因習の檻 - 琴音の祭祀 -

舞夢宜人

第1編 告白と逃避

第1章 淡い恋の予感

第1話 放課後の秘密の場所

放課後の鐘が、今日もやけに感傷的に聞こえた。三年の秋。高校生活の終わりが、すぐそこまで迫っている。水瀬琴音は、教室の窓から校庭を見下ろした。すでに部活動に励む生徒たちの声が響き渡っているが、琴音の視線は、グラウンドの隅で友人と談笑する朝霧悠真の背中に吸い寄せられていた。


「琴音、行こうか」


いつの間にか隣に立っていた悠真が、優しい声で琴音を促す。彼の声は、いつも琴音の心を穏やかな波のように撫でてくれる。琴音は小さく頷き、彼の隣を歩き出した。昇降口を出ると、秋の澄んだ空気が肌を撫でた。夕焼けが空を茜色に染め始め、村の屋根瓦に橙色の光を落としている。


二人の下校ルートは、いつも決まっていた。村の中心部から少し離れた、小高い丘の上にある古びた神社。参道には苔むした石段が続き、周囲を囲む木々は、季節の移ろいと共に様々な表情を見せる。琴音と悠真にとって、そこは幼い頃から変わらない、二人だけの秘密の場所だった。


「今日の授業、数学がやたら難しかったな」


悠真が、いつものように他愛ない話題を振る。琴音はくすりと笑い、「悠真くんはいつもそうだよね」と返した。悠真は少し照れたように頭を掻いた。二人の間に流れる空気は、いつも穏やかで、心地よい。言葉を多く交わさなくとも、互いの存在が、そこにあるだけで満たされるような感覚があった。


石段をゆっくりと上っていく。踏みしめるたびに、砂利が擦れる音が静かに響いた。神社の鳥居をくぐると、ひんやりとした空気が肌を包み込んだ。境内の大きな杉の木が、夕日を浴びて神々しく輝いている。幼い頃、悠真とこの場所でかくれんぼをしたり、秘密の宝物を埋めたりした記憶が、琴音の胸に蘇る。あの頃と何も変わらない、優しい時間。


「ねぇ、悠真くん。来年も、ここで桜を見れるかな?」


境内の隅にある、小さな桜の老木を見上げながら、琴音は問いかけた。春になれば、そこには淡いピンク色の花が咲き誇る。悠真とここで一緒に過ごす時間が、琴音にとってかけがえのないものだった。


悠真は、琴音の言葉に一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐに優しい笑顔を向けた。


「もちろんだよ、琴音。また一緒に見よう」


彼の声は、いつもと変わらないはずなのに、琴音の心に、かすかな寂しさを残した。彼の言葉の裏に、何か言いたげな響きを感じたが、それが何なのかは分からなかった。


風が、琴音の長い髪をそっと揺らす。その時、琴音はふと、鳥居の向こう、村の中心部へと目をやった。そこには、村人たちが何やら集まって作業をしているのが遠目に見えた。積み上げられた材木、かすかに聞こえる人々の掛け声。それは、もうすぐやってくる大晦日の祭祀の準備が始まっている証拠だった。村に古くから伝わる、厳かで重要な祭祀。


その光景を目にした途端、琴音の胸に、漠然とした不安が広がった。得体の知れない重苦しさが、琴音の心を押し潰す。美しい夕焼けに染まる二人の秘密の場所と、祭祀の準備が進む村の光景が、琴音の中で奇妙な対比を描いた。悠真の隣で感じる穏やかな幸福感と、村の因習が持つ重い空気が、琴音の心に影を落とす。琴音は、無意識のうちに目を伏せた。

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