第15話『透明になれる手袋』



「今日の荷物は——」


ヨルが不思議な笑みを浮かべた。でも今日は、なぜか店の奥をちらりと見る。普段は入れない、あの扉の向こうを。


「どうしたの?」


「いや、なんでもない。これが今日の荷物だよ」


差し出されたのは、透き通るような白い手袋。光に透かすと、まるで存在しないかのように見える。でも、よく見ると、指先に小さな鈴がついている。


「きれいな手袋。でも、この鈴は?」


「それはね、ある条件で鳴るんだ。まあ、使ってみれば分かる」


「ある条件?」


ヨルは答えずに、配達票を渡した。


「今日の配達先は、同じクラスのカナちゃんだね」


カナ。いつも教室の隅で本を読んでいる、物静かな女の子。ヒバルも、ちゃんと話したことがない。


学校帰りに、カナの家に向かった。商店街から少し離れた、静かな住宅地。小さいけれど、色とりどりの花が咲く素敵な庭。


「カナちゃん、いるかな」


玄関のチャイムを鳴らすと、カナのお母さんが出てきた。


「あら、ヒバル君。カナに?」


「配達物があって」


「そう。カナったら、最近ますます部屋に閉じこもって……友達が来てくれて嬉しいわ」


2階のカナの部屋の前に立つ。ドアには小さな札がかかっている。『読書中』。


ノックをすると、長い沈黙の後、小さな声がした。


「……誰?」


「ヒバルだけど。配達物があって」


また沈黙。やがて、ドアが少しだけ開いた。カナの不安そうな顔がのぞく。


「配達?」


「うん、これ」


手袋を差し出すと、カナは恐る恐る受け取った。その瞬間、手袋がかすかに光った。


「きれい……でも、私に?」


「ハコブネ堂の荷物は、必要な人に届くんだ」


カナは部屋に入れてくれた。壁一面に本棚があり、床にも本が積まれている。まるで図書館みたい。


「すごい本の量」


「あ、ごめん。散らかってて」


カナは慌てて本を片付けようとした。その手が震えている。


「大丈夫だよ。本、好きなんだね」


「うん……本の中でなら、なんにでもなれるから」


カナは窓際に座った。いつもの定位置なのだろう。校庭が見える。


「あそこで、みんな遊んでる」


窓の外では、クラスメイトたちが楽しそうに走り回っている。


「カナちゃんは行かないの?」


「私……みんなといると、息ができなくなるの」


カナは手袋を見つめた。


「これ、何か特別な力があるんでしょ?」


「透明になれる手袋だって。5分間だけ」


カナの目が大きく見開かれた。


「透明に……」


すぐに手袋をはめた。次の瞬間、カナの姿が薄れていく。


「すごい……本当に……」


声だけが聞こえる。でも、なぜかヒバルには、カナの輪郭がぼんやり見えた。


その時、部屋のドアがノックされた。


「カナー! お友達来てるよ!」


お母さんの声に続いて、女の子たちの声が聞こえる。


「カナちゃん、学級会の準備しに来たよ!」


カナの姿は透明のまま。でも、部屋の隅で小さくなっているのが、ヒバルには見えた。


ドアが開いて、クラスメイトの女の子たちが3人入ってきた。リーダー格のミサキ、活発なアヤ、おっとりしたユイ。


「あれ? カナちゃんは?」


「さっきまでいたんだけど」


女の子たちは不思議そうに部屋を見回した。


「トイレかな?」


「待とうか」


三人は床に座った。そして、予想外の会話が始まった。


「ねえ、カナちゃんって、どうやったら仲良くなれるかな」


ミサキが言った。


「私、カナちゃんと友達になりたいんだけど、いつも逃げられちゃう」


「私も」とアヤ。「カナちゃんの書いた物語、すごく面白いのに」


「図書委員会で一緒だけど、ほとんど話せない」ユイもため息をついた。


透明なカナが、かすかに動いたのがヒバルには分かった。


「もしかして、私たちが怖いのかな」


「えー、なんで?」


「だって、いつも大勢でワイワイしてるし」


「カナちゃんは静かなのが好きそうだもんね」


三人は考え込んだ。そして、ミサキが言った。


「じゃあ、一人ずつ話しかけてみる?」


「それいい!」


「でも、何話せばいいかな」


その時、鈴の音が聞こえた。


チリン。


かすかだけど、確かに聞こえた。手袋の鈴が鳴っている。


「今、鈴の音しなかった?」


「した!」


女の子たちは音の方を見た。そこには何も見えない。でも——


「カナちゃん、いるんでしょ?」


ミサキが空間に向かって話しかけた。


「見えないけど、分かるよ。鈴の音がしたもん」


透明なカナは動けないでいる。でも、鈴は鳴り続けている。


ヒバルは気づいた。鈴が鳴る条件——それは「見つけてほしい」と思った時。


「私たち、カナちゃんを探してたんだよ」


アヤが続けた。


「ずっと友達になりたかった」


「でも、どう接していいか分からなくて」


5分が過ぎ、カナの姿が徐々に現れ始めた。部屋の隅で、膝を抱えて座っている。


「カナちゃん!」


女の子たちが駆け寄ろうとした。でも、カナは首を振った。


「こ、来ないで」


「え?」


「私……みんなが怖いの。視線が……注目されるのが……」


カナは泣きそうになっていた。


「ごめん。私たち、カナちゃんを苦しめてた?」


「違う……みんなは悪くない。私が……私がおかしいの」


「おかしくないよ」


ユイが優しく言った。


「人それぞれ、心地いい距離ってあるもん」


ミサキも頷いた。


「じゃあ、カナちゃんが心地いい距離から始めよう」


「心地いい距離?」


「今くらい。少し離れてても、ちゃんと話せる距離」


アヤが提案した。


「本の話から始めない? カナちゃんの好きな本、教えて」


カナは恐る恐る顔を上げた。


「……『銀河鉄道の夜』」


「あ、私も読んだ!」


会話が少しずつ始まった。最初はぎこちなかったけど、本の話になると、カナの表情が柔らかくなっていく。


「実は私、カナちゃんみたいに物語書いてみたい」


ミサキの告白に、カナは驚いた。


「本当?」


「うん。でも、どう書いていいか分からなくて」


「それなら……」


カナは本棚から一冊のノートを取り出した。


「これ、物語の書き方をまとめたノート。よかったら……」


「見せてくれるの?」


「うん」


少しずつ、距離が縮まっていく。でも、無理に近づきすぎない。カナのペースを大切にしながら。


「ねえ、提案があるんだけど」


アヤが言った。


「放課後、図書室で読書会しない? 静かだし、カナちゃんも落ち着けると思う」


「読書会?」


「みんなで同じ本を読んで、感想を話し合うの。でも、話したくない時は話さなくていい」


カナの目が少し輝いた。


「それなら……参加してみたい」


「やった!」


でも、すぐにミサキが付け加えた。


「カナちゃんのペースでいいからね。来たくない日は来なくていい」


「ありがとう」


カナは手袋を見つめた。もう透明になる必要はない。でも——


「この手袋、持っていていい?」


「もちろん」


「お守りにする。どうしても消えたくなったら、これがあるって思えば、逆に頑張れる気がする」


女の子たちが帰った後、カナはヒバルに言った。


「鈴の音で、気づいたの」


「何に?」


「本当は、見つけてほしかったんだって。でも、見つかるのが怖くて、自分から透明になってた」


カナは窓の外を見た。夕日が校庭を照らしている。


「これからは、少しずつ見える場所にいようと思う」


翌日の放課後、図書室に4人の姿があった。


同じ本を読みながら、時々顔を見合わせて微笑む。カナも緊張しているけど、ちゃんとそこにいる。


「この場面、どう思う?」


「私は……」


カナが自分の意見を言う。小さな声だけど、みんなちゃんと聞いてくれる。


誰も急かさない。誰も無理強いしない。


ただ、一緒にいる。それぞれの心地いい距離で。


ハコブネ堂に戻ったヒバルは、ヨルに報告した。


「手袋の鈴、『見つけてほしい』って思った時に鳴るんだね」


「そう。透明になりたい人ほど、本当は誰かに見つけてほしがっている」


「矛盾してるよね」


「人の心は矛盾だらけさ。でも、それでいい」


ヨルの時計の目が、優しく回った。そして、ふと奥の扉を見た。


「ヨルさんも、誰かに見つけてほしい?」


「……さあね」


いつもの笑顔。でも、ヒバルは気づいていた。


ヨルの手にも、小さな鈴がついていることに。


配達完了の鐘が鳴る。


でも、ヒバルの心には確信が残った。


みんな、一人じゃいたくないんだ。


そして、新たな謎も。ヨルの鈴は、いつ鳴るんだろう?

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