4月7日10時 札幌観光 ~神社編~

 下調べを終えてバスや電車に揺られること数十分、私は円山の北海道神宮を訪れていた。札幌観光第一弾だ。観光をすると告げたときは厭わしげな表情を見せていた巫女装束の幽霊ではあるが、なんだかんだ付いてきている。チュンチュン鳴く地下鉄東西線を降り、アヒルやらゾウやらのシルエットがあしらわれている円山公園駅のタイルを抜けるころには、図書館の時のようにくるくると動き回るようになっていた。

 東西線がチュンチュン鳴いているのは電車につけられた特殊な装置がレールを叩くかららしいが、詳しいことは覚えていない。タイルに動物が描かれているのは、この駅が円山動物園最寄だからだ。ライオン、ホッキョクグマ辺りのいかにも動物園なメンツもいるが、パンダやマンボウ、ラクダにクジラなどあまり見かけない動物も混じっている。かの有名な円山動物園と言えどさすがにクジラはいないと思われるが、何か関連する展示があるのだろうか。

 ともあれ、謎の幽霊も楽しそうで何よりだ。せいぜい束の間の観光気分を味わうと良い。すでに私は決着までの道筋を見つけている。さすれば、いよいよ依頼も解消だ。

 北海道神宮は、この地が「北海道」になった明治2年から開拓三神「大国魂神・大那牟遅神・少彦名神」を祀り、仮社殿や札幌神社からの数度の遷座を経て、ここ円山に鎮座したらしい。今では明治天皇を合わせた四柱を祀るこの場所は、高い木々に囲まれて自然にあふれていた。

 鳥居の中に入ると、なんだか神聖な空気が流れているような気もしてくる。普段の景色の中では違和感の塊の幽霊も、巫女装束だけあってここではそこまで浮いていない。相変わらず地に足はついていないわけではあるが、鳥居をくぐってからの女はそこまで動き回らずに大人しく付いてくるようになっていた。境内だと大人しくなるのか。やはり悪霊なのかもしれない。さすがの巫女装束も耐性を発揮しなかったか。

 ここは桜と梅の花が美しい花見の名所でもあるらしいのだが、残念ながらその枝にはまだ蕾すらついていない。今日はよく晴れていて半袖の観光客もまれにみられるような陽気ではあるが、本格的な春の到来はまだしばらく先のようだ。

 ……いや、半袖もいるとは言ったものの、私自身はまだコートに身を包んでいるし、道行く人々も思い思いの防寒をしている。冷静になってみると、陽光こそ暖かなものの木陰に吹く風はまだまだ冷たく、数少ない半袖の観光客を季節の判断材料にしたのは誤りだったかもしれない。何だったら陽の入りの悪い木々の間にはまだ雪が残っている。市街地と違ってアスファルトがないこともあり、完全な雪解けにはもう少し時間が必要だろう。

 八重桜やソメイヨシノ、エゾヤマザクラに柏、イチイ、あすなろ。様々な木々に挟まれた道を辿って、本殿へ向かう。

 私は木の名前を全然知らないが、時折タグが巻かれている幹があり、どれがどんな名前なのかが素人にも分かるようになっていた。これなら植物園のような楽しみ方もできるだろう。とはいえ現在は常緑樹以外すべての葉が落ちている。これはこれで風情があってよいが、植物を見るのが目的であればもっと暖かくなってから訪れるのがよかろう。

 これからの木々の装いに思いを馳せながら歩を進めていると、ついに社殿に到着した。大きな社殿にはたくさんの参拝客がおり、それぞれ好きなように過ごしている。拝殿の前で写真を撮っている人々を横目に賽銭箱へ小銭を投げ入れ、祈る。隣で浮いている謎の女の依頼を乗り越え、平穏無事な無職ライフを取り戻せますように。

 境内では本物の巫女が働いており、何度かその姿を見ることができた。謎の女とは違って、「赤ゲット」は羽織っていない。袴も「行燈袴」のようだ。もし一致するようであれば、と淡い期待を持っていたが、まあいい。本命はそちらではない。お仕事中の方をじろじろ見るのも失礼だし、早々に場所を移そう。

 案内の看板を頼りに、神門を出て島義勇の銅像や神宮茶屋を横目に西へ向かう。あまり人が訪れる場所ではないのか、道の周りの雪が多くなってきているのを感じる。このあたりにあるはずだが、と視線を巡らせると、少し離れた林の下、雪に囲まれた石柱が2本立っているのを見つけることができた。

 その二本の柱の名前は「皇軍全勝祈祷之碑」と「日露戦役記念碑」。前者は人の身長よりも少し高い円柱で、日清戦争のために建てた碑なのだそうだ。後者は人の腰ぐらいまでの高さで、残雪に埋もれて文字が半分ほどしか見えなくなっているが、その文字の通り日露戦争の記念碑だ。

 これらの碑を見るために、私は北海道神宮に来た。いや、私がそれを見るためというよりは、あの女に碑を見せて反応を窺うためといった方が正確だ。

 1887年から1909年までの日本で最も大きな出来事と言えば、1894~1895年の日清戦争と1904~1905年の日露戦争がまず思い浮かぶ。この2つの戦争の碑を見せて、その反応から明治中期の23年間を三分割できればと思ったのだが、さてどう聞いていこうか。

 バスと電車を乗り継ぐ中でこれまでのこと、これからのことを少し考えていた。それは幽霊の依頼には関係ないことというか、いや、むしろというか、とにかくそんなところだ。ここからは

 他の観光客の邪魔にならないよう道の端に寄って考えていると、女は背の高い方の碑「皇軍全勝祈祷之碑」に目を向けた。女の瞳が二度上から下に揺れる。柱に刻まれた文字を読んでいるようだ。

 ここから見えるのは正面の碑の名前と、側面の「明治甲午征清之役」の文字。篆刻文字なので読みづらいが、たぶんそう書いてある。「征清之役」は清国への出兵を意味するので、「明治甲午」は開戦年、つまり明治27年のことだと思われる。干支の組み合わせで年を数える、近年あまり見ない表現だ。

 そういえば「甲午農民戦争」が日清戦争のきっかけだったかと、かすかな日本史の記憶を手繰り寄せながら女の動向を注視する。背の高い碑だったことで、視線の高さからどちらの碑に目を向けたか、何を読んだかが分かるのは僥倖だったが、肝心の反応はその一瞥のみに留まった。これだと判断材料にはならないか。

 まあいい、札幌歴史探訪はまだ始まったばかりだ。残弾は山程ある、とまでは言わないがそれなりに考えてはいる。

 次の観光スポットに向かうかとスマートフォンを取り出していると、女は急に碑の方に向き直り、一瞬口を歪めた。

 その先にあったのは「日露戦役記念碑」。雪の中から「日露戦役」までの文字を覗かせる、背の低い石柱だ。スマホをポケットにしまい、観察を再開する。女はその碑にゆっくりと近づいていき、石の温度で溶けた雪の隙間を覗き込んだ。その動きは、雪に埋もれた文字の続きを確認しているように見える。

 二本の石柱の周りにはまだ雪が残っているので、二足歩行するタイプのヒト型である私は近づくことができない。それに、雪がなくとも道を外れたところは踏み荒らさない方がいい。少し離れた道端からしばらく反応を窺っていると、女はこちらに向き直り、私に何かを訊くようなそぶりを見せた。肩から掛けた赤ゲットを握りしめ、いつもより深刻な表情をしているように見える。

 しかし、声が聞こえないので何を言っているかわからない。そう伝えるために少しだけ身を乗り出すと、女は煩わしそうに首を振り、「日露戦役記念碑」の文字を指で示した。

 他の観光客が周りにいないことを確認し、小声で答える。

「そこに書いてある通り、それは『日露戦役記念碑』です。ロシアとの戦争を記念して建てられたものみたいですね。どういう記念なのかはわかりませんが」

 女はまたも口を動かし、そして小さく首を振って動きを止めた。どう伝えるか迷っているようだった。

「この戦争についてもっと詳しく、ということでしょうか」

 そう水を向けると、女は少しためらった後、頷いた。

「あまり詳しくはないのですが、明治37年から38年にかけて日露戦争が起こって、日本が辛勝したと習いました。刻まれている文字が『戦勝記念』ではないところや、隣の碑と比べてずっと小さいのを見るに、これを建てた人も何か思うところがあったのかもしれませんね」

 それを聞くと、女は再び小さな碑に目を落とした。もし不足ならインターネットに頼る構えだったが、これで十分だったようだ。ひとまずご満足いただけたらしい。

 この女は「日露戦役」という文字には反応を示した。しかし、その後に訊かれた内容から鑑みるに、この女は日露戦争を知らない。追加で出した情報は「年代」と「勝敗」の二つだけだ。これで満足したということは、このどちらか、あるいは両方を知らなかったことになる。

 よってこの女は、明治37年の開戦、あるいは、明治38年の終戦を迎えずに亡くなったのではないだろうか。

 一方、「皇軍全勝祈祷之碑」並びに「明治甲午征清之役」という文字には動じなかった。その直後、「日露戦役」にだけ反応を示したことを合わせて考えると、日清戦争や戦争全般には特別な思い入れがなさそうだ。日清戦争を知っているかどうかまでは判別できなさそうだが、と改めて大きな碑を見上げる。そこに書いてある「皇軍全勝祈祷之碑」の文字を見つめていると、それは私にひとつの閃きをくれた。

 「。『皇軍全勝祈祷』とありますが、これも日露戦争の碑ですかね」

 私は素知らぬ顔で女に問いかけた。下調べ済みなのでこの碑が何なのかは当然知っている。しかし、これはなのだ。

 女は呆れた表情をしながらも「皇軍全勝祈祷之碑」の側面に回り込む。そして「明治甲午征清之役」の文字をなぞり、これが日清戦争の碑であることを私に教えてくれた。

「ああ、日清戦争の。教えていただきありがとうございます」

 軽く頭を下げながら、思考を巡らす。

 年代を絞る条件がひとつ増えた。この女は日清戦争を知っているが日露戦争を知らない。今朝は23年間もあった調査対象期間を、明治27年から明治38年の12年間にまで絞ることができた。開戦日、終戦日までちゃんと調べればもう少し減らせるだろう。

 ありがたやと二つの碑を拝む。……いや、よく考えたら戦勝祈願と戦争記念の碑であって慰霊の碑ではないから拝む謂れはなかったかもしれない。

 ともかく、北海道神宮ですべきことはすべて終わらせることができた。では、次は……。

 合わせた手を解いてスマートフォンを取り、次の観光スポットまでの道のりを検索する。次は中心街の辺りでいくつか回る予定だ。明治の札幌はまだ小さく、歴史的建造物は現在の札幌駅の南エリアに固まっている。

 来た時と同じように地下鉄東西線でいいだろうかと交通手段を確認していると、例の女がふよふよとこちらに戻ってきた。

「もういいんですか」

 と、一応声を掛ける。先程の女はいつになく硬い表情だったので、私は少し心配していた。霊感で脅してくる正体不明の悪霊とは言え、何日かを共に過ごし、毎食を共にしたヒト型だ。多少情が移ったとしても仕方なかろう。私は人情派の無職なのだ。情に厚く涙もろいぞ。東京で働いていた頃は何がなくとも涙を流していたほどだ。

 女の表情を窺うと既にいつもの微笑を湛えており、宙にふわつきながら私の問いに頷いた。もういいらしい。無用な心配だったようだ。

 まあいい。満足したなら、さっそく次の観光地へ向かおう。目指すは札幌の中枢、札幌市役所だ。

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