第1札
「だ、大丈夫ですか!?」
男へと最初に駆け寄ったのは、意外にもサツキであった。余人にこの光景を見られ、倒れている人間を放置したと思われればOSTを大きく減点される恐れがある。それだけはなんとしても避ける必要があった。彼女の一挙一動は、常にOSTの評価システムへの打算がすべてである。
「ほらマネキ、手ェ貸して!」
「えっ、う、うん」
遅れてマネキも男を担ぎ、二人の家へと運び出した。旧世紀であれば百当番制度というしかるべき連絡先があったのだが、それは失われた話である。
「き、君たちは……」
男が朦朧と語りかけるが、その声はか弱く、生命の危機にあることは明らかであった。
「喋らないでください。すぐに着きますから」
幸い、男が倒れていたのはちょうどマネキの帰路の途中であったため、寄り道をせずに彼らは戻ることができた。当初の予定よりは大幅に遅れての帰宅であったが、幸か不幸か、彼らの帰りを心配する者などはいなかった。
◇ ◇ ◇
「とりあえず、応急措置は済んだよ。安静にしていれば大丈夫だと思う」
「お疲れ様。ご飯作っておいたよ」
このような時代だからか、むしろ応急措置の技術は普遍的なものになっていた。おかげで、マネキが男を救えたのは不幸中の幸いだったかもしれない。もっとも男はすぐに意識を失い、彼の素性を聞き出すことはできなかった。
「………………通報するの?」
すっかり温くなったスーツを口に入れながら、マネキが尋ねた。ややあって、サツキが応えた。
「私だって、意識不明の男をサツに突きだすほど人間辞めてないわよ。まだ事情も聞けてないし、お礼貰える余地もあるしね」
「……良かった」
ただし、と釘を刺すようにサツキは言った。
「男と慣れ合おうなんて思わないこと。誰かのために家族を失うなんて、もう二度とゴメンなんだから」
それだけ言って、サツキは自室へと帰っていった。彼女が機嫌を損ねたことには理由がある。二人の両親のことだ。この世界にそぐわない、根っからの善人であった。困っている人を放っておけず、たとえポイントがなくても手助けを惜しまない。悪人に騙されて、気づかずに犯罪の片棒を担がされ、容疑者となって消えてしまうのにそう時間はかからなかった。サツキとマネキが無事だったのは、ほんの偶然である。そんな両親を反面教師にサツキはOSTに極めて忠実な人間になった。心の底では、誰の善意も信用していないし、自分の善意も信じていない。そんな彼女を見ていて、マネキは人付き合い自体が嫌になった。
冷めた料理を食べ終えて、マネキは皿洗いを始めた。料理と皿洗いは交代で行っている。だが、マネキはこの日、皿洗い当番で良かったと感じていた。あの男を放っておいて料理などできなさそうだったし、今こうして安堵しながら皿洗いができている。だが、丸皿を洗いながら彼は自問自答した。どうして男のことを気にしているのだろう。札束を握っていたからだろうか? だが、あれが盗品である可能性もある。自分が夢想したサツタバトルの選手である可能性は極めて低いだろう。しかし、心の底では信じたい自分もいる。常識と夢、二つの心に戸惑っているところに……。
「み、水を……」
声がした。低く、しかし力強い声だ。もう意識を取り戻したというのか。マネキは急いでカップに水を注ぎ、自室のベッドで寝かしていた男の元へと届けた。
「これ、ゆっくりと飲んでくださいね」
「ありがとう……俺を助けてくれたんだな」
男は呷るように水を飲み干すと、みるみるうちに生気を回復させたようだった。
「よかった。もう治ったんですね……ええっと」
「……俺はキンバだ。タババタ・キンバ。上層で、普段はペンキ屋をやっている」
タババタ……!? マネキはその苗字に覚えはなかったが、苗字持ちの人間自体に衝撃を受けていた。苗字とは、信用ポイントがプラス以上の人間でなければ得られないリワードの一つである。信用ポイントの高低は、概ね産まれによって決まる。上層であればほぼすべてがプラスで、下層に産まれればそれ自体が罪となる。自分より遥かに上の身分の相手だと知り、マネキは反射的に警戒を抱いた。
「悪かった。自慢したいとかじゃ、ないんだ。とにかく、助けてくれて感謝してる」
「…………」
「……参ったな」
男は落ちつかない様子で、手元の札束を弄り始めた。
「それは?」
「こいつは……古い時代のOSTさ。今じゃ何の価値もないが、俺にとっては生きる意味そのものだ。こいつを追って、俺はこの場所にやってきたんだ」
すると、男はグイっとマネキに近づき、
「同じものをここらで見たことはないか? 必ずある筈なんだ。それがあれば、世界をひっくり返せる」
「せ、世界を……?」
鬼気迫る表情でキンバがマネキに問う。その存在への心当たりも、男の真意も分からず、マネキは目を逸らした。
警報が鳴り響いたのはその時だった。
『こちらは
けたたましいサイレンの不快音が夜の静寂を突き破った。両親が連れていかれたのもこんな夜だったと、マネキは不安げにそう思った。
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