第3話 葛藤

皆、動けずにいた。


窓の外は、さっきまでの小雨が嵐のような横殴りの雨へと変わり、倉庫の窓に大きな音を打ち立てていた。

まるでこの10人を「早くしろ」と急き立てるかのように。


「皆さん、長考ですね。まあ無理もありませんか。しくじれば1000万ですもんね。

時間はたっぷりとあります。じっくりとお考え頂いて結構ですよ。私はこう見えて紳士ですからね。」


支配人がそう声をかけてくる。


「あんた、1番最初に行きなさいよ!さっき1番が絶対有利だとか言ってたじゃない!」


強気な台詞で関谷に詰め寄ったのは美香だった。


「なんだこの女!どのタイミングで行くかは俺の自由だろうが。そういうおまえこそ先に行けよ!」


しばらく、2人の醜い言い争いが続き、その光景を皆が黙って眺めていた。


その時だった――。


ひとりの男が、すっとテーブルの方へ歩き出した。

最年長者である、福田幸太郎だった。


「家で病の母が私の帰りを待っているんです。こんな所でいつまでも時間を潰している訳にはいきません。」


そう言うと迷いを振り切るようにテーブルまで進むと、1枚のカードを掴んだ。

次の瞬間。


「よし!良かった〜!助かった〜!」


年甲斐もなく無邪気に喜ぶ声が、フロアに広がった。


福田はカードを出入り口付近にいる支配人に手渡しこの場から姿を消した。借金を帳消しにして。



皆、少し悔しさはあったかもしれない。

だが、福田の自己紹介を聞いていたので、内心ホッとしたのは私だけではないはずだ。


しかし――早々甘い事ばかりも言っていられない。

生還へのパスポートを一つ失った事に変わりはないのだ。


それと同時に、やはり1番目に動くべきだったんじゃないかという異様な空気がフロアに流れ出した。


残る席は後8つだ。

どうする? どこで動く? やはり最後まで待つのが懸命なのか?


いや、1枚失ったとはいえ、残りが9枚もある今ここで動くべきじゃないのか?


私の中で様々な葛藤が浮かんでは消える。

他の8人も同じような思考を繰り返しているのだろう。


その証拠に誰一人言葉を発さない。

すべて心の中だ。


時折、閃いたような顔を見せる者もいるが、次の瞬間には険しい顔を見せている。



ダメだ! 動けない!


今行けばセーフティーカードを引ける確率は9分の8、頭では分かっているのになぜ動けない!


そう――もしかしてがあるからだ。


こんなものに当然、必勝法などあるはずもない。

ならやはり今だ! 確率が高い今動くべきだ!


勇気を出せ! 勇気を出すんだ、あの福田のように!


私はそう自分に言い聞かせ、思い切って右足を一歩、テーブルの方へ動かした。


だが――次の左足が出ない。


ダメだ! やはり動けない!

何故だ! 何故なんだ!


答えは簡単である。


それは――まだ余裕があるからだ。


そんなに自ら死に急がなくとも、誰かが勝手に自滅してくれる。

チャンスは一回きりなのだ。


わざわざ危険なリスクを冒してまで、この崖を飛び越える必要性がどこにある!


なら待て! 今その時ではない!



私は一旦、深呼吸することにした。


気がつけば、周りの皆も私と同じように深呼吸をしている。

皆、必死なのだ。


これが1万円、2万円の勝負なら今頃とっくにこのギャンブルは終わっているだろう。

だが額が違う!


1000万なんて、はい負けましたって笑って過ごせる額じゃないんだ。


なら必死になって当たりまえだ!

懸命になって当たりまえだ!

臆病になって当たりまえだ!


今さらながら、さっきの福田の勇気には恐れ入る。

確かに有利な1枚目とはいえ、早々に決断できる事じゃない。



気づけば、ゲーム開始から1時間が過ぎていた。


大の大人が9人、ただ佇んでいる。


窓の外の嵐は更に猛威を振るい、これでもかと言わんばかりにこの建物全体を打ち続けている。


そう、この悪夢のようなギャンブルは――まだまだ始まったばかりなのだ……。

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