札刃銭記サツタバトル

IS

第0札 




 仄暗い埃が舞う狭い一室で、一人の少年がテレビを見ていた。このテレビはどこからの電波も受信していない。流れているのは、昔のスポーツ中継を記録した旧世紀BDである。何度も再生されたためか、映像はとぎれとぎれで、音ズレも甚だしい。それでも少年は、食い入るように映像を眺めていた。


「こら、マネキ。こんなところで油売ってないで、仕事いくよ」


 少年を注意したのは、さほど年齢が離れていない女性である。少年の姉だろうか。


「姉ちゃん……俺、サツタバトルやってみたい」


「はぁ?」


 映像の中では、派手な金の衣裳を着たモヒカンの男が、同じく装飾華美な男と札束で殴り合っていた。空中で何度も、何度も、何度も互いの札束が衝突しあう。その度に響き渡る衝突音は、少年……マネキが聴いてきたどんな音よりも気持ちよく、どんな音よりも綺麗だった。


「アンタねぇ……そんな古いスポーツ、今じゃ誰もやってないわよ」


 姉はテレビの電源を消した。マネキは文句を言いつつも、姉の行動を強く非難するつもりはないようですぐに謝罪した。


「ごめんよ姉ちゃん。滅茶苦茶格好良かったから、つい」


「第一ねぇ……」


 姉はため息交じりに言った。


「旧世紀のお札なんて、こんな場所には一枚もないのに」





 ◇ ◇ ◇





 かつてこの国には札束で殴り合う競技が存在していた。札刃銭記サツタバトル。オリンピックのメジャー種目でもあり、プロ選手はスポンサーから限界額まで現ナマを受け取り、力の限り相手と殴り合った。ハイパーインフレの狂気が生みだした異常なエクストリームスポーツ。だが、欲望を曝け出して戦う本能的決闘のスリルと、なにより、札束が相手の頬にヒットした時に響き渡る圧倒的な快音が人々を魅了し、熱狂の渦へと叩きこんでいた。このスポーツが続く限り、理想的で平穏な社会が続いていくのだと誰もが信じていた。だが、先に音を上げたのは世界の方であった。


 揺り戻しによる圧倒的なデフレーション。大企業の悉くの倒産に増え続ける失業者。あらゆる国の通貨が信用を失い、札束は何の力も持たない、ただの紙切れの集まりになった。国連主導による世界経済のリセット宣言、資本主義からの消極的脱却と信用ポイントによる新たな政治体制が確立されたことで、絶望の時代はようやく終焉を迎えたのである。


 そうして、通貨の代わりとなる新たなポイントシステム、OSTオサツによって札束は存在意義を失い、やがて人々の記憶からも忘れ去られていった。当然、かつての世界的スポーツ、サツタバトルもまた、忘却の彼方へと消えていったのであった……。





 ◇ ◇ ◇





「サツキちゃん、マネキくん。よく来てくれたねぇ。ごめんよぉ、うちのエアコンが壊れちゃって」


「いいんです。今の時代、助け合いですから」


 姉――サツキに連れられて、マネキは町内のとある老人の家を訪ねていた。マネキは正直、この老婆のことが苦手だ。どんな無理難題を言っても子供がなんとかしてくれると信じ切っているからだ。


「それじゃあ、早速修理に取り掛かりますね」


 サツキは慣れた様子でエアコンのカバーを外し、内部を弄り始める。


「やっぱりだ……マネキ、充電お願い」


「分かった」


 サツキが投げ渡したコードを受け取ると、マネキは宅外にあらかじめ用意していた自転車式充電器にそれをつなぎ合わせた。今の時代、コンセントで動く高価な電化製品など一般人の手には届かない。充電式の電池でどの機械も辛うじて生き繋いでいるのだ。まるで今の自分たちだな、とマネキは内心思った。


「充電始めるよ」


「おねがーい」


 マネキがペダルをこぎ始める。あまり早く漕ぎ始めると、装置が爆発して両足を失う。彼が装置を譲ってもらった相手も、そのまた元の持ち主もそれが原因で一生大地を踏めない身体になっていた。故にマネキは慎重に、しかし適格な速さでペダルをこぎ続ける。何度もやってきたからか、疲れはなかった。やがて、ピー……という電子音が今日も死神が去ったことを伝えてくれた。


「終わったよ」


 サツキが屋内でエアコンの起動点検している音を聞きながら、マネキはそっとポケットから1枚のカードを取り出した。OSTカード……この世で生きていくのになくてはならない生命線だ。その生命線に、新たなポイントが振り込まれた。老人が振り込んだのだろう。総合ポイントがそれに応じて更新される。『-31000ポイント』。これが0になれば、今月は生き延びることができる。もし-1ポイントでも残っていれば、犯罪者とみなされて連行される。そうした者が帰ってきたことはない。この自転車の持ち主も、遥か昔にどこかに消えていた。擦り切れたハンドルのグリップが、唯一彼が生きていた証であった。


「にしし、ちょっとポイントおまけしてもらっちゃった。多分、今月も大丈夫だよ」


 ガラリと扉を開け、姉のサツキが耳元で囁いた。交渉事は彼女の得意分野だ。人付き合いが苦手なマネキは、その分肉体労働を担当する。これで今までは上手くやっていた。だが、必要に課されるポイント数はいつも高く、明日上手くやっていける見込みはまったくなかった。そういう世の中で二人は生きていた。





 ◇ ◇ ◇





「明日はここと、ここと、ここ行こっか」


 サツキの提案に頷きながら、マネキは上の空であった。うわべだけの相互扶助社会。明日生きていけるかもわからない世界で、自分は本当に他人のために生き続けなければいけないのだろうか。本当は、誰かを力一杯殴るべきなんじゃないのか。今朝見ていたBDの中にいた彼らみたいに。


 サツタバトルの競技者は本物だった。自分に絶対の自信を持っていて、勝とうが敗けようが、その先によりよい未来があることを信じ切って札束を振るっていた。自分とは大違いだ。マネキは自嘲し、ふと我に返り……見た。


「ちょっとマネキ、聞いてるの……って、マネキ!?」


 急に駆けだしたマネキに驚きながら、サツキは息を切らしながら彼の後を追った。そして、辿り着いた先には。


「……人?」


 黒衣の男が倒れていた。その髪は白髪交じりで、自分たちよりもなお低い身分の人間ではないかと一目でわかるほどに汚れた衣服をしている。だが、何よりも驚くべきだったのは、その右手に握られていたものだった。旧日本銀行券、のべ36枚。すなわち、この世界に失われれた筈の札束を、その男は握っていたのだった……。








 

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