまり

北海道の遅い春。雪解け水が小川を満たし、まだ冷たい風の中にも淡い桜が顔を覗かせるころ。倶知安町のはずれ、小さな坂道を上った先に「カフェ・メモワール」はある。


店主・朝比奈悠真は、豆を挽く音とともに静かな朝を迎えていた。


その日、扉のベルがちりんと鳴った。小柄な女性が、ぎこちなく店内を見回しながら入ってきた。


「はじめまして…こちら、入ってもいいですか?」


見覚えのある顔に悠真は驚きつつ、微笑んで頷いた。


「もちろん。おかえりなさい」


第二章 記憶と香りのスパイラル

彼女の名前は水瀬紬(みなせ・つむぎ)。二週間前から時折来るようになった常連客だが――翌日になると、その記憶をすべて失ってしまう。


けれど、不思議と悠真の煎れるコーヒーには「懐かしい気がする」と言い、彼の声には「なぜか安心する」と笑った。


悠真は、彼女のために“ひとつきりの思い出”を毎日用意するようになった。日替わりのカップ、手描きのイラスト、短い手紙。「今日のあなたは、昨日のあなたが大好きだった人です」と。


第三章 愛するための工夫

ある日、つむぎが言った。


「このお店に来ると、わたし、どこか…安心するんです」


彼女の記憶の奥底に、微かに残る感情の名残。それはまるで春の風に乗る花の香りのように、確かに存在していた。


日記帳を手渡すと、彼女はそこに毎日新たな「自分との会話」を綴った。見返すたび、「昨日の私」が「明日の私」に託した想いが、小さな種のように心の中で芽吹いていく。


第四章 断片の中の真実

ある夜、閉店後のカウンターで、つむぎが涙ぐんだ。


「今日の私は、あなたにきっと恋をしてた。でも、明日はまた何も知らない顔をするんですよね…」


悠真は静かに、けれど確かな声で答える。


「それでもいい。また明日、君に恋をするから」


第五章 小さな町の、優しい奇跡

常連客たちも事情を知り、さりげなく力を貸してくれるようになった。


「彼女、今日も素敵な笑顔だったね」「あの二人って、たとえ明日忘れられても、ずっと恋し続けるんだろうな」


季節は夏に移り、秋が近づく。


第六章 心が記憶するもの

ある秋の朝。つむぎはふと、日記の最初のページを指で撫でた。


「ねえ…このお店に来る前の私の記憶、何もないはずなのに――朝比奈さんの夢を見ました」


彼女の声は震えていたが、その瞳はまっすぐ悠真を見つめていた。


悠真は、いつもと同じ微笑みでコーヒーを差し出した。


「君の心が、きっと僕を覚えていてくれたんだ」


最終章 忘れない愛、忘れても愛せる人

冬。初雪が舞う夜。


閉店後、二人はカフェの灯りの下、肩を寄せ合っていた。


「明日、私がまたあなたを忘れても――」つむぎは言った。


「僕は、また君に恋をするよ。何度でも、何度でも」


そして彼女はそっと微笑んだ。


「じゃあ私も、心のどこかで、何度でもあなたに恋をするわ」


やがて雪は静かに降り積もり、二人の足元に、未来の記憶を刻み始めた。


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