口ずさむ

 ひとっ風呂浴びれる場所と言われて思いついた場所がそう遠くないところにあったのは幸運だった。

 車の窓を開けると、昼間に比べて少しマシな温度になった風の中に硫黄の匂いが混ざってきていた。


「温泉街か、良いね。よく来てたの?」

「廃墟観光しに都市から来る奴がよくいたからな。一仕事するついでに湯も浴びてた」

「泥棒仕事かよ」

 観静みしずは呆れ苦笑している。

「ひとっ風呂の前に寄らなきゃいけないとこがある」

「どこ? 売店跡地とか?」

「違う。民家だ」





 農機具の置かれた倉がある民家の前で車を止めさせる。俺はそこからできるだけの物を回収して戻った。

 車に残っていた観静は、俺が民家からいくつか拝借してきたのを見て眉を顰めた。

「また泥棒?」

「泥棒じゃねえよ。もう誰も戻ってこないからな。それに金になりそうな物は持ってきてない」

 俺は手ぬぐいと、あとはシャベルを掲げた。石鹸もあるにはあったが洗面台で干からび変色していた物を持ち出したくはなかった。

「シャベル? 何で」

「目的地に行けばわかる」

「……あとそれは?」


 観静に指差さされたラジカセを背後に隠す。都市の人間にとっては博物館で飾られるような骨董品じゃなかろうか。

後ろめたいわけじゃなかったが、観静の表情が批難混じりのものだったので咄嗟に隠してしまった。

「……金には変えねえよ」


 民家から更に車を走らせると、周りはすっかり温泉街の様相を取り始める。ガラス戸の土産屋や食堂が並び、町の至るところに民芸品のオブジェが飾られている。側溝から沸き立つ湯煙は、人がいなくなってもこの土地に湯が巡っていることを意味していた。


「ここだ。止めてくれ」

 今度は駅舎跡地の前で車を止めさせる。先程は車で待っていた観静だが、今度は気になって付いてきたようだ。

 駅の内部は当然誰もいない。かつて地元の小学生が描いたであろう町の風景が描かれた大きな絵が飾ってある待合室を通り抜けると、時間を潰す目的で作られたのか小さな図書室がある。

 その中に目的の人物がいた。


触陽ふよう、これ大丈夫な人……?」

「比較的ではあるが大丈夫な部類だ。俺は番頭って呼んでる」

 再利用されている学校の椅子にクッションを置いて座り、爺さんか婆さんかもわからないような老人が煙草をふかしていた。

 俺達が小声で話していても一瞥をよこすだけで一言も発さない。周囲には何に使うのかもわからない骨董品が積まれていた。


「こういう、元々観光地だった場所だと人が商売じみたことしてる場合もある。さっきも言ったように都市住まいの奴がきたりするし、外側の奴らも時々くるからな。この人の場合は古いもん渡せば消耗品をくれる」

「その消耗品はどこから……」

「さあな」


 俺は番頭に近づき、民家から持ってきたラジカセを番頭の座っている机の前に置いた。この番頭とは何度か会ってるはずだが、俺の片腕が無くなったことに対して少しの反応も示してこない。

 他人に深入りしないのは外側を生きていくうえで賢明な生き方だ。


「番頭、これで石鹸を頼めるか。あれば飲み物も」

 番頭はラジオを数回軽く叩いたり差し込み口を確認した後、頷きを返してきた。

「こいつがまともに使えるのか、そっちで試してくれたら飲み物も付ける。テープはこっちで用意する」

「わかった」

「ビールと焼酎どっちが良い」

 嗄れた声はぶっきらぼうにそう聞いてくる。俺は観静の方を振り返った。

「だってよ、どっちが良い?」

 観静は片方だけの目を見開いた後、ビール、と呟いた。


 



 目的地の傍の道路で車を止めさせ降りると、観静は眼下を流れる川を見て感嘆の声を漏らした。

「おお、湯気が出てる」

「川の水自体は冷たいが、河原の数カ所から湧いてんだ。源泉はめちゃくちゃ熱いから上手いこと調整しなきゃならない。今日はとりあえず他の奴が作っていった跡地があるから、そこを利用する」


 河原まで降りると、川の各所には人が肩までつかれるほど深く掘られている場所もあった。一応手を突っ込んでみるが到底くつろげる温度じゃない。

 俺はシャベルを持って天然の温泉周りを調整と、念のため罠などの物騒な物がないかも確かめた。片手だけの作業は初めてだったが、足も使えばやれないことはなかった。


 シャベルが一本しかないため観静は川辺をほっつき歩いている。かと思えば網を車から持ってきて川に突っ込み始めた。あの車に網なんてあったのを初めて知った。

 しばらくすると驚くことに、網の中には太ったサクラマスが跳ねていた。






「最高。毎日これで良いな」

 空に昇っていくたき火の煙を眺めながら、俺は観静の独り言をぼうっと聞き流した。河原ではサクラマスと石鹸で洗った服が火に炙られている。

 目玉はというと、離れた場所に置いておけるものでもないので温泉のすぐ傍にボディバックごと置き、何かが起こっても大丈夫なようにチャックは開けたままにした。


 長く息を吐きだすと、肩から力が抜けていく。負担を掛けたせいで凝ってしまった左肩を回した。

 野郎二人が入っても大丈夫なくらい風呂を拡張するのは肉体的に疲れたし、何より「俺に任せてみろ」と観静が謎のやる気を発揮してしまい頭を洗われたことは精神的にかなり疲れた。若干熱いかと思うほどの湯温にそれらの疲労感が溶け出していくようで心地良かった。


「触陽、ラジカセは?」

「ああそうだったな。仕方ない、やるか」

 番頭との約束を思い出し、俺はラジカセを持ってきた。乾電池とカセットテープは既に番頭が入れていたらしく、あとはスイッチを押すだけだ。

 古い物だし使ったことがなかったので再生ボタンがどこかわからなかったが、勘でなんとかなった。

 音は大分音割れしているもののかろうじて何かの民謡だということはわかる。


「音楽付きで温泉だなんて贅沢だ」

「都市じゃもっと贅沢なことあるだろ」

「そりゃそうよ」

正直に答える観静に苦笑しながら、俺はなんとなくボディバックから小瓶を取りだした。 

 目玉は広くなった視界に喜んでいるのか瓶の中で上下に揺れた後、たき火に集まってきた蛾や川面に反射する朧気な月に虹彩を向けた。


「眼球がどうかした?」

「いや、ロクでもない物ばっかり見せられるのが不憫だと思ってこうしたんだが、なんか妙な感じするな」

「へえ、妙」

 観静は何故だか目尻を緩めながら聞き返してきた。ラジカセは音割れの民謡を垂れ流し続けている。

「この目玉お前のなんだよな? 自我があるように見えるんだが」

「やっぱり? 俺もそう思うんだけど詳しいことはよくわかんないだよね」


 観静はそう言って目玉から視線を外し川の方を向いてしまった。

自分から離れた目玉がおかしな挙動をすることを、観静は出来るだけ考えないようにしているようだ。普通であれば正気じゃいられないような事態なので、その方が精神衛生には良いのかもしれない。


 ラジカセから聞こえてくる民謡は、口ずさんで歌われるような穏やかなものだった。歌詞こそ全く聞き取れないが、そのぐらいの雰囲気はわかる。

「そういえば、夜に歌うと蛇が寄ってくるってあるよね」

「歌? 俺が知ってるのは口笛だ」

「どっちにしろ陽気にしてちゃ駄目ってことか。あれって何が原因で出来た話なんだろうな」

「そういうのが泥棒の合図だからとか霊が寄ってくるだとかあるらしい」

「霊がやってくるなら俺的にはそっちの方が良いな。目玉に見せなきゃだし。泥棒なら隣にいるから心配ない」


 観静はラジカセから流れる民謡に合わせて機嫌良さそうに口笛を吹いた。体が温まったからか頬が染まっている。

 河原で奇妙なコーラスが始まる。すっかり気が緩んで呑気なもんだ。外側じゃこうときほど危ないっていうのに。

 それとなく周囲に人の気配がしないかを探りつつ、河原で始まった奇妙なコーラスに耳を傾けた。観静はどうやら音楽の才能は無いようだ。


「ああ、そういえばもう一つ聞かされた話がある。蛇が人のところに寄ってくるのは襲おうとしてるとかじゃなくて……」

「触陽、見ろよ」

 俺の話を遮り、観静が川面を指差した。声から陽気な気配が消えている。急いで指が差さされた方を辿った。


 夜の闇に沈んだ川は水面がほとんど見えない。月明かりとたき火の光を反射している箇所がかろうじてという具合だが、細かく波打つ鱗のような水面の合間を縫うようにして、細長い物が動くのが確かに見えた。


「お前が引き寄せたんじゃないか? 騒がしくするから」

「まさか。火に目が眩んだんだろ」

「蛇がか?」

 折れた木の枝が流れてきただけかと思っていたがそうではないようだ。あれはアオダイショウだろうか。

「なあ、もしかしてこっちに来てる?」

「お前蛇苦手か」

「いや、そうでもないんだけど……限度がある」

「なに?」

 観静の声は微かに震えていた。よく見てみれば泳いで向かってくる蛇は一匹の話ではない。火に群がってくる虫のように、数えるのが嫌になるほど向かってくる。


 カタ、と音がなった方を見てみれば目玉の揺蕩っている小瓶が倒れていた。虹彩は小さな血管を膨らませ、震えながら川向こうの木立を見つめている。そう遠くない場所で木がなぎ倒される音が聞こえた。

 俺は昔聞いた話を思い出した。


「観静、潜るぞ……!」

「え、」

「いいから……!」

 俺が左手で観静の頭を押さえ沈める前に、観静は混乱しつつも体を湯の中に沈めた。俺も小瓶を掴んでから、急いで湯の中に身を隠す。

 潜るとくぐもった水音に包まれた。加えて音割れしたラジカセの音が頭上から聞こえくるぐらいだったが、すぐに別の音が聞こえてきた。

 人よりも重たい何かが這いずる音、ぶち、ぶち、と何かをちぎる音、そして咀嚼音。

 息が苦しくなってくる。鼓動の早い心臓は酸素を必死に求めていた。


 観静か俺のどちらかが堪えられなくなって水面に顔を出す前に、また這いずる音が聞こえてきた。それは次第に遠ざかっていき、再びくぐもった水音とラジカセの音割れした音楽しか聞こえなくなる。

 

 俺は湯から顔を出した。周囲には何もいなかった。這いずる音を出していた何かも、蛇も。変わりに蛇のちぎれた頭部と尻尾が川面にいくつも浮かんでいる。

「……触陽、さっきの話の続きって」

「蛇は、襲おうとして寄ってきてるんじゃない。逃げてきてるんだ。人間の歌声なり口笛を聞いてそっちの方めがけてな。助けて貰いたくてかあるいは、なすりつけようとしてか……」

「おっかないな」

 蛇の残骸は、やがて闇に溶けていくように下流へと流されていった。

 たき火で炙っていたサクラマスはまるごと消えていた。小瓶を隠しておいて正解だったかもしれない。

 俺はラジカセの音を止めた。夜はやはり、大人しくしていた方がいいに違いないんだろう。





 乾いた服に着替え車の中で横になる。車中泊はこれまで何度もしてきたが、少しも落ち着かなかった。蛇を襲った何かが戻ってこないか気が気ではなくて夜中に何度も目が覚めた。

 俺は夜通し起きていることに慣れているから大して問題じゃない。だが恐らく観静は違う。観静の目の下のクマが一層濃くなるんじゃないかというのが少しばかり気がかりだった。


翌朝、俺の心配をよそに観静は顰めっ面で悔しがっていた。川で冷やしていたビールが持って行かれた、と。

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