第14話『うそつき風船』
「今日の荷物は——」
ヨルが不思議な笑みを浮かべた。でも今日は、なぜか二つの荷物を手にしている。
「あれ? 二つ?」
「いや、配達するのは一つだけ。もう一つは……まあ、後で分かるよ」
ヨルが差し出したのは、しぼんだ赤い風船。持つと妙に重く、表面には金色の糸で複雑な模様が描かれている。
「これは『うそつき風船』。嘘をつくたびに膨らんでいく」
「嘘で膨らむ……」
「そして、真実を話すと縮む。でもね——」
ヨルはもう一つの風船をちらりと見せた。同じ赤い風船だけど、模様が銀色。
「世の中には、対になる風船があることもある」
意味深な言葉を残して、ヨルは銀色の風船をしまった。
配達先は、同じマンションの上層階に住むショウ。成績優秀で礼儀正しい、まさに優等生の6年生だ。
エレベーターで上がりながら、ヒバルは考えていた。対になる風船って、どういう意味だろう?
ショウの家のドアの前に立つと、中から声が聞こえてきた。
「大丈夫よ、ショウ。お母さんは元気だから」
お母さんの声。でも、なんだか無理に明るくしているような。
インターホンを押すと、ショウが出てきた。いつもの爽やかな笑顔。でも、目の下にクマがある。
「ヒバル君? どうしたの?」
「配達。これ、君宛て」
風船を見たショウの表情が一瞬曇った。
「風船? 子供っぽいな」
受け取った瞬間、風船がピクッと動いた。
「今、動いた?」
「あ、えっと……多分気のせいだよ」
風船がまた少し膨らんだ。ショウは驚いて風船を見つめた。
「部屋で話そう」
ショウの部屋は相変わらず整然としている。でも、机の上の参考書の量が以前より増えている。
「すごい量の参考書……」
「うん、ちょっとね」
風船がまた膨らむ。
「その風船、嘘をつくと膨らむんだ」
「嘘で?」
ショウは苦笑いした。
「じゃあ、僕には向かない荷物だね」
さらに膨らむ。もう野球ボールくらいの大きさだ。
「ショウ君……」
「分かってる。最近、嘘ばかりついてる」
ショウは窓の外を見た。
「『宿題終わった?』『うん、ばっちり』。本当は半分も終わってない」
「『体調は?』『絶好調』。本当は毎日頭痛がする」
「『友達と遊んでる?』『もちろん』。本当は誰とも遊んでない」
風船はどんどん大きくなっていく。
「でも、これは優しい嘘なんだ」
「優しい嘘?」
「お母さんを心配させたくない。最近、お母さんも大変そうだから」
その時、部屋のドアがノックされた。
「ショウ、おやつよ」
「いらない——」
ショウが言いかけて、止まった。風船を見て、考え直す。
「……ありがとう。後で食べる」
「そう。無理しないでね」
お母さんの足音が遠ざかっていく。ショウはため息をついた。
「本当は、お母さんと話したい。でも、何を話せばいいか分からない」
ヒバルは思い出した。ヨルが見せた、もう一つの風船。
「ショウ君、ちょっと待ってて」
ヒバルは部屋を出て、リビングに向かった。そこには、ショウのお母さんが一人で座っていた。
そして、その手には——
「あ!」
銀色の模様の赤い風船。それもかなり膨らんでいる。
お母さんは驚いてヒバルを見た。
「これは……」
「もしかして、お母さんも嘘をついてる?」
お母さんは観念したように微笑んだ。
「ばれちゃいましたね」
ヒバルはショウを呼んできた。ショウは母親の手にある風船を見て、息を呑んだ。
「お母さんも……」
「ごめんなさい、ショウ」
二人は向かい合って座った。同じように膨らんだ二つの風船を間に挟んで。
「私も嘘ばかりついていたの」
お母さんが話し始めた。
「『仕事は順調?』『ええ、順調よ』。でも本当は、大きなプロジェクトで失敗続き」
ショウの風船が少し縮んだ。自分だけじゃなかったんだ。
「『疲れてない?』『全然平気』。でも本当は、毎晩遅くまで仕事の心配で眠れない」
お母さんの風船も少し縮む。
「どうして本当のこと言ってくれなかったの?」
「ショウに心配かけたくなかった。受験も近いし、いい息子でいてもらいたくて」
「いい息子……」
ショウは俯いた。
「僕も同じ。いい息子でいなきゃって。でも、本当の僕は——」
ショウは深呼吸して、真実を話し始めた。
「塾、本当はついていけてない。宿題多すぎて、毎日4時間睡眠。テストの点も下がってる」
風船が目に見えて縮んでいく。
「友達とも遊べない。誘われても『塾がある』って断って、本当は一人で勉強してる」
「ショウ……」
「でも一番つらいのは、お母さんに本当の自分を見せられないこと」
お母さんの目に涙が浮かんだ。
「私も同じよ。完璧な母親でいなきゃって。でも、本当は不安で一杯」
二人の風船は、どんどん小さくなっていく。
「ねえ、ショウ」
「なに?」
「これからは、優しい嘘じゃなくて、優しい本音で話さない?」
「優しい本音?」
「つらい時は『つらい』って。でも『一緒に頑張ろう』って」
ショウは母親の手を握った。
「うん。僕、本当は塾を減らしたい」
「いいわよ。あなたのペースで」
「お母さんは? 仕事」
「上司に相談してみる。一人で抱え込まないで」
気がつくと、二つの風船はすっかり元の大きさに戻っていた。
「なんか、軽くなった」
「本当ね。嘘の重さって、こんなにあったのね」
二人は笑い合った。そして、ショウが提案した。
「今日から、毎日10分『本音タイム』作らない?」
「本音タイム?」
「お互いに、その日あったことを正直に話す時間」
「いいわね。じゃあ、まず私から。実は今日、会議で思い切り反対意見を言ったの」
「へえ! お母さん、かっこいい」
「あなたは?」
「今日、数学のテストがあって。分からない問題は『分からない』って正直に書いた」
「それでいいのよ。分からないことは恥ずかしくない」
二人の会話は夕食の時間まで続いた。優しい嘘の代わりに、優しい本音があふれる時間。
ヒバルが帰ろうとした時、ショウが追いかけてきた。
「ヒバル君、この風船もらっていい?」
「え? まだ使うの?」
「ううん。お守りとして。嘘をつきそうになったら、これを見て思い出すから」
ショウは二つの風船を持った。金色と銀色の模様が、夕日に照らされて輝いている。
「対になる風船の意味、分かった気がする」
「どういうこと?」
「大切な人同士は、同じように嘘をついて、同じように苦しんでる。でも、一緒に真実を話せば、一緒に楽になれる」
ハコブネ堂に戻ると、ヨルが待っていた。
「対の風船、うまく働いたようだね」
「最初から、お母さんにも渡すつもりだったんでしょ?」
ヨルは肩をすくめた。
「家族の嘘は、たいてい同じ形をしているからね」
「でも、なんで最初に言わなかったの?」
「言ったら、きっと構えてしまう。自然に気づくのが一番さ」
ヨルの時計の目が、優しく回った。
配達完了の鐘が鳴る。
でも、ヒバルの心には学びが残った。
本当の優しさは、嘘じゃなくて、本音にあるんだ。
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