第7話 言葉なき逃避

悠真の「結婚を前提に付き合ってほしい」という言葉が、琴音の鼓膜に張り付いた。彼の真剣な眼差しは、琴音の心の奥底を覗き込むかのように、どこまでもまっすぐだった。喜びと、そして抗いようのない絶望が、琴音の胸の内で激しくぶつかり合う。


「……っ」


琴音は、口を開こうとした。何かを言わなければ、と思った。だが、喉が張り付いたように、声が出ない。言葉を紡ぐどころか、息をすることさえ難しい。悠真の真っ直ぐな想いを受け止める資格も、彼に真実を告げる勇気も、今の琴音にはなかった。


脳裏では、父の厳しい視線、母の諦めたような笑顔、一条慧の穏やかで揺るぎない眼差しが、次々とフラッシュバックする。そして、重く、深く、大晦日の夜に待ち受ける祭祀の光景が、琴音の心を支配した。村の因習という、巨大な、抗いようのない力。その全てが、悠真の純粋な告白と同時に琴音の意識に押し寄せ、琴音の心を真っ二つに引き裂いた。


恐怖と混乱が、琴音の全身を襲った。心は叫び、身体は震えている。この場から、今すぐにでも逃げ出したい。悠真の真剣な眼差しから逃れたい。自分を蝕む、この重苦しい現実から逃げたい。


琴音は、一言も発することなく、ただ悠真の視線から逃れるように、背を向けた。そして、夢中で走り出した。


地面には、ちらほらと白い雪が舞い始めていた。冷たい雪の粒が、琴音の頬を冷たく撫でる。息を切らし、肺が張り裂けそうなほどの苦しさに、琴音の身体は震え続けた。どこへ向かうという明確な目的地はない。ただ、悠真から、そして自分の運命から、逃げたかった。


「琴音!?」


背後から、悠真の困惑と、そして悲しみが入り混じった声が届いた。琴音を呼ぶ、切なげな叫び。琴音は、振り返ることなく、ただひたすらに走った。その叫びが、琴音の胸を抉る。彼を傷つけてしまった罪悪感が、琴音の心を深く覆い尽くす。


雪は、一層強く降り積もり始める。琴音の足跡は、あっという間に白い雪に覆われ、消え去っていく。まるで、琴音自身の存在が、この世界から消え去ってしまうかのように。身体中の震えは止まらず、琴音はただ、白い闇の中を走り続けた。

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