4月7日9時 情報を整理しよう

 図書館で課題解決に失敗し、失意の帰宅を果たした私は、可及的速やかにふて寝を敢行した。目覚めたときの時計の針を見るに、そのふて寝は9時間にも及んでいたらしい。やはり疲れていたのか、まったく夢を見なかった。ちなみに、昨日の夕飯でもここ数日でお決りとなった陰膳かげぜんもどきを巡る争いがあり、さらに連敗記録が伸びる結果となったことをここに記しておこう。

 勝ち誇る女の視線を浴びながら貪る小盛の夕餉は、少ししょっぱいような気がした。結局はすべて私の腹に収まるのだが、それでも私はこの屈辱を消して忘れない。と、夕べは意気込んだものの、結局今朝も謎の女のために自分の皿から取り分けさせられることとなってしまった。順調に負け犬の日々を歩んでいる。

 まあいい。まずは昨日までに得た情報を改めて整理しよう。「明治中期の札幌の神社に縁のある巫女」の特定にこそ至らなかったものの、それでも図書館とインターネットはいくつかの手掛かりを私に授けてくれた。年に着目して箇条書きしていこう。私はスプレッドシートを開いて情報を並べていった。幽霊は作業用モニタの上からウインドウを覗いている。逆さまなので、文字が読みづらそうだ。一昨日と同じく画面設定を変えて、2画面に同じ映像が映るようにした。幽霊が大型モニタの方へ移っていく。

 

 ①1877年(明治20年)に完成した「新川」を知っている。

 ②1896年(明治29年)にはあり、1916年(大正7年)には無くなった「清川」南の沼を知っている。

 ③1896年(明治29年)にはあり、1961~1966年(昭和36年~41年)に無くなった「小樽内川」を知っている。

 ④1887年(明治20年、「教科入門」(※8-12)の出版年)の、変体仮名交じりの小学生用教科書に見覚えがある。

 ⑤1899年(明治32年)から流行した「行燈袴」を知らず、まちのある袴を着ている。

 ⑥1912~1926年(大正時代)より前には文化的にあり得なかった、仮称「ウルフカット」をしている。

 ⑦1887~1896年(明治20年代)以降に流行した「赤ゲット」を身に着けている。

 ⑧1868年(明治時代)以後の巫女は公的には排斥されていたが、服装や神楽を見るに、推定巫女。

 ⑨1986年(昭和61年、「札幌の寺院・神社」(※12-4)の出版年)時点で存在した札幌の神社の名前について、見覚えがない。

 ⑩1868年(明治時代)以後の神社関連の文書について、見覚えがない。


 スプレッドシートに簡単な年表を作成し、並べた①~⑦の情報から考えられる期間を線として打ち込んでいく。⑧~⑩は調査が中断されたこともあって情報としてぼやけているので一旦保留だ。

 ⑤「行燈袴」の普及については、爆発的だったといっても正確にいつごろその概念が普及しきったかわからないので、多めに見積もって10年のバッファを設ける。すると、①~③「新川」周辺の事情と⑦「赤ゲット」の流行時期を合わせて、1887~1909年(明治20~42年)が最も線の重なる期間となる。一昨日は明治から大正にかけて30年間あった調査対象範囲が、図書館に行っただけで7年も短縮された。これだけで考えれば明治中期の23年間に詳しい人物――いや、「行燈袴」の記憶の断絶を思えば、その時期に亡くなった人物のように思える。

 しかし、それはそれとして⑥仮称「ウルフカット」だけは時代が突出している。これだけ昭和から現代だ。明治時代でも髪を短く切ること自体は可能だろうが、歴史的・文化的にそれがあり得なかったのも確認済みである。しかも、それが発案前の「ウルフカット」と偶然一致するなんてことがあり得るのだろうか。

 悩んでいると、胸の内に潜む確証バイアスが仮説に沿わない証拠を無視しだした。ありがとう、認知のゆがみ。君はいつだって私に都合のいいことを言ってくれる。

 まあ、無理やり整合性をとるにしても「自分を明治中期の23年間で亡くなった人物だと思い込んでいる現代人」とかになりそうだ。よって、その23年間のことを調べるのは有効――というより現状それぐらいしか手がかりがない。

 都合の悪い要素から目をそらしつつ、年表を眺めている女に声を掛ける。

「あなたは明治のこのあたりで亡くなったのではないかと思うのですが、違いますか」

 年表の明治20~42年にカーソルを合わせながら問うと、女は少し考える時間をとった後、首肯した。

「具体的に何年ですか」

 女はまたしばし逡巡し、首を傾げた。

「思い出せませんか」

 女は再び首を縦に振って、モニタの前を離れて私の後方に移動した。もう問答に付き合う気がないらしい。まあ、一昨日から質問攻めだし、そうもなるか。……いや、もともとはこの女の依頼のためだし、こちらも別に聞きたくて聞いているわけではないんだが。

 ともあれ情報の再整理の結果、調査対象が「明治中期の札幌の神社に縁のある巫女」から「明治20~42年に亡くなった、札幌の神社に縁のある巫女」に更新された。安穏とした無職ライフを取り戻すべく、引き続き調査を続けていこう。

 明治期の地方の人物や出来事について知る方法を、私はいくつか知っている。

 この時期の神社が開拓の要であったことは札幌文庫「札幌の寺院・神社」から明らかだったし、その関係者であれば地元の名士と言ってもいいだろう。こういう条件付き有名人を調べるには、地方人名事典や地方新聞を漁るのが有効だ。これらはその地方の図書館であれば大抵収蔵されている。確認こそしていないが、昨日訪れた「札幌市中央図書館」にもきっとあるだろう。

 郷土の森の入り口の「あなたの知らないすこしふしぎな参考図書の世界」(※12-1)のコーナーを思い出す。不思議でこそないかもしれないが、地方人名事典も参考図書の一員である。レファレンス・ブックとも呼ばれるこれらの本は、平たく言うと百科事典とか文献目録とか、要するに調べもののお供である。調べる対象がはっきりしている場合はとても頼りになる資料だ。

 その他にも、国会図書館が運営するデータベース「国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス(Web NDL Authorities)」(※14-1)にも100万を優に超える人物の典拠データが集まっている。何かしらはっきりわかっている手がかりがあるなら、大抵の場合はこれにぶち込むのが一番手っ取り早い。ちなみに、人物以外にも結構な数のデータが収録されている。私はあまりやったことがないが、以前紹介した「件名」もここで拾うことができる。

 図書館には「自然語」と「統制語」の概念がある。「自然語」は普段我々が好き勝手に繰り出している言葉で、「統制語」はSNSでいうハッシュタグのようなものだ。複数の言葉で表現されうる概念をこのタグでひとつの表現にコントロールし、検索性を上げている。「件名」や「日本十進分類法」は、この概念に関連する。というか「統制語」そのものと言っていい。

 残念ながら、私を含めて多くの人間は何が「統制語」なのかを知らない。しかし、そんなときに活躍するのが、この「国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス(Web NDL Authorities)」――通称Web-NDLAだ。どの界隈で通っている名前なのかは聞かないでほしい。私が勝手に呼んでいるだけだ。正式な略称は知らない。

 例えば、富士山の絵で有名な浮世絵師について調べたいが、彼の複数ある雅号のひとつの「画狂老人卍」しか覚えていなかったとする。これは「自然語」だ。

 そんなときにWeb-NDLAで「画狂老人卍」と検索してみると、あっという間に「葛飾, 北斎, 1760-1849」(※14-2)に辿り着ける。どうやらこの絵師の名前は「葛飾北斎」で通っており、この「統制語」で調べると資料がたくさん見つかりそうだ。

 ついでに他の雅号や生没年、代表作が「富嶽三十六景」であること、さらにはこれらの情報の出典が「道中画譜」や「大人名事典」であることなど、いろいろ教えてくれる。そのあとは国から提示された信頼性のある出典資料にあたるも良し、手に入れた「統制語」を手近なOPAC(図書館の蔵書検索システム)に放り込んでいろんな本を漁るも良しだ。いかようにも好きにするといい。

 このように、調べものをするにあたっての最低限の、しかし、頑強な手がかりを無料で提供してくれる優秀な国営データベース、それが「国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス(Web NDL Authorities)」なのだ。

 ただ、今回の場合は年代と地域、あとはギリギリ社会属性しかわかっていないので、Web-NDLAや人名事典を頼るのは難しい。さすがにそれだけの手掛かりでは引っかけようがない。

 ならば残る手段は地方新聞を漁ることぐらいなのだが、23年分の記事を目視で浚うのは骨が折れそうだ。運よくデータベース化されていたとしても、今のところ私の手の中にある検索ワードは少ないので、うまく絞り込めない可能性は大いにある。「神社」などと検索してみたところで、きっと私は情報量に押し流されて息を引き取ることになるだろう。

 そもそも140年近く前の北海道の地方紙が現存しているだろうか。地方図書館には地方紙を収集する習性があるので、何かしらの形で保存されている前提で考えていた。しかし、札幌の開拓は明治から始まったので、時期的に新聞が発行されているかどうかすら怪しい。私はWebブラウザを開き「北海道 新聞 歴史」と打ち込んだ。

 検索結果に並んだ新聞社の社史を眺めてみるに、地理的に遠い「函館新聞」や、1年で廃刊となった「札幌新聞」に次いで、まさに1887年(明治20年)から北海道のローカル新聞「北海日日新聞」が発行され始めたらしい。発行さえされていれば、あの立派な図書館なら保管しているだろう。

 ……本当に保管しているかなあ。不安になってきたので一応webサイトで確認してみると、札幌市中央図書館はその新聞をマイクロフィルムで収蔵しているとのことだった。カメラで資料を縮小撮影して、小さな記録媒体で残すタイプの保管方法である。

 これだと「貸出申請してからフィルムを閲覧機器にセットして目視確認」のループになる。現代の調べもののツールとしては非常に手間がかかる部類だ。大手全国紙のような検索性の高いデータベースを少しだけ期待していたが、そうなっているのは昭和63年(1988年)7月分からだけらしい。

 無いものねだりをしていても仕方がない。いつだって無職の手札は限られているのだ。いつも通り、取り得る手段の中で足掻いていこう。

 23年分の日刊新聞を目視確認するのは現実的でないため、何か工夫をして作業量を減らさなくてはならない。明治中期の23年間からどれだけ調査対象期間を縮められるかが本日の課題だ。

 この解決手段として考えられるものは……としばし策を巡らせ、そして、私は振り向き様に本日の予定を女へ言い放った。

「今日は、札幌観光をします」

 後ろに控えていた巫女装束の幽霊は、あからさまに渋い顔をしていた。あまり気が進まなさそうだ。

 そんな貴様にもご満足いただけるようなスペシャルな観光にしてやる。そう意気込んだ私は「【公式】札幌観光情報サイト ようこそさっぽろ」(※14-3)を開いた。

 「さっぽろ羊ヶ丘展望台」におわすクラーク博士像がバナーの中からお出迎えしてくれる。ブラウザの中に整然とタイリングされた観光スポットたちを眺め、スケジュールを組む。数えてみると観光スポットは全部で134ヵ所紹介されていた。なんて見どころたっぷりなんだ、この札幌という街は。

 目的に沿うよう、「歴史」と書かれているスポットを重点的にチェックしていく。

 ワクワクドキドキの札幌歴史探訪のはじまりだ。

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