第2話 青春の面影
しかし、そんな考えでの結婚なんて間違っていた。最初は結婚して、すぐに眞子が生まれて、子育てに没頭していたので、その想いは薄れていたけれど、時々思い出していたり、夫と彼を比べてしまったりしている自分に気づいていた。そして、夫婦の間には目に見えない溝ができ、些細なことで口論する様になり、そして夫の浮気に発展していった。そんな時母は、『主人が悪い訳じゃない。私が彼を浮気に走らせてしまった』そう言っていたらしい。
眞子の話は続く。「両親に結婚を反対され、喧嘩別れで家を出たけれど、まだ書家としては食べていくことが出来なくて、生活のためにパートや、母の祖母の書道教室で手伝いをしていたんです。母の祖母はやはり孫が可愛かったんでしょう。離婚してボロボロだった母を、何も言わず書道教室の先生として迎え入れてくれたらしいのです。その時、その優しさが本当に嬉しくて、人を信じることがもう一度できる様になったって言ってました。」
「リハビリをしている時期に、不意に一枚の写真と手紙を渡されたんです。リハビリを続けても、なかなか結果が出なくて『私が死んだら、この手紙を読んで』と言って渡してきたんです。そして、母の話を聞いたんですが、手術をする前に『覚悟』のつもりで書いたって言ってました。そして、大事そうに持っていた1枚の写真をしばらく見つめた後、秀之さんの事、ポツポツと話し始めたんです。」
その話を聞く中で、眞子は秀之に怒りと興味を持ったらしい。自分の家族を壊した人。しかし、それでも母の心から消えない人に、どうしても会ってみたい。母に合わせてあげたい。そうすれば、母の生きる力に成るんじゃないかと思ったらしい。
漸く、いろいろ手を尽くして僕の居場所を突き止め、「ドキドキしながら、あなたの家を訪ねたの。最初、勇気がなくて遠くから見ていたわ。そしたら偶然、奥さんと娘さん?私と同世代のかわいらしい人と3人で家から出てきて、車に乗り出掛けて行った。物陰から見ていたけれど心臓が壊れると思うほどドキドキして、手も膝も震えていて立っていられなかった。分かっていたけれど秀之さんには家族がある。当然の話。しかし、現実を見せつけられると、自分がしている事の恐ろしさに気付き、いたたまれなかった。」そう言うと少し目を伏せ、軽くため息をついた。思い出してみると、その頃はまだそこまで夫婦の間の亀裂はなかった時期だったと思う。
そして、眞子の話は続く。「母には言えなかった。秀之さんの家族を見た事。そして幸せそうな家族の事は、とても話す気になれなかった。」
それからは、真由美のリハビリに専念し、合わせて食事の管理をするべく栄養士の勉強などに取り組んだらしい。「だって、病院の食事は栄養があって体にいいことは分かっているけど、やっぱり味が好みじゃないと入って行かないもん。」
やがて、話は眞子の個展の話から、真由美が高校の時に受賞した作品のことになった。
春蚕到死絲方尽、蜡炬成灰泪始干
春の蚕は死ぬ時まで糸を吐き続けるように、私の思いは細々と続いている。
蝋燭が蝋の涙を流し続けるように、別れの悲しみは身の果てるまで続いている。
「李商隠と言う人の作品の一節で、タイトルは「無題」多分、受け手の感性で自由に解釈してもいいと言う事なのかな?」
確かに秀之も見覚えがある。立派な軸に仕上げられたその作品にはどんな意味があるのか、当時の秀之には知る由も無かったが、眞子に解説を聞かされ改めて、気づけない自分の情けなさが、身に沁みた。
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